第11話 選べるもの選べないもの
しかし願いというのは時にただ無力さを見せつける
ように無情に流されてしまう。
サレはそれから一ヶ月も経たない間に
ある孤児院への引き取りが確定した。
ミーシェとリノンの願いと申請は受け入れられ
なかった。
別れが決まった時、二人は
「必ず迎えに行くから。必ず一緒になれるように
するから待ってて。」
そう何度も伝えた。
サレはその言葉の意味が理解できなかった。
だけど手を握られて嫌ではなかった。
何となくここを離れる。
この二人とも離れる。
それは理解できたのだった。
サレにとって病院に来てからの生活は完全に
新しい世界であった。
まともに人間を見ていなかったサレにとって、
初めて見る「人間達」は………
病院ということもあって悪いものではなかった。
皆が会話をしている。
言葉というもので互いの意思を伝え合っている。
怪我をしたり具合の悪い者を支えたり面倒を
看ることをしている。
そしてサレに対し食事を与え、言葉を教えようと
してくる。
出来なくても別に怒られたりはしない。
与えられるものをただ受け止め、何が起こって
いるのか、何をするべきなのかを理解することは
それほど難しいことではなかった。
ただ…………
なぜだろう気を抜くとふとディアの視線を
感じてしまう。
その度にひやっとする。
ここにディアがいる筈もなく、そもそももう
どこにもいないはずなのに、本当にもういない
という実感に確証が持てない。
生まれてからずっと一緒にいた、まとわりつく
ような憎しみを凝縮した気配。
それをずっと意識して意識して意識して
生きてきたのだ。
「もういない。安全だ。」
という感覚をやすやすと受け入れられない。
意識して「もうあいつはいない」と
自分に言い聞かせないと、すぐにディアの
気配を探してしまい、その度にあの気配を
思い出してしまう。
ミーシェやリノン、その他の人が側にいたり
話かけてくる間はそちらに意識がいき、
平気でいられるが、誰もいなくなると
無意識に緊張し、身体が固くなるのだ。
ディアを意識し、緊張した状態が日常だったの
だから仕方ないのだが、やはりサレは
徐々にその事を苦しく感じるようになっていた。
言葉は覚えたばかりでまだ上手く頭に馴染まない。
ふと靴を見るとあの二人の事を思い出す。
サレは次第に眠る時には靴を抱いて眠るように
なった。
そうするとなんだかとても落ち着くのだった。
ディアといた家の自分の部屋の窓からは月が
見えていた。
ディアは夜は基本的に早く寝るので、月の
出ている間はサレにとって平穏で安全であった。
その為か月を見ると少し心が穏やかになる
気がしていた。
病院の窓からは月が見えなかった。
それがサレにとっては少し落ち着かなかったのだが
靴を抱くことで解消されたのかもしれない。
ここにはディアのような者はいない。
※ディアは社会性も社交性もあり人目を異常に気に
するので、人前では上手く振舞うためもし仮にここにいたとしても、サレが見たことのないような
社交的で魅力的な人物になりきるのだが…………
彼女の剥き出しの本性を知っているのはサレだけで
ある。(夫もある程度は勘付いていたがそこまで
とは思ってはいなかった)
『いったいアレは何だったのだろうか……』
ここにいる人達を『人』と認識してからも
ディアのことを人とは認識できなかった。
言葉も喋り食事も作っていたが………
『けれどアレは何かが違う。何もかもが!』
それ以上は考えることを拒否した。
どうせ何も分かりやしない。
それよりもこのまとわり付く不快感が堪らなく
嫌であった。
ディアの事をあの家の事を心から消し去りたいと
思った。
消したい。
消したい。
消したい。
全てを消したい。
ここで会った人達がまともな『人間』達ならば
自分がされてきたことはいったい何だったのだ?
自分を惨めな塊として認識しそうになると
頭がおかしくなりそうだ。
考えが散らかってきて叫びそうになる。
「うっ………!」
ここで泣くことができたなら少しは気持ちが楽に
なれたかもしれない。
しかしずっと抑え続けたたくさんの感情は
ただぐちゃぐちゃになり整理が付かなくなって
いくだけであった。
あそこで抑え続け、押し殺すことに成功した
感情の数々は彼女が学んだ生存方法である。
それはもはや生きる営みの一部であり、
よくない意味で彼女を強くしていた。
優しい二人の事を思うと頭が割れるように
痛くなる。
今までの自分を全部嘘にしないと彼らのことを
まともに理解できないのである。
(己の考え方を根幹から変える必要があり
幼い子どもにそれができるはずもなく……)
しかし……………
サレはゆっくり息を吸って吐き、そして考えた。
新しく何かを感じようとするから苦しくなる。
何も感じる必要はない。
今までのように……………
サレは新しく学ぶべきものと新しく感じるべき
ではないものがあると結論付けた。
じっと目を閉じ靴を抱きしめる。
『多分ここで切り捨てると決めたものは……』
きっと今後の人生に大きく影響するだろう。
だが長く限界ぎりぎりで生きてきた彼女にとって
取れる手段が少ないことを嘆く余裕はない。
全てを切り捨てる。
勿論あの二人に対して感じる何かも。
分かってはいる。
分かってはいても……
サレは靴を強く抱きしめるのであった。
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