最終話-3 『何者か』になりたい



 あれは、もう、何年前のことになるだろう。

 まだ10代の乙女おとめであったヒメナイトは、師のもとで日々、剣の修行にあけくれていた。

 ヒメナイトの師――伝説の剣聖。

 剣聖は、ときに厳しく、ときに優しく、そしていつなんどきも、見とれるほどに強かった。

 ヒメナイトは剣聖にあこがれ、剣聖のようになりたい一心いっしんで、懸命けんめいに技をみがいたのだ。

 最初の1年で、基本のかたを体に叩きこみ……

 次の1年で、かずかずの剣聖剣技を身につけた……

 だが。

 それからさらに2年がすぎたころ。

 道場から少しはなれた、人気ひとけのないがけっぷちに、ひざをかかえてすすり泣く、ヒメナイトの姿があった。

「っく……

 ひっ……ぐぅっ……!」

 涙が、涙が、止まらない。

 夕暮ゆうぐれ前に流れはじめた涙は、とっぷりと夜がふけて、空が星々ほしぼしにおおわれても、まだ彼女のひざをぬらし続けていた。

 そこへ、足音がひとつ、近づいてくる。

「いたいた。

 もうばんメシめちゃったぜ、ヒメ」

 あらわれたのは……

 ヒメナイトの師。すなわち、剣聖そのひとだった。

 剣聖は、ヒメナイトのとなりに、どっかりとアグラをかいた。

 しばらく、2人、声もないまま、夜風よかぜをあびる。

 やがて剣聖は、星空をあおぎ見ながら、大きく背のびをした。

「修行、イヤになっちゃった?」

「ちがいますッ!」

 反射的はんしゃてきに出た叫び声は、涙でグズグズにくぐもっていた。

 ヒメナイトは、勢いよく剣聖に顔を向ける。勢いあまって剣聖にぶつかりそうになる。

「ちがいますっ……

 私は……お師匠様ししょうさまも、剣の道も……」

 言葉につまる。

 剣聖が、ヒメナイトの腕に、そっとふれた。

 そのとたん、ヒメナイトの中にずっとためこまれていた暗い感情が、せきを切ったように吹きでてきた。

「私はッ……

 私はクズなんだッ!

 修行をはじめて5年目なのに!

 いつまでたっても私だけ奥義を会得えとくできない!

 エレカ先輩せんぱいは、とっくに免許皆伝めんきょかいでんで!

 おないどしの子たちにも置いて行かれ!

 サクヤちゃんなんてっ……私よりずっと年下で、修行をはじめたのも最近なのに、もう……私じゃ全然かなわないほど強くなってる!

 ダメなんです……

 私はザコだ……

 ごめんなさい……

 私には、お師匠様ししょうさまに教わる資格しかくがない……!

 私にはがないっ……

 私は……

 私は『何者なにものか』になりたい!!」

 涙が出る。

 涙が出る。

 後から後から、涙が出る。

 イヤなのは、修行でも、師匠ししょうでもない。

 自分だ。

 自分自身の弱さと、無能さだ。

 のろっても、のろっても、生きつづけるかぎり切りはなすことのできない、みにくくさった、自分という人間だ……

 剣聖は、しばらくだまっていたが……

 やがて、

 ぺちっ!

 と、ヒメナイトのおでこを、指ではじいた。

「コラ」

「っ……」

「あのよォ。言いてえこと、めーっちゃくちゃいっぱいあるんだけど!

 あたしに教わる資格しかくがホントにないなら、とっくに道場どうじょうおいだしてるし。

 『生きる権利』とか『何者なにものか』とか、ンなもん、どーーーーーぉでもいいし!

 まあでも、そこらへんのこまかい話は置いといてさ。

 1個だけ、師匠ししょうとして、テメーに言っとくぞ」

 どん、と、剣聖のこぶしが、ヒメナイトの胸にふれた。

「自分を見るな。

 世の中を見ろ」

「え……?」

「お前、ホントはだろ?

 だから自分の手元てもとばっか見る。

 何ができないか?

