第12話 いつでも未来はその手の中に

サレはミーシェとリノンと別れて首都に近い

孤児院に連れてこられた。


ミーシェとリノンは最後まで泣きながら

「必ず迎えに行くから」とサレに言い続けた。


ミーシェの上司はそれが叶わないことが

分かっていたが、それを伝えることは

できなかった。


『その子は孤児院に行った後の行き先が

決まっている………それは誰にもどうする

こともできないだろう…………』


この時にサレのこの後進んで行く行き先が、

ほぼ決定されたようなものだった。


サレは別に後悔をしない。

その後も後悔してなどいない。


例え………

この時サレが行きたくないと泣き叫べれば、

二人と離れたくないと強く主張できていれば、

何かが変わっていたかもしれないとしても……

結局は今のサレにはどうにもできないことで

あったのだから。


人の人生には分岐点や選択肢を選ぶ時が

何度となく訪れるだろうが、その時に全てを

見通せて万全の準備ができているとは

限らない。

全てのタイミングでの最善の選択が、

時や経験を経た者には判ることが多くあるが

幼い者には判りようがないものである。

その為適切な庇護・保護する者が付いていると

いないとでは天と地ほど人生の難易度が

変わってくる。

その事を理解できるようになるにはまた

長い時間を必要とする。

それが理不尽であるのか不幸であるのか……

どれだとしても、人は進むしかない。

そこに何かがあったとしてもなかったとしても。


サレは優しく彼女を想う二人から引き離された。

この時サレは少しほっとした。

極端から極端へ振り切られると頭の中が混乱し、

理解し受け入れるのが難しくなるようだった。

こちらを本当だとするとあちらが嘘になる。

あちらを本当だとするとこちらが嘘になる。

物事には濃淡があり、どちらも本当で有り得ると

理解するにはサレには余りにも時間が少なかった。


サレにも本当は心の奥の奥の奥底でなんとなく

分かってはいた。

『とても居心地が良く、心が休まる』と。

けれどそれを自覚することを拒否し、

心のずっと奥底に閉じ込めて眠らせた。

彼女の本能はまだ周りを警戒し、疑い、

神経を尖らせていた。



孤児院へ来たサレは、日常生活を学びながら、

人間というものを観察していた。

ここでは特別に過剰な愛情や優しさなどなく、

物事は淡々と進み教えられ、規律を守ること

が重要視されていた。

かえってそれがサレにとって状況を飲み込み

やすくさせていた。

半年ほどで言葉が少ない以外はほとんど何でも

できるようになっていた。

何処かから派遣された家庭教師のような者に

サレだけが特別に教育され、孤児院に来てから

一年後に特殊施設へと入設することになった。

それは孤児院に来た時から決まっていたことの

ようだった。


特殊施設へ行く2ヶ月ほど前にサレは靴が小さく

なり、次の靴を与えられたが、元の靴を別の

小さい子に渡すように言われた。

サレは初めて激しく抵抗した。


「イヤダ、デキナイ。デキナイ。」


と何度も強く拒絶したが許されなかった。

彼女の人生でもこれ程拒否の意を示したことは

珍しく、その事をずっと忘れられないくらい

だった。

靴は取り上げられたが、後で靴紐だけは取り返した。

孤児院には予備の靴紐が何本もあったので

それを取り上げられはしなかった。


サレは靴紐を握り締め手首に巻きつけた。


『これだけは失いたくない。』


と強く思い、心に刻み付けた。


「「ナーナの為に似合いそうな靴を探して探して、

たくさん探して選んだんだよ。足が痛まない

ように少し柔らかめなんだ。」」


「「特にこの靴紐が可愛いの。ほら、紐の先に

赤い刺繍がしてあって、これがとてもいいなって

きっとナーナに似合うわって。」」


言葉の意味はさっぱりわからなかったが、

自分の為に用意してくれた特別な物だと

受け止めることはできた。

それはサレにとって本当に本当に特別なこと

だった。


