最終話-5 真実



 ユンデに案内あんないされてナジャが向かった先は、城壁じょうへい内にある歓楽街かんらくがい……

 その一角いっかくの、おおきな風呂屋ふろやだった。

 くだんの内通者ないつうしゃが、交渉こうしょうの場所に指定してきたのが、この店だ。

 この当時の風呂屋ふろやは、たんに風呂ふろに入るだけの場所ではない。

 食事、飲酒、散髪など、さまざまなサービスを受けられる総合そうごう娯楽ごらく施設しせつなのだ。

 建物の中には、ついたてで仕切しきられた木製の風呂ふろおけが、いくつもならんでいて……

 客は、1人につき1つずつの風呂ふろおけをあてがわれ、そこでゆっくり入浴しながら、好みのサービスを受ける。

 なかには、女性店員がいっしょに入浴してくれる、などという、いかがわしいサービスを売り物にしている店もあり……

 そんな風呂屋ふろやでは、ちょっと口に出すのがはばかられるような行為こういも、とうぜんのように横行おうこうしていたのだった。

 こういう店に通いつめる魔族はめずらしくなく……

 サービスするがわの人間が出入ではいりするのも、ごく自然。

 両者りょうしゃがこっそり落ちあう場所としては、たしかに、ぴったりと言えなくもない。

 店に入ったナジャの耳に、まず聞こえてきたのは、女性のカン高いあえぎ声。

 そしていくつものバカ笑い。よっぱらいの意味ない叫び。店員を呼びつける怒鳴どなり声。

 それらを意にもかいさず、ナジャは、ツカツカと店の奥にみこんだ。

 奥の一室には、カーテンで目隠めかくしされた、他よりひとまわり大きな風呂ふろおけがあった。

 ジャッ! と、ナジャがカーテンを開く。

 そこに、目的の人物がいた。

 はだかの女2人を左右にはべらせ、だらりと風呂ふろにつかっている魔族。

 その名は、餓狼がろう将軍しょうぐんザザン。

 かつて雪花石膏の竜アラバスタ・ヴルムを狙っていた、あの魔族の指揮官である。

 よりにもよって、魔王軍にいる内通者ないつうしゃというのが、この男だったのだ。

「おう、来たか。

 お前ら、もうあがっていいぞ」

「はぁーい」

 女たちが風呂ふろおけからまたぎ出て、布を体に巻きつつ去っていく。

 部屋の中には、裸の魔族ザザン、ナジャ、その後ろで警戒の目を光らせるユンデ、この3人だけが残された。

「あなたが内通者ないつうしゃ?」

「そういうおじょうさんが交渉こうしょう相手なんだってな。

 反乱軍にしちゃカワイイ顔してらァ」

「カワイイのは生まれつきだ。

 それで、魔王城に忍びこむ方法っていうのは?」

 魔族ザザンはヘラヘラ笑って、風呂ふろおけのフチから身を乗りだした。

「あんた、家事はできる?」

「たしなむていど」

「けっこう。

 そんなら話はカンタンだ。

 女中じょちゅうとしてやとわれればいい。

 部屋係ハウス・メイド厨房係キッチン・メイド皿洗いスカラリー・メイド洗濯係ランドリー・メイド、その他もろもろ……

 魔王城は慢性まんせい的な人手不足だからな。

 俺が口ききすれば、無審査で即採用さ。

 城に入りこんだあとは、そっちで好きにやってくれ」

「ひとつ聞きたいんだけど」

「あん?」

「わたしたちに協力して、あなたに何のメリットが?」

「いいじゃねーの、そんなこと」

「腹をわって話す気がないなら、この話はなかったことに」

 ナジャは冷たく言いはなち、くるり、と魔族ザザンに背を向けた。

 あわてて腰を浮かせるザザン。

「お、おい! ちょっと待てよ!