 誰より下か?

 そんなふうに他人と比較ひかくしてるようでいて、実は、自分自身の理想像と今の自分を比べてる。

 大好きな自分と、今の自分が、かけはなれすぎててツラいんだろ?

 でもな!

 そんな考えかたは、テメーをぜんぜん幸せにしねえ!」

 剣聖は、わきに置いておいた一振ひとふりの剣を、さやごとヒメナイトに押しつけた。

 それは、ヒメナイトの剣。

 道場の道具置き場に、投げ捨ててきてしまった、ヒメナイト自身の剣だった。

「テメーには、もう、剣があるだろ?

 だったら、うことは、ただひとつ。

 その剣で――お前は誰を守りたい?」



   *



「う!?」

 ヒメナイトは目を見開いた。

 のしかかってきそうなほどに重苦おもくるしい、石の天井てんじょうが見える。

 ベッドに横たわっているヒメナイトの上には、うすい毛布が1枚。

 まくらもとでは、キリンジが猫のように丸まって、寝息ねいきをたてている。

(そうか……)

 ヒメナイトは、ホッと息をついた。

 どうやら、ここは反乱軍の地下基地きちらしい。

 卒倒そっとうしてしまったあと、基地きちの一室に寝かされていた、ということだろう。

 体を起こし、横に目をやる。

 ベッドのそばでは、イスにこしかけたナジャが、うと……うと……とふねをこいでいた。

「……ナジャ」

「ん……?

 あ! わ!?

 ヒメ様! よかった、意識、もどったんですね」

「ありがとう。つきそってくれて」

「いやー! いねむりしちゃって……お恥ずかしい……!」

 ナジャは、ごまかし笑いしながら頭をかく。

 ヒメナイトも、つられて笑い……

 ポロッ、と、涙をこぼした。

「!」

 泣いたヒメナイト自身がおどろいている。

 完全に無意識の涙だった。

 べつに悲しくもない。つらくもない。なのになぜか、涙だけが、わいて出てくる。

 ナジャが、心配してヒメナイトの顔をのぞきこんだ。

「ヒメ様……」

「あれ……変だな。なんで涙が……

 いや。ぜんぜんつらくはないよ。大丈夫」

「大丈夫じゃないです。

 理由もなく泣くのって、ぜんぜん大丈夫じゃないですよ」

 ナジャが、グッとヒメナイトへ身をよせて、彼女の手をにぎった。

 ポチャッとした小さなナジャの手が、そのばいほどもあるヒメナイトの大きな手を、キュッ、とつつみこむ。

「わたし、ヒメ様のこと、好きですよ。

 大好きです」

「……いつも、ありがとう。

 はじめて会ったときからずっと……私が苦しいとき、いつもそう言ってくれるよね。

 うれしいよ。

 生きててよかったって思う。

 体調も良くなった。

 ごはんもおいしい。

 ナジャのおかげ」

「うへへ〜!」

「でも……」

 ごし……とこぶしで涙をぬぐい、ヒメナイトは、表情をくもらせる。

「本当にこれで……いいのかな」

「えっ? それって――」

 ――どういう意味?

 と、ナジャが疑問ぎもんを口にしかけた、そのときだった。

 ゴッガァァアアッ!!

 突然とつぜん、つきあげるような衝撃しょうげきが、地下基地きちをゆるがした!



   *



 夜空が見える。

 いきなりの大爆発によって、地下基地きちの屋根が吹き飛び、大穴があいてしまったのだ。

 その穴から……

「まったく、なさけないっ」

 人影ひとかげがひとつ、《風の翼》の術で浮遊ふゆうしながら、スーッ、と下へりてくる。

 どうやら魔族の術士らしいが……

「相手は魔剣を使っているのだから、魔法力線を《広域探査》でたどれば、居場所など一発で分かるじゃないか。

 このていどの応用もできないとは……

 我が魔王軍の術士どもも、まるでなっておらんなあ!」

 ぶつくさ文句をたれる魔族。

 下では、反乱軍兵士たちが、松明たいまつを手に、駆け集まってきている。

 炎にらされて、浮かび上がった魔族の姿に……

「まさかっ……!?」

 反乱軍が戦慄せんりつする。

「あれは……」

「魔王!?」

「魔王ムゲルゲミルだァーッ!!」

 魔王は、ピクリとまゆをハネ上げる。

「魔王『様』と呼ばぬか文盲もんもうどもォ!