サレはまだミーシェとリノンの事を覚えていたが

二人が自分に対してどれだけ優しかったかは

悲しいほど理解できていなかった。

きっと二人の事を好きだったけど、やはり

『好き』という気持を理解できなかった。

それでもその二人がくれたこの靴を

せめて靴紐だけでも失いたくなかった。


『きっと自分はあの二人の事を忘れてしまう

だろう…………』


サレはそう予感した。


ディアの事をあの家の事を忘れようとすれば

するほど二人の事も忘れていってしまうのだ。


『全てのことを抱えて、自分の意識にまとわり

付かせて生きていたくない。』


だが上手により分けるなどという難しいことが

この歳でできるわけもなく、強く思えば思うほど

全てを忘れ、記憶を封印していく。


『あの二人の事を忘れても………』


サレは右手首に巻いた靴紐を見つめる。


『私は絶対に忘れない。貰ったんだ。大切な、

大切な何かを。』


窓の外には月が出ていた。

サレは月の下で固く心に誓ったのだった。



ミーシェとリノンはサレが連れて行かれた後、

急いで準備を進めて婚姻し、一年待って

孤児院へ引き取りの手続きをしにきた。

何処に引き取られたのか中々教えてもらえず、

教えてもらった後も、会いに行くことを

許可してもらえなかった。

やっとの思いでやって来たのだったが、

そこにはもうサレはいなかった。


「少し前に特殊施設に入りました。

向こうから望まれての入設です。

これ程の高待遇はありません、あの子は

恵まれていますよ。」


「そんな、特殊施設だなんて、あの子にはまだ

早すぎるでしょう!あの子には無理だ!」


「いいえ、施設の上部と責任者からの立っての

お墨付きをもらっていました。

あの子には適性があると。だからきっと

きちんと任務をこなし、この国の役に立つ

人物となるでしょう。喜ばしいことです。

ですのでお引き取り下さい。」


「そんな……………」


二人はどうしようもない絶望と無力感に苛まれた。

この件に関してずっと上司がよい顔をせず、

情報もほとんどくれなかった意味が初めて

分かったのだった。


ミーシェは悔しくて泣いた。

リノンも同じ気持ちだったが、そっと背中に手を

やり寄り添った。

二人にできることはもう何もなかった。

ただ、ただサレ=ナーナの無事と幸せを願い祈る

しかなかったのである。


「あの子は強くて賢いわ、きっと………

きっと大丈夫よ。」


二人で包みたかった心はどこへ行きどうなるの

だろう。

それでも………

一瞬でも二人の思いやりに包まれたという事実は

彼女の心の奥の奥の奥底に確かに刻まれているの

だった。


サレが特殊施設に入った数カ月後、ディアの実家

から娘と連絡が取れないと警察に連絡があった。

年に何回かは電話や手紙でのやり取りがあったが

全く返事が無くなり、送金していた生活費も

そのままである。様子がおかしい。

とのことだった。


渋る夫を説得し、強引に家の捜索を行うと

階段の下で死後数年が経過した婦人の遺体が

発見された。

階段からの落下事故と結論され不自然な点は

ないとされた。

家には長男が残していった子ども用品などが

幾つもあったが、その他に子どもがいた形跡は

なく、サレがここにいたかはやはり分からない

ままとなった。



望み通りとはいかなくても………

そもそも望みがあやふやでも………

心にほんの少しの「意思」があれば

道はやがて開けてくる。

良い道を行く為には良い選択をしなくては

いけないが、そうはいかない事もある。

それでも、進んだ先にある物に立ち向かい、

戦い、時には上手に避けるようにして進み、

そしてその先に何があるのかは

進んだ者にしか見ることはできない。


それを運命などとは呼びたくない。

皆、誰もが例外なく、命を削り戦って

いるのだから。


           お し ま い

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