最終話-8(終) 姫騎士さんは今日も死にたい



 ヒメナイトは、腕の中のナジャを、そっと、地面に立たせた。

「ヒメ様……」

 顔を涙でクチャクチャにしてささやくナジャ。

 魔王はヒメナイトの方へ向きなおり、

「きさま……ヒメナイ……」

 と!!

 ガイィンッ!

 撃音げきおんがあたりに響く。

 すさまじい脚力で一瞬にして間合まあいをつめたヒメナイトが、超高速の正拳せいけんづきを、くりだしたのだ。

 対する魔王は、とっさに《光の盾》を発動。どうにかこぶしをはじき返したが、タイミングはギリギリだった。

 魔王のひたいあせが流れる。

(なんだこいつは!?

 動きが……速すぎるっ!)

 瞬転しゅんてん、ヒメナイトが地をった。

 魔王の横をすりぬけ、瞬時しゅんじ背後はいごへ。その勢いのまま回しりを魔王に叩きこむ。

 魔王はふたたび《光の盾》で打撃をしりぞけ、同時に《烈風刃れっぷうじん》の術を撃つ。

 広範囲に圧縮あっしゅく空気くうきの刃をバラまく術。

 さすがにこれは身のこなしだけではけきれないと見たか、ヒメナイトが大きく跳躍ちょうやくして後ろに退いた。

(この女! 拳法けんぽうも使うのか!?)

 と魔王が驚くのも無理はない。

 剣聖が弟子たちに教えていたのは、決して剣の道ばかりではなかった。

 剣にくわえてきゅうそうぼうじゅんげきべん、はては徒手としゅ空拳くうけん拳法けんぽうにいたるまで、ぞく武芸ぶげい十八般じゅうはっぱんと呼ばれる戦闘技術を全ておさめている。

 いつもいつも、得意の武器が手元てもとにあるとは限らない。

 ゆえに、どんな状況じょうきょうでも戦えるように、剣聖がヒメナイトに仕込しこんでくれた。

 すなわちこれは、恩師おんしからのおくり物なのだ。

「だが! 剣がなければ威力いりょく半減なのは、いなめまいっ!」

 魔王がわめき、術をまき散らす。

 《爆裂火球》、《烈風刃れっぷうじん》、あるいは《光の矢》。

 ヒメナイトは魔王の周囲を駆けまわり、次々に襲いくる凶悪な魔術を、かわし、くぐり、飛びこえ、けて、ランランと燃える目で魔王のすきをうかがう。

 その速度はまさに閃光せんこう。あまりの速さに、魔王のほうは目で追いきれていない。見当違けんとうちがいの方向に術を撃ってしまう。

(――今!)

 すぐさまヒメナイトが走る。魔術の弾幕だんまくがゆるんだすきに、一気に鼻先まで肉迫にくはくし、魔王の脳天のうてんへ、跳躍ちょうやくしながらの浴びせり。

 が!

 ギリギリのところで《光の盾》が間に合った。

 りをはじかれ、飛びのくヒメナイト。

 魔王から追撃の術がくる。ヒメナイトは、ふたたび距離きょりを取って術の効果範囲外へ逃れる。

 魔王はほくそ笑んだ。

(ふはっ!

 速いは速いが、このていど!

 剣を振るっていたときよりは明らかに遅い。

 これなら、じゅうぶん対処たいしょ可能だ!)

 そのとき、周囲をかこむ反乱軍の中から声があがった。

「ヒメナイトさん! これを!」

 と、叫んだのは、反乱軍リーダーのユンデ。

 彼が投げ渡したものは、さやにおさまった一振ひとふりの剣。

 放物線ほうぶつせんをえがく剣を、ヒメナイトがつかんだ。

「まずい!」

 そこを狙って《爆裂火球》をはなつ魔王。

 だがその瞬間。

 ギャァッ!!

 爆音とともに、ヒメナイトが消えた。

 かと思えば、魔王の横手に、ヒメナイトがする。

 いや、そんなはずはない。ヒメナイトに、空間を瞬間移動する能力などあるわけがない。

 速いのだ。

 人間業にんげんわざとは思えない常軌じょうきいっした速さのために、消えて、現れた、ように見えたのだ。

(このッ……)

 魔王が焦り、《光の盾》を展開する。

 そこにヒメナイトの剣が――

ヅォァァッ!!」

 一文字いちもんじに走り……

 そして。

 バッ……ギィンッ!

 魔王ですら初めて耳にする異様いような音をたて、《光の盾》が、割れた!

「バッ……!?」

(バカな!? がバリアを打ちやぶっただとォ!?)

 魔王が驚愕きょうがくするのも無理はない。

 《光の盾》は、その気になれば竜の閃息ブレスをさえ防ぎきる強度を持つのだ。

 いかにすぐれた腕を持っていようと、人間の剣士にやぶれるようなものではない……はずなのだ!

