第3話 ぜったい死なせてやるもんか!!

第3話-1 ファースト・キス



 体が動かない!

(え!? 何!?)

 ナジャは慌てた。

 なぜかいきなり、ナジャは河原で仰向けになっていたのである。

 起き上がろうにも、指一本動かせない。体が鉄の塊になったかのようだ。

 どうしてこんな状態になってしまったのか、いくら考えても思い出せない……

 と、倒れたナジャに、駆け寄ってくる人がいる。

 ヒメナイトだ。

 ヒメナイトは、ナジャのそばに来るなり、その場にひざまずく。

 そして、ゆっくりと、覆いかぶさるようにナジャへ顔を近づけてきた。

(えっ、えっ、ちょっ……まさか!)

 大混乱のナジャに、ヒメナイトが唇を寄せ……

 優しく、あたたかい……キス。

「んーっ!? むー!?

 んぅんんんーっ♡」



   *



「ぅんにょわぁー!?」

 ナジャは跳ね起きた。

 全身汗だくである。

 あたりを見回せば、そこは旅の途中で泊まった宿屋の一室。

 混乱した頭を整理していき、やがて……

「夢かよぉぉぉぉぉぉお!!」

 ナジャは爆発した。

 顔面が火である。

 なんという夢を見てしまったのか……夢の中とはいえヒメナイトとを……

 夢には人の願望があらわれる、とも言う。

(ってことは……わたし、ヒメ様のことが……?)

 隣のベッドに視線を向ければ、ヒメナイトが、いつものよう眠りながら鬱で涙を流している。

 その唇が……ヒメナイトの唇が……ふっくらと、ナジャを誘うように、つきだされて……

「わーっ!! わーっ!! おわーっ!!」

 ナジャはヒメナイトにバッシバシと枕を叩きつけた。

 そばでヨダレを垂らしていたキリンジも、騒ぎに驚いてブーンと飛び上がる。

「なんだよ、朝っぱらからうるせーな!

 どうしたナジャ? 顔真っ赤。おねしょした?」

「するかバカーっ!!」



   *



 困った。あんな夢を見た後だから、ヒメナイトの顔をまともに見られない。

 宿屋を出発してしばらく歩き、今は山道を登っているところである。しかし、朝起きてからここに来るまで、ナジャは一度もヒメナイトと目を合わせていない。

 ヒメナイトの様子は普段通り。口の中でブツブツと、

「鳥が飛んでるなあ……すごいなあ……鳥はあんなに羽ばたいて、一生懸命生きてるのに、私は何もできてない。私は無価値だ。死んだほうがいいんだ……」

 とか、暗いことをつぶやき続けている。

 まともに歩く気力もないので、ナジャに手を引かれて、やっと前へ進んでいる……というのも毎日のこと。

 だが今日は、握ったその手の温もりが、ナジャには普段と違って感じられる。

(ヒメ様の手、固くて力強いな……

 この手で剣を振るって、何度もわたしを助けてくれたんだ……)

 そう思うとナジャは、かあっと全身が火照ってくるのである。

(ヒメ様っ……

 そりゃ、好きか嫌いかって言えば、好きに決まってる。

 でも、この『好き』は、その『好き』とは違う! ……はず……なんだけど……

 もし、よ? もしヒメ様が、本当に……キスを迫ってきたら……?

 うわ〜っ!!

 どどどどうしよう〜っ!?)

 朝からずっと、この調子である。こんな妄想を言葉にするわけにはいかない。口を開けたらしゃべってしまいそうなので、ひたすら口をつぐんでいるしかない。

 しかし、声には出さずとも、表情は妄想にあわせてグルグルせわしなく変化し続けている。

 となればもちろん、異変を感じ取らないキリンジではない。

「よお、ナジャさん」

 キリンジはなれなれしくナジャの肩にとまり、ナジャの耳元に寄りかかりながら耳打ちした。

「お前、ヒメと何かあったな?」

「なぁわなかわぁぉえ!?」

「なんて?」

「何も無いわいっ」

「ほー。そんじゃ、何かでも見たか?」

「!」

 息を飲むナジャ。キリンジがニタリと口をつりあげる。

「やっぱな。朝から様子おかしかったもんな?

