第20話 風邪のひきはじめに
喉が痛い。うがいをすれば落ち着くかと思ったけれども、痛みは残っている。
「どうかしたのかい?」
彼、こと神様さんが夕食を終えた私に尋ねてきた。食事が進まなかったことで、体調不良を見抜かれている気がする。私は正直に白状することにした。
「職場で風邪をもらってきてしまったみたいで」
私自身はマスクはしっかりしていたし手洗いうがいも忘れてはいなかったのだけど、新年最初の職場に集まった面々は年末年始に寝込んでしまって何もできなかったと訴える者ばかりで、全員が全員健康であるとは言えないありさまだったのだ。
「悪い予感は的中してしまったってわけだねえ」
神様さんは食器の片付けの手を止めて、私の額に手を当てた。さっきまで水を触っていたからだろう、手がひんやりとして心地がいい。
「熱はなさそうだけど、ちゃんと測って記録をつけておこうか。片付けは僕に任せて、弓弦ちゃんは入浴をして先に休んで」
「お言葉に甘えてそうします……」
体温計を棚から引っ張り出して熱を測る。小さな電子音。体温は平熱だった。
スマホに体温をメモしながら、彼の様子を見る。すっかりこの家の住人である。動きに無駄がなく、皿の片付けはすぐに終わった。
「……手慣れてますね」
「一年近くしていたら誰だって慣れるさ」
エプロンを外して片付けをする。そんな仕草がとても自然に見えた。違和感がない。見た目はイケメンだし、こういうことは敬遠していそうな感じなんだけど。
「私は慣れませんでしたよ。この部屋の惨状、覚えていませんか?」
「それは弓弦ちゃんが過労だったからだと思うよ。疲れていては何もできないよ」
「でも、私の仕事が落ち着いていたとしても、この状態は維持できていないと思いますが」
現状の部屋は片付いている。生活感はそれなりにあるのだけど、散らかっていると言われるほどではないはずだ。少なくとも、物を探すときに困るような部屋ではなくなっていた。
私が返せば、彼は不思議そうな顔をする。
「別に僕はこの家の家政婦ではないからね、君がいない間に片付けをしたり掃除をしたりはしていないよ」
「そうなんですか?」
となると、週末に掃除をしているだけなのにこの部屋は維持されているということになる。私が首を傾げると、神様さんはおかしそうに笑った。
「使ったあとに使ったものを元あった場所に片付けているだけなんだよ。放置していないだけ。この家は物が多いからね、物の場所を決めたら特に理由がない限り動かさないようにしてる」
「へえ……」
「弓弦ちゃんは面倒くさがりだから、君ができそうにない時は僕が手を貸してはいるけどね」
「そういうちょっとしたひと手間みたいなのが苦手なんですよ……」
ヘトヘトだと気が回らないし、あとでやろうと放置しているうちに溜まりすぎて何もできなくなってしまう。デスマーチの後なんかは特にヤバかった。
「となると、やっぱり神様さんのおかげじゃないんですかね」
「そうだと嬉しいけど、僕は特別なことはしていないと思うよ」
「神様さん自身がそうお考えだとしても、私は感謝します」
体温計を片付けて、着替えを出しに行く。
私が一人で住んでいたときは体温計はテーブルに出しっぱなしでお風呂場に直行していたことだろう。彼の目があることで、その面倒臭さよりも行動することを選ぶようになった。たぶん、体温計を出しっぱなしにしていたら神様さんは片付けてくれると思うが、そこまで甘えないのが私である。
「お風呂、ゆっくりしてきていいからね」
「はぁい」
誰かといる生活に憧れていたのかもしれない。一緒にいても苦痛にならない相手との共同生活は自分には必要なことだったのだろう。
まあ、苦痛にならない相手なんて滅多に出会えたもんじゃないけど。
手をひらひらと振って見送ってくれる神様さんを見ながら、自分は恵まれているんだろうなとふと思うのだった。
《終わり》
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