第3話 最悪の環境
サレには今生きているという自覚がなかった。
生きているという自覚がないのだから、死という
概念もまた持ち合わせていなかった。
与えられた食事を口にするのは本能に従って
の行動で、空腹は感じるが、それらの欲求や
行動に何の意味も見い出せなかった。
ディアの機嫌を損ねるとよく食事を抜きに
されたが、それに対して別に何も思わなかった。
欲求という欲求を全て踏みにじられ、自分の
意思を出す事を禁じられていたサレは
怯えながらウロウロするのが精一杯であった。
2歳の終わりか3歳頃から掃除を教えられ
色んな場所を掃除していた。
それ以外の時は与えられた部屋でじっとしていた。
部屋には汚い毛布と存在を知らない兄の使って
いた玩具が少しあった。
玩具の使い方が分からないサレはその玩具を
投げつけるくらいしか使いようがなかったが
大きな音を出すとディアが怒るので、
軽く叩きつけるくらいしかしようがなかった。
サレには2つの欲求が同時にあった。
ディアの声を聞きたくないという思いと、
言葉というものへの興味からディアの声を
声というより言葉を聞きたいという思いだ。
どちらがいいか分からなかった。
どちらでもいいとも思っていた。
会話の無いこの家で、ディアは誰かと喋りたい
欲求を持っていた。
しかしサレとは会話をしたくなかった。
会話をするのは対等に近い関係であると
感じられたし、サレに対して汚くてどうしよう
もないものという以上の感情を持ちたくなかった。
この汚くてどうしようもないものの世話をしてい
る自分はとても優しく慈愛のある存在だと
自認していた。
虐待(又はそれに準ずる行為)をする親が
被虐待児を手放さない理由の一つの考察として、
まず虐待をしている自覚が無いこと
(にしている)が大きい。
相手が悪いから怒っている、躾けていると
本気で思っている。
むしろ育てにくい子を世話してる優しくて正しい
親、行いだとさえ思っている……のかもしれない。
しかし一番大きい要因は理想の自分と剥離して
いる現実の自分に対する憤りと不満をぶつける
対象が必要なだけ……なのかもしれない。
自省と正しい自己分析というものはある程度の
知性と精神力を必要とする……かもしれない。
このような仮説を前提として話を進めます。
本当のところは本人にしか分からないので……
しかしこの仮説に沿って説明をすると、
このような親は見窄らしい子どもを忌み嫌い
ながら子どもが見窄らしくないと許せない
のである。
子どもが自分より幸せだったり満たされていと
腹が立つ、癪に障ると感じる親が存在している
ことを理解している人がどれくらいいるのか
分からないが、そういう人間は存在しているし
そういう人間の心を他人がどうにかすることは
できないのである。
こうしてディアはサレに対して怒鳴りつける
命令するの他に相手が理解していないと分かって
いつつ、
「おお、嫌だ。汚らしい。」
「お前を見ているだけで気分が悪くなる。」
等の嫌味や蔑みの言葉を投げかけるのであった。
サレはディアの思う通り言われた言葉の意味を
理解してはいなかった。
だが「目は口程に物を言う」という言葉通り
ディアの表情から相手が自分に対してどう
思っているかを読み取れた。
その表情の意味を理解すればする程ディアに対する
嫌悪の感情が芽生えてきた。
サレの中には食欲も生きる意欲もほとんど無い。
喜怒哀楽も正直あるのか読み取れなかったが、
嫌悪の感情だけははっきり持っていて自覚
もしていた。
その嫌悪の感情が高ぶるとどうなってしまうのか
自分でも分からず、とにかくディアという
存在から離れたいと本能で思うのだった。
サレはできるだけそちらを見ないようにし、
そちらに近付かないよう努力した。
ある時からディアを見ないように努めたので
サレは生涯ディアの姿を思い出せなくなるが
サレにとってそれは何の問題もない事だった。
ディアは初めはサレを見下し、蔑んでいた為
意識的に避けられていることに気が付かなかった。
サレが4歳になった頃から、ふと自分が
サレの顔をほとんど見ていないことに気が付いた。
よくよく見ればサレが自分から逃げているのが
はっきり分かってきたのだった。
こちらから嫌うことは許されても、向こうから
嫌うことは許されない。
ディアの憎しみと怒りは頂点に達し、それからの
扱いの酷さは激しさを増していった。
自分の手が痛くなるので暴力はそれほど多くは
なかったが、罵り続けている最中に気持ちが
昂ぶると殴りつけることもしばしばあった。
サレは殴られる時、相手の殴る(又は叩く)
手の動きをよく見ていた。
その軌道をよく見て寸前で少し躱すことで
(相手には当たった感覚が残るように)
痛みを軽減できることを学習していた。
そのうち打撃の為の腕の僅かな動きや筋肉の
力の入り方で次にどう動くかも予想できるように
なっていった。
その為ディアからの暴力はそれほど苦痛では
なかったが、ディアの怒鳴り声とディアに
触れられることが余計に嫌悪の情を高めることに
なっていくのだった。
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