 《烈風刃れっぷうじん》!!」

 ジィィヤァァァッ!!

 魔王が術を発動したとたん、猛烈もうれつな風が反乱軍に吹き寄せた。

 と、

 ズパッ……!

 兵士たちの腕が、足が、あるいは首が、目に見えぬ刃で斬られたかのように、次々と裂けていく!

「っぎゃ!?」

「ふんぐっ……!」

いてっ……いてェー!!」

 数名の兵士が、悲鳴ひめいをあげて、のたうちまわる。

 ムリもない。傷口は鏡のようになめらかで、奥には白い骨までのぞいているのだ。

 これは魔王の《烈風刃れっぷうじん》。 圧縮空気を刃として撃ちだし、敵を無差別むさべつに切断する、おそるべき広範囲こうはんい大量殺戮さつりく魔術である。

 その脅威きょういのあたりにして、たじろぐ反乱軍。

 魔王は軽蔑けいべつをロコツに表情にあらわし、高みから反乱軍を見くだしている。

「ふん。

 きさまら、と戦うつもりではなかったのか?

 それが魔術を1発くらったていどでしりごみとは……

 ま、義を知らぬ小人しょうじんなど、しょせんこんなものだろうな。

 この魔王がじきじきにちゅうしてやようというのだ。光栄に思って死ぬがいい!」

 魔王が、手の中に次なる魔術の光をともし……

 反乱軍へ投げつけんとした、そのとき。

「みんな下がってェ!」

 ひびきわたるナジャの一声ひとこえ

 ゴバァン!

 とやぶられる基地きちとびら

 そこから飛びだす蒼白そうはくの影――ヒメナイト!

 ヒメが駆ける。ヒメがぶ。疾風しっぷうのごとく空中の魔王に肉迫にくはくし、

ィィィィャアッ!!」

 電撃的な剣速けんそくで魔剣の刃を走らせる。

 だが。

 ギィィンッ!!

 耳なれない高音が鳴りひびき……

 魔剣が、魔王の目前もくぜんで……止まった!

「!!」

 目を見ひらくヒメナイト。

 魔獣だろうと魔族だろうとすべて一刀のもとに斬り捨ててきたヒメナイトの剣が……今、はじめて防がれたのだ。

 彼女の剣を受け止めたのは、魔王の前に展開された、あわく輝く板状の光。

「《光の盾》という術だ」

 魔王は、人さし指を、チッ、チッ、チッ、と左右に振ってみせる。

「人間ごときの力では、まあ、つらぬけまいよ。

 《爆裂火球》ッ!」

 ゴッガウンッ!!

 魔王の術が炸裂さくれつし、巻きおこる火炎と爆風。

 ヒメナイトは肉をがされながら後ろへ吹きとび、床にバウンド。空中で身をひるがえし、はいつくばるように着地する。

 まともに爆発に巻きこまれたように見えたが……ヒメナイトは無事ぶじだ。

 《爆裂火球》を盾でうけとめ、ギリギリのところでなんのがれていたのだ。

 それを見ながら、魔王は、トン、と床へ降り立った。

「ほう? 今のを防いだか。

 なかなかの手練てだれだな。

 しかし、しむらくは、身のほどを知らぬ。

 一介いっかいの剣士ふぜいが、この魔王に戦いをいどもうとは、な」

「……………」

 ゆら……とヒメナイトは身を起こし、魔剣のつかを、にぎりなおした。

(これが、魔王……

 なるほど……強い)

 脂汗あぶらあせが、ヒメナイトのひたいからつたい落ちる。

「ちょっと……やばいな……」



(つづく)

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