 分かった、話すよ」

「聞こう」

「お前ェ……

 ちっのいのにキモが座ってんなァ……

 もし俺が『あっそう。じゃサヨナラ』って言ったらどうする気だったんだ?」

「そのときは別の手段を考えるまで。

 見かえりもなしに協力を申し出てくる相手なんて信用できない」

「なるほど、こりゃあ手ごわい……

 そんじゃ、ま、はっきり言おう。

 俺は魔族のテッペンに立ちてえのよ。

 あんたたちが魔王を倒してくれりゃ、俺が次の魔王になるチャンスも来る。

 だろ?」

「わたしたちがそれを許すとでも?」

「もし俺が魔王になったら、お前ら人間と和解わかいする。

 人間の国は、あんたたちがおさめる。

 俺は魔族を支配する。

 俺は政治なんかには興味ねえからな。

 あんたらがやとってくれるっつーなら、魔王軍まるごと傭兵団ようへいだんにくらがえしたっていいんだ」

「それ、他の魔族が納得なっとくするの?」

「するしかなかろうぜ。

 はっきりいって、今の魔王軍は、ムリな拡大政策のせいでガタガタなんだ。

 戦力は無い。金も無い。食料すら足りてない。

 最近じゃあ、新しい土地を占領せんりょうして、ねこそぎうばった物資でなんとか組織を回してる……

 自転車操業そうぎょうどころか、ザルに水をそそいでるみたいなもんだ。

 千人にも満たない魔族で、一国の人間を支配しようなんて、どだい無理な話だったのさ。

 結局、侵略しんりゃく戦争せんそうの手じまいと、組織の縮小しゅくしょう再編さいへん不可避ふかひ

 どうせ崩壊ほうかいするなら、あんたがたと業務ぎょうむ提携ていけいして軟着陸なんちゃくりくを狙うのも、悪くねえだろ?

 な……損はさせねえぜ?」



   *



 そのころ、ヒメナイトは魔王の術中じゅっちゅうで、あえいでいた。

 ヒメナイトが見ているものはまぼろしだ。

 まぼろしだが――真実だ。

 正しいか、まちがっているか。

 事実か、事実でないか。

 そんなことは、たいした問題ではない。

 どんなタワゴトでも、いったん信じこめば、それがそのヒトにとって、たったひとつの真実になる。

 他人からは、どんなにバカげて見えようと……

 どれほど認知にんちゆがんでいようと……

 ヒメナイトの見ているものだけが、ヒメナイトの世界における真実。


 そう、あのときも。

 ヒメナイトは、喪服もふく姿の兄弟子あにでしに、いきなりむなぐらを、つかまれた。

「なぜ一目ひとめ、顔をお見せしなかった!?」

 この兄弟子あにでしは、強いヒトだった。

 どんなにつらい修行しゅぎょうにも、にっこり笑って取りくみ……

 後輩こうはいであるヒメナイトにも、いつも親切しんせつで……

 おだやかな、優しいヒトだった。

 その兄弟子あにでしの目に、今、涙が浮かんでいる。

 あの兄弟子あにでしが、鬼の形相ぎょうそうでヒメナイトを、にらんでいる。

「お師匠様ししょうさまはなあっ……

 お師匠様ししょうさまはお前を! 誰よりいちばん気にかけていたんだぞ!?

 やまいに倒れて、剣をにぎるどころか、立ちあがることすらできなくなっても!

 『ヒメナイトはどうしてる? 誰かウワサを聞いてないか?』って、そればっかり気にしてさあ……!

 それなのに、お前はっ……

 お師匠様ししょうさまからさえ逃げだしてェッ……!

 お前ってヤツはァーッ!!」


「お前というヤツはァ!

 今度こそ許さん!!」

 寒い寒い、風ふきっさらしの城壁じょうへき上に、7歳のヒメナイトは、ほうり出された。

 投げ落とされて、ほおでふれた石床は、氷のように冷たかった。

 だがそれ以上におさないヒメナイトを震えあがらせたのは、振りかえって見あげた父の……国王のきびしすぎる目だったのだ。

「ちちぅぇ……」

 こわばったしたで、ようやくはっした呼びかけは、しかし、父王ふおう一喝いっかつに、かき消された。

「また講義こうぎ中に、いねむりをしたそうだな!

 なぜだ!?」

 問われて、ヒメナイトは答えにつまる。

 いねむりの理由は単純、昨夜さくやあまり寝ていないからだ。

 家庭教師から出された宿題があまりにも多く、泣きながらそれをやっているうちに、眠る時間がなくなってしまったのだ。

 だが、それを正直に言って、どうなる?

 『いいわけをするな、バカ者!』そう怒鳴どなられるのは目に見えている。

 なぐられるかもしれない。

 水をかけられるかもしれない。

 言えない。

 怖い。

 泣くしかない。

 しかし父王ふおうは、容赦ようしゃなく、たたみかけてくる。

「言え! 言わんか! 言ってみろッ!