 だが、驚きにかまけているヒマはない。さらなるヒメナイトの斬撃が来る。

 魔王は歯を食いしばり、《大爆風》を発動した。

 自己を中心に、おそるべき勢いの風を起こし、周囲のものを吹きとばす術だ。

 直接的な攻撃力はないが、かわりにすばやく発動できる。

 ヒメナイトが風で飛んでいく。だが着地するや、すぐさま前へと突き進む。

「おぉぉぉぉぉおのれぇぇぇぇいっ!!」

 魔王がイラだちの叫び声をあげ、術を撃って撃ってうちまくる。

 ヒメナイトが止まる。ける。あまつさえ、魔王の術を剣で斬ってくぐりぬける。

 術を剣で斬る? ムチャクチャだ! 炎や水を斬ろうとするようなものだ。

 だがそれを、ヒメナイトは実際にやってのけている。

(なんなのだ、この女はっ!?

 速さといい、剣の威力といい、とてもただの人間とは思われぬ!

 だがそれでも……近づけなければ何もできまい!)

 術を撃つ魔王。切り抜けるヒメナイト。

 しだいに、戦況せんきょうが一方的になりはじめた……



   *



(これじゃダメだ!)

 確信かくしんしたナジャが走る。

 決戦を遠巻とおまきに見守る、反乱軍の人垣ひとがきへと。

(なんだかわたし、ずーっと走ってた気がするなあ。

 ヘンなけものに追われたときも。

 故郷を取り戻そうとしたときも。

 竜さんが敵に囲まれたときも。

 予知夢よちむの運命からヒメ様を救おうとしたときも。

 ……これからも、ずっと走っていくんだろう。

 なぜなら)

「ヒメ様には声が必要だ!」

 反乱軍の中に飛びこみ、ユンデの姿を見つけるなり、ナジャは声をはりあげた。

「えっ!? ナジャさん! ご無事ぶじで……」

「いいから!

 みんなに言って!

 ヒメ様を応援おうえんするように!」

「どういうことです?」

「どうもこうもない」

 ナジャは、キッ! とユンデを見あげる。

「ひとりで戦えるヒトなんか、いないんだ!」



   *



 連射された魔王の術が、雨のようにヒメナイトへ降りそそぐ。

 右へ、左へ、電光の速度で切りかえし、そのすべてをけつづけるヒメナイトだったが、徐々じょじょ疲労ひろうの色が見えはじめた。

(よし、いける!)

 魔王が自分の優勢ゆうせいを確信して、笑みを浮かべる。

(そうだ。は魔王! 万物の王!

 たかが人間の剣士ふぜいに、負ける理由はどこにもないのだっ!)

 だが、そのとき。

「ヒメナイト!」

 声が起こった。

 魔王とヒメナイトを取りかこむ、人間たちのからだ。

 一度起こった声援せいえんは、

「ヒメナイトッ!」

「ヒメナイト様ァ!」

「がんばれ!」

「俺たちの英雄!」

「ヒメ様ァ!」

 次々に次々にきあがり、やがて巨大なうねりと化して、あたり一面を飲みこんだ。

「ヒメナイト!」

「負けるな!」

応援おうえんしてるぞ!」

「かっこいいーっ!」

「私たちを救ってェ!」

「たのむ! 魔王を倒してくれ!」

「ヒメナイト!」「ヒメナイト!」「ヒメナイト!」「ヒメナイト!!」

 とどろ大群衆だいぐんしゅう大歓声だいかんせいに、魔王のイラ立ちは頂点に達した。

「やっ……やかましいぞきさまらァーッ!」

 だが魔王がどう叫ぼうと、ヒメナイトを呼ぶ声は止まらない。

 人々の意志が、千万の声が、今、ひとりヒメナイトを求め、ヒメナイトをはげまし、ヒメナイトのつるぎおのれの希望をたくしている。

 その事実は、いかなる権力者でも、実力者でも、決してくつがえすことが……できない!

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 ヒメナイトは、魔王の術をけるために休みなく駆けまわりながら、全身で、浴びるように声を聞いている。

 ずっと欲しかったもの……称賛しょうさんの声。

 だが、違う。

 必要なのは、

ァァァーッ!!」

 ヒメナイトが前へみこむ。瞬時に魔王を間合まあいにとらえ、神速しんそくの剣をくりだす。

 魔王は、《光の盾》の2枚がさねでこれをハジき、同時に攻撃魔術を撃ちこんでヒメナイトを後退こうたいさせる。

 もう何十回くりかえしたか分からない応酬おうしゅう

 だが、魔王はこのとき、必殺の策をめぐらせていた。

(もう許さぬ! この我が最大最強の術で、きさまを確実にほうむりさってくれる!

 そうら……術式が完成したぞッ!)