 てことはアレか。ヒメとエロいことする夢でも見ちゃったか?」

 思わずナジャは声を裏返した。

「エロくはないっ!!」

「じゃあキスくらいだ」

 ナジャ、絶句。キリンジはゲラゲラ笑い出す。

「はい正解ーっ!! 顔に出るんだよ、お前はよー! こんな顔になる。『にゅへっ♡』」

「違うもん!! わたしそんな変顔じゃないもん!! 潰すぞこのシロテンハナムグリ!!」


注 シロテンハナムグリ……カナブンの友だち。模様がおしゃれ。


 腕を振り上げてつかみかかるナジャ。ヒラヒラヒラリと飛び回って避けるキリンジ。

 完全におちょくられている。

「うひひひひ! 怒るなよー! オレはヒメに友達ができて嬉しいんだぜ。友達以上ならなお嬉しいっ! オメデトーオメデトー結婚オメデトー! 式には呼んでねご両人〜」

「待てやコラァー!!」

 逃げるキリンジ。追うナジャ。いつのまにか、ナジャはヒメから手を離して、1人で走りだしている。

 2人は追いかけっこしながら、坂道の頂上の峠までやってきた。

 峠の先は谷。谷底には川が流れていて、その上に吊り橋がかけられている。ここ数日雨が続いたせいか、川の水量もかなりある。

 キリンジはヒラヒラ飛んで谷を渡っていく。

 それを追い、ナジャは吊り橋の上を走る。

 と、そのとき。

 ベリッ!!

 嫌な音が谷間に響いた。

 長年の風雨で腐っていたのか、ナジャが踏んだ吊り橋の板が、いきなり真っ二つにへし折れたのである!

「あっ……?」

 助けを求める暇さえなく、ナジャは谷底の川に墜落した。

 どっぼーん!!

 盛大に立ちのぼる水柱。

 それを見下ろし、キリンジは青ざめる。

「やっべ! ……ヒメ、ヒメーっ! ナジャが……」



   *



「ん……」

 ナジャは、ゆっくりと目を開いた。

 ぼんやりと、意識に霧がかかったような感じがする。

 どうやらナジャは、ごつごつした石の上に、あお向けで寝かされているらしい。

(えーと……)

 寝ぼけた頭で記憶をたどっていき、ようやく、自分が橋から川へ落下したことを思い出す。

(そっか。わたし、おぼれたんだ……

 それで、助け出されて、ここに……)

 と理解したとたん、急に意識が鮮明になった。

「んん!?」

 ナジャは目を見開く。

 目の前に、人の顔があることに気づいたのだ。

 ヒメナイト。

 ヒメナイトが、ナジャの顔の上に覆いかぶさり……キスしている!!

「うっ!? ぉぼぇっ!! ゲッ、ゴゲェ!!」

 ビックリするなり、ナジャは激しく咳き込み、水を吐いた。

 ヒメナイトがとっさにナジャを助け起こし、背中をさすってくれる。

 おぼれている間に、そうとう水を飲んでいたようだ。

 なるほど、つまり、さっきのは……キスではなく、人工呼吸だったのだ。

 しばらくしてナジャは水を吐ききった。まだ苦しいが、とりあえず呼吸はできるようになった。

 ぜいぜいと肩で息しているナジャを、ヒメナイトがボロボロ涙をこぼしながら抱きしめる。

「よかったっ……よかった、ナジャ……助かって本当によかった……」

 温かい。ヒメナイトの腕の温もりが、ナジャの冷えた肌にじんわりと伝わってくる。

 ナジャの胸の高鳴りは、おぼれたせいばかりではない。

(キス……されちゃった。

 正夢まさゆめに……なっちゃったあああ!)



   *



 結局、その日は大事を取って、それ以上進まず野宿することにした。

 焚き火をし、毛布を広げ、晩ごはんのしたくをする。今夜のメニューは、保存食の堅パンとチーズを煮込んだおかゆに、野草のサラダである。

 食べ終えて、早めに眠りにつく一行。

 ナジャはまた夢を見た。

 夢の中で、ナジャは空を飛んでいた。

「えっ!? えっ!? うえええー!?」

 いや、飛んでいるというより、吹き飛ばされたという方が正しい。

 ナジャは放物線を描いて空を上昇し、やがて落下を始めた。

「おっ、おち、おち、落ちるーっ!?」

 空中で必死に手足をバタつかせるが、どうにもならない。みるみるうちに地面が近づいてくる……

 墜落!!