 なぜ言わん……イライラさせるなバカ者がァッ!

 きさまのようなヤツをクズというのだ!

 政治学せいじがく兵法へいほう文学ぶんがくも知らん……

 そんな無能が、国をしょって立てると思うのか!?

 王位を自覚じかくもない!

 そんなクズは私の娘ではないッ!

 精神病院せいしんびょういんに叩きこんでやろうか!?」

 ヒメナイトは、ボロボロ涙をこぼしながら、必死ひっしに首を振りつづけた。

 精神病院せいしんびょういんというのが何なのか、当時とうじのヒメナイトは、まだ知らなかった。

 ただ父王ふおうから、『生きる権利のないカスどもが集まる地獄じごくのような場所だ』とだけ、教えこまれていた。

 今のヒメナイトであれば、父王ふおうの説明がメチャクチャであることも、その考えがあまりに人道的じんどうてきであることも、かんたんに理解できただろう。

 だが……知識ちしき経験けいけんもない子供にとって、このおどしは、ただただ恐怖きょうふだったのだ……

「ぃゃっ……

 ぃゃぁ……ちちぅぇ、ゃだぁ……」

「イヤならちゃんと勉強べんきょうしろッ!

 努力どりょくしろ!

 なまけるな!

 ヒトとしてやるべきことをやれ!

 これを私は何回お前に言ってきた!?

 言っても言っても言うことをきかない……カスが! ずっとそこにいろッ!!」

 バタンッ!

 父王ふおうは、乱暴らんぼうとびらを閉めて、行ってしまった。

 ヒメナイトは、泣き叫びながらとびらにすがりついた。

 開かない。カギがかけられている。

 城壁じょうへきから降りるには、このとびらをくぐって、とう階段かいだんを降りるしかないのだ。

 ヒメナイトは半狂乱はんきょうらんとびらを叩いた。

「ちちうえ! ちちうえ! ちちぅぇぇ……」

 耳をかすものは、誰もいない。

 風は、雪さえまじえて吹きつづけた。

 いつまでもいつまでも吹きつづけた。

「イヤだっ……

 捨てないで……

 死にたくない!

 イヤだぁーっ!!」


「……イヤだ」

 ヒメナイトは、確信かくしんした。

 あれは、もう何年前のことになるだろう?