 魔王がひそかにんでいた術、それはもちろん――

「死ねェッ! 《ぜる空》ァァーッ!!」

 魔王の手から放たれた光弾こうだんが、ヒメナイトにせまる。

 いくらヒメナイトの速度でも、効果範囲外まで逃げるのは……無理!

ったッ!

 の勝ちだァッ!)

 が。

 ヒメナイトの目は、まだ燃えている。

 何を思ったか、ヒメナイトが……前へ出た。

 《ぜる空》を、背中で浴びる位置へ。

 その直後、光弾こうだん炸裂さくれつ

 巻きおこる大爆発。

 あろうことか、ヒメナイトは……その爆風に乗って、前へ、魔王へと飛んだ!

「なあっ……!?」

 完全に予想外の行動に魔王の対応が一瞬、遅れた。

 爆炎に背中を焼かれながら、文字通り疾風しっぷうの速度でヒメナイトが来る。

「《光の》……」

 《盾》を発動するより速く。

「……ィィィイイァァァァアーッ!!」

 ヒメナイトの剣が、魔王のどう両断りょうだんした!



   *



 上半身と下半身とに斬り分けられ、地面に倒れるまでのわずかな時間……魔王は、最後につかんだ最悪の事実に、意識のすべてをとらわれていた。

(やはり……

 今、確かに感じた。この異様な生命魔力の波形……

 まちがいない。

 力ある九頭竜パワー・ナイン……

 喪葬の黒玉モーニング・ジェット……

 王にして神たるもの……

 《王神カイゼリン・ウント・ケーニギン》っ……!

 まさか、こんなところに顕現けんげんするとは……

 ああ、気が遠くなってきた……これが死……

 これで終わりか……

 世の中を、キレイにしたかった、のに、なあ……)



   *



 どざっ……

 ふたつになってくずれ落ちた魔王。

 そのそばに、ヒメナイトもまた、倒れて転がった。

 まわりの人々は、この光景を見……

「やっ……」

「やったああああああああ!!」

「勝ったああああああああ!?」

「魔王を倒した!」

「助かったんだァ!」

 拍手はくしゅ喝采かっさい抱擁ほうよう感涙かんるいありとあらゆる方法で喜びを表した。

 だが、喜べない者も、1人いる。

「ヒメ様ァ!」

 ナジャだ。

 ナジャは悲鳴をあげて、ヒメナイトに駆け寄った。

 うつぶせに倒れたヒメナイトにすがりつき、ボロボロと涙をこぼす。

 大丈夫? などと問うのもおろかしい。竜さえ撃ち落とした魔王の術を、背中へモロに浴びたのだ。

 無事なわけがない。

 ヒメナイトは全身から、焼けげた異様いようにおいと、白い不気味ぶきみけむりとを、今もはなちつづけている……

「ヒメ様! しっかりして! ヒメ様! ヒメ様ァ!」

「っつつ……ちょっとどいて。そこどいて! オラッ! ナジャ! ボヘェーとしてないでよろいぬがせろ!」

 と、悪態あくたいつきつつ飛んできたのは、キリンジだ。

 ナジャは涙にぬれた目を丸くする。

「キリンジッ! 無事だったの!?」

「『だったの』じゃねーよ! ヒトがかげでどんだけガンバってたと……

 ああもう! 《小治癒》かけるんだから! そうそう。慎重しんちょうにな。

 《小治癒》~

 いいかんじになおれぇ~い」

 おちゃらけているが、キリンジも、全身にかなりの火傷やけどっている。

 それはそうだ。彼女も、竜と一緒に《ぜる空》の爆発に巻きこまれたのだ。

 とっさに竜が手で包んで守ってくれなかったら、今ごろキリンジは、炭ひとつ残らず燃えつきていただろう。

 とはいえ……生きている。

 痛みをこらえて道化どうけを演じられるていどには、元気。

 見れば、奥のほうでは、雪花石膏のアラバスタ・ヴルムが、弱りきった体でどうにかヒメナイトたちへ視線を向け、グッ、と親指を立てていたりする。

 ナジャは笑った。

 笑いは、涙の味がした。

「……ナジャ」

 弱々よわよわしい声でヒメナイトに呼ばれ、ナジャは、バッ! とヒメナイトの上におおいかぶさった。

「ヒメ様! 気がついだんだっ!」

「うん……やったね」

「……はいっ! やりましたね!

 ね……ヒメ様」

「うん?」

「大丈夫、ですか?」

 ヒメナイトの全身に、痛みが走った。

 一瞬顔をしかめて、それからヒメナイトは、かすかに笑う。

「死にたい」

 そして、おだやかに息を吸い、

「でも……死ぬのはまた今度にしよう」

 背中を温める《小治癒》の熱を感じながら、たまらなく心地ここちよい眠りにおちたのだった。



最終話 完

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