第2話 ディア(仮)と家について(2)
ディアにとってその子は自分と夫との生命線であると考えていた。初めのうちは。
『夫も色々な行き違いと思い違いで今は私に厳しく
してくるが、きっと自分が悪かったと気付くはず。赤ちゃんの事だってきっと気になっているはず
だわ。あの人はああ見えて子どもを大切にするし
この子が立派に幸せになっていれば、私のことを
見直すに違いない。』
そう本気で自分に言い聞かせ、帰って来ない夫に
対して納得のいく理由をつけていた。
稀というよりは頻繁に癇癪を起こして暴れたりも
していたが、その女児が1歳半くらいになる
までは根気強く母親として順調に育てようと
していた。
しかし夫が家に帰って来ないことを周りに
知られたくないので、ディアもほとんど外に
出なくなり、食料品を宅配してもらう以外は
他人と接触することもなくなり、
その子に至っては外に出すことも全くなかった。
その子……仮で「サレ」とします。
保護「され」る子、育成「され」る子から。
この子にも親から付けられた名前がありますが、
その名前で呼ばれることはほとんどなく、
この子自身もその名前を忌み嫌うであろう
ためです。
サレにとって動く物はディアしかいなかった。
赤ちゃんや子どもというものは身近な物から
音や動きを学習するものである。
サレはディアの動きを真似ようとしていた。
それがどうしようもなくディアの癪に障るの
だった。
彼女にも赤ちゃんを可愛いと感じる心が
多少はあったかもしれない。
しかし彼女にとってサレは夫が帰ってくる
口実の為に生かされているに過ぎなかった。
もっと何かを知りたい、交流したいと自我を
持ち始め、働きかけてくる幼子が
煩わしくて仕方なかったのである。
「お前は私のお陰で生かしてもらっているに
すぎない!それを忘れるな!
何かしてもらえると思うな!
与えられた物で満足しろ!
私の許す範囲でしか行動するな!
私の許す範囲でしか息をするな!
お前なんて本当は………いなくてよかったのに!」
こういった感情が爆発するまでにそれほど
時間はかからなかった。
一度爆発してしまうと、もう二度と甲斐甲斐しさ
などその心には宿らないのであった。
それからは彼女は忌み嫌っている態度を隠す
どころか明白(あからさま)に出すようになり
サレを露骨に粗末に扱うようになった。
サレの声も聞きたくないと思った彼女は
サレに声を出す事を禁じた。
しかし命令には従わせたいのでしっかり聞き分け
るように何度も怒り、ディアの言葉を理解する
まで怒鳴られ体罰を受けるのだった。
ディアの人間性が夫を遠ざけたのだったが、
次第にサレがいる所為で夫が帰ってこないのだ
とディアは思い込むようになっていった。
このような人間に真実は必要ない。
自分にとって都合のよい筋書きさえあれば
それに縋って生きて行く。
事実を指摘する者(がもしいれば)は彼女の
敵と認識され、下手すれば憎まれ攻撃される
のである。
こうしてディアの憎しみを一身に受けてサレは
育っていった。
育つという言葉が正しいかは分からない。
ディアもまた整合性のとれない複雑な心境を
抱えてサレを育てていったのである。
※育ててという………略
ディアにとって自分は世界で一番素晴らしい
妻であり母親であった。
その為いつもきちんと家を片付けて綺麗にし、
食事もきちんと作っていた。
だがサレの事が邪魔で憎かった。
オドオドとして暗く汚い姿をしている。
美味しい食事を与えることが何となく惜しくて
いつも冷めた不味いスープを与えていた。
『私の娘なら快活で明るく美しく、可愛く私に
甘え、誰もが羨むような母娘になれるはず
なのに!』
と自分で遠ざけた可能性に対してまた憎しみを
募らせる。
誰もが羨むような娘であれば嫉妬し余計に憎く
なるなど微塵も自覚しない。永遠に。
『私がお前を嫌うのは、お前が疎ましいのは
お前自身の所為だ!!!!』
ディアの心はこの考えで支配されていた。
自分で選んだ、自分にとってのみ都合の良い
思考であるが、もし仮に誰かがそれは良くないと
指摘しても、自分は何一つ悪くない、
誰かの所為でこうなったと喚き立てるであろう。
仕方ないことである。
誰もが良い所作を行える(可能性がある)
などというのは幻想などではない。
絶対に起こり得ないことなのである。
サレにとってディアという人間の性質を見抜く
ことは聡さや能力などではなかった。
生命に直結する死活問題であったのである。
最初は怒鳴り声に怯えていたこの子もやがて
少しずつそれに慣れていった。
幼い身で物事を全て理解する事は難しいことで
あったが、外的刺激のほぼ全く無い中で相手が
何に対して怒り、どの行動でどう反応するのかを
理解することは段々と難しくなくなっていった。
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