 おさないころ、故国ここく隣国りんごくに攻めほろぼされ、父王ふおうも、母も、一族いちぞく縁者えんじゃみな殺されて……

 行き倒れて死にかけていたところを、恩師おんし――剣聖に救われて……

 だが結局、その剣聖の道場どうじょうをさえ、修行しゅぎょうなかばで逃げだして……

 ヒメナイトは、ひとりになった。

 ひとりで各地を転々てんてんとした。

 みよりもなく、財産ざいさんもなく、ヒトとのえんもない、亡国ぼうこくの姫。

 食いつなぐ方法は、ひとつしかなかった。

 ただひとつ持ちえたもの……剣聖から学んだ剣の腕前をいかして、荒事あらごとをうけおいはじめたのだ。

 用心棒ようじんぼうのような、傭兵ようへいのような、魔物狩りの狩人かりゅうどのような……ひどくあいまいな仕事だった。

 かせぎも少なく、いつも腹をすかしていた。

 ギリギリの生活をつづけながら流浪るろうすること、1年あまり。

 ヒメナイトは、ある国の外人がいじん部隊ぶたいにまぎれこんでいた。

 その国は、ロコツに領土りょうど拡大かくだいをもくろんでおり……

 ヒメナイトは、その尖兵せんぺいとして使われたのだ。

 連日れんじつ連夜れんや、ひっきりなしに命令が来る。

 そのたびに西へ走り、東へ飛んで、敵となるものを斬って殺した。

 魔獣、魔族、敵国の兵士、国内の裏切者うらぎりもの……命令とあらば、なんでも斬った。

 はじめこそ、人間を殺すことに抵抗ていこうもあったが……

 矢つぎばやに命じられる仕事のために、ほとんど寝る時間さえ取れなくなり、つもりつもった疲労の中で、ヒメナイトの感覚は麻痺まひしていった。

 このころから、ヒメナイトは体調をくずしがちになった。

 まず吐き気がきた。

 歩くのが異常いじょうに遅くなった。

 なんでもないのに、突然、涙がこぼれるようになった。

 何度も吐いた。

 物がほとんど食えなくなった。

 横になっても眠れず、夜明けまで泣きつづける……そんな夜が増えた。

 仕事も増えた。

 ヒメナイトは人間を、斬って、斬って、斬って、殺した……

 そんなある日。

 外人部隊の隊長に呼びだされ、直接、命令をくだされた。

 国家こっか転覆てんぷくをたくらむテロリストの拠点きょてんを攻撃せよ、という命令を……

「殺せ。1人も逃がすな」

 ヒメナイトは単身たんしん、命じられた場所へ向かった。

 そして、立ちつくした。

 テロリストの拠点きょてん……そう言われて来た場所は、どうということのない、素朴そぼくな農村にすぎなかったのだ。

 突然あらわれた重武装のヒメナイトに、村人たちは、首をかしげて問いかけた。

「これは騎士様、こんな田舎いなかまでよくおこしになりました。

 して、なにかご用で?」

 村の子供たちは、わらわらヒメナイトに寄ってきた。

「わー! 剣だあ!」

「すっげ! さわらして? さわらして?」

 ヒメナイトは、もちまえの内気さで、子供たちから逃げるように、あとずさった。

 どういうことだ? これのどこがテロリストなのだ?

 ヒメナイトは、外人がいじん部隊ぶたいの本部に飛んでかえった。

「どういうことですか」

 問うヒメナイトに、隊長の答えは、ひとこと。

「もういい」

 満足のいく説明は何ももらえず、部屋から追いだされ、とほうにくれていると……

 しばらくして、ものものしい音が聞こえてきた。

 まどからそとをのぞいてみれば、武装した10人ほどの部隊が、どこかへ出撃しようとしていた。

(またどこかで戦争かな。

 どこに行くんだろう……)

 バカだった。

 なぜ気づかなかった?

 あのときすぐに気づいていれば!

 ヒメナイトが『その可能性』に思い当たったときには、すでに、たっぷり半日以上もの時間がすぎていたのだ。

(まさか……あの部隊は……

 あの村を攻撃しに行ったのか!?

 私の、かわりに!?)

「イヤだ」

 ヒメナイトは宿舎しゅくしゃを飛びだした。

「イヤだ。あのヒトたちを死なせたくない」

 駆けた。走った。

 そして見た。

 燃えあがる村。

 転がる死体。

 ヒメナイトに『剣さわらせて』とねだってきたあの少女に……

 槍を突き刺す、武装した兵士。

「あ……

 ああ……?

 ァッ……ァァアアアアアアアァァッ!!」



   *



 ぐぱっ……

 魔王城の石柱せきちゅうにつながれたヒメナイトは、足元あしもと胃液いえきを吐きだした。

 涙が出る。

 涙が止まらない。

「イヤだ。

 もうイヤだ。

 生きていたくない

 死ぬのが怖い。生きるのがイヤだ。

 生きたくない。

 生きたくない。

 もういやだ!!

 死なせて!

 死なせてぇっ……」

 必死ひっしに、ヒメナイトはくさりをガチャつかせる。

 どうして早く死んでおかなかった?

 あんなに死にたかったのに、死ぬのを恐れて、後回しにして……

 今ではもう、何もできない。

 死ぬことさえも。



   *



 今、できることをやる。

 命をけてでも。

 ナジャは今、魔王城の厨房ちゅうぼうにいる。

 着ているのは、紺色こんいろのメイド服。

 女中じょちゅうとして魔王軍にやとわれたのだ。

 餓狼がろう将軍しょうぐんザザンが受けあったとおり、誰にもあやしまれることなく、あっさり魔王城にもぐりこめた。

 しかも、申しこんだ当日から、そく仕事である。ほんとうに人手ひとでが足りてないらしい。

「ではナジャさん、ひととおり分かりましたね?」

 やせた中年の女中頭ヘッド・メイドが、神経質しんけいしつそうにまゆを震わせた。

 ナジャはピンと背すじをのばす。

「はいっ! ありがとうございます!

 まず何からやりましょうか?」

「では2階の廊下ろうか掃除そうじから。それが済んだら……」

 女中頭ヘッド・メイド早口はやくちを右から左に聞き流しつつ、ナジャは固くこぶしをにぎりしめる。

(待っててヒメ様。

 行くからね。ぜったい助けに行くからねっ!)



(つづく)

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