 と思ったところで目が覚めた。

 寝ている間にずいぶんジタバタ暴れていたらしく、ナジャの体は毛布からはみ出して、落ち葉まみれになっている。

「また変な夢見た……」

 おでこについた葉をつまみ取りながら、ナジャは眉間にシワを寄せた。

 それだけなら、単に夢見が悪かった、というだけのことなのだが……



   *



 その日の午後、事件は起きた。

 次の街を目指して山道を下っている途中、巨大な魔獣に遭遇したのである。

 イノシシ型魔獣、衝角猪ラム・ボア。その名の通り、頭に大きな一本角を持つ、危険な獣である。

 それが道の脇の茂みから飛び出てきたところに、ばったり出くわしたのだ。

 突然のことに驚いて、すくみあがるナジャ。

 そこへ、興奮した衝角猪ラム・ボアが、頭を低く下げて突撃してくる!

「うわわわっ!?」

 とっさに身をひねり、なんとか突撃をかわしたものの、敵の角が背負いカバンのベルトに引っかかってしまった。

 衝角猪ラム・ボアはそのまま頭を跳ね上げ、ナジャの体を天高く放り投げた!

「ほげぇーっ!?」

 放物線を描いて飛ぶナジャ。

 そのとき、ナジャの脳裏に閃くものがあった。

(この状況……夢と同じ!? !?)

 そこへ、

「ナジャ!」

 鋭く走る声。

 ヒメナイトが人間離れした脚力で跳躍し、森の木を踏み台にしてさらに高く飛び上がり、空中でナジャを抱きとめた。

「大丈夫?」

「ヒメ様! はいっ」

 だんっ!!

 と地面を踏み割りながら、無事着地するヒメナイト。

 そこへ衝角猪ラム・ボアが回頭し、再び突撃を仕掛けてくる。

 ふだん鬱の涙で濡れているヒメナイトの目に、ギラリと真っ赤な炎が灯る。

 ヒメナイトが、剣を抜いた。

ッ!!」

 白光、一閃!

 目にも止まらぬ速度で繰り出された横薙ぎの斬撃が、衝角猪ラム・ボアを上下ふたつに両断した!

「ふー……」

 胸に溜め込んでいた息を吐き出すヒメナイト。

 戦闘中はピンと伸びていた背筋も、気が抜けたとたん、またぐにゃりと丸まっていく。

「ありがとう、ヒメ様」

「うん……うん……気をつけてね、ナジャ。ほんとうに、死なないでね。ナジャがいないと、私、生きていけないよう……ナジャぁー」

 なぜかボロボロ泣き始めるヒメナイト。どうやらナジャが死ぬところを想像してしまったようだ。

 しかし、ヒメナイトの背中をさすってやりながらも、ナジャは別のことに気を取られていた。

(2日続けて夢が現実になるなんて……?

 いや、まさかなあ……)



   *



 ところが、その『まさか』だったのだ。

 明くる日の晩。山向こうの宿場に泊まったナジャは、またまた夢を見た。

 物陰から突然、鼻にゴボウを突っ込み尻にパンを挟んだほぼ全裸の中年男性が現れ、「ルプルドゥ!!」と叫んで去っていく、という夢である。

「どんな夢だよ!!」

 起きぬけにナジャは絶叫した。

 だがその日、一行が宿を出た直後。

 突如として物陰からひとりの全裸中年男性が飛び出てきた。

 鼻にはゴボウ。尻にはパン。叫ぶ言葉は、

「ワッフー! ルプルドゥ!!」

 そして真顔で去っていく。

 宿の店主は笑いながら、

「ああ、アレは『ラトゥッパさん』ですよ。土地の神様になりきって街を練り歩く、この地方一帯のお祭りですね。

 祭りの最終日には住民総出でトマトを投げつけ合い、ラトゥッパさんに当てることができれば幸運が訪れる、って言い伝えでして……」

 などと説明してくれたのだが……

 それよりもナジャは別のことに愕然としていた。

正夢まさゆめ……これで3回目。

 偶然じゃない!

 まさか……予知夢!?)



(つづく)

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