第2話 死ぬよりも苦しい道を、もう一度

第2話-1 知らないヒトが敵より怖い



 『魔王』。

 その名は、人間にとっての恐怖の象徴であると同時に、魔族にとっての最大の権威でもある。

 かつて世界すべてを支配していた魔族の国家、古代魔導帝国……その君主に代々うけつがれていたのが、『魔王』の称号だ。

 帝国が滅亡して700年あまり。かつての栄華えいがを取りもどさんとする魔族たちは、しばしば『魔王』を名のり、人間の勢力圏せいりょくけんへ攻撃をしかけてきた。

 特に、30年ほど前の大魔王ケブラー侵攻以降、それに刺激された小規模しょうきぼな『魔王軍』が各地に勃興ぼっこうし、たびたび世界を混乱におとしいれていた。

 中でも、内海ないかい南岸におこった魔王ムゲルゲミルの勢力は、ひときわ強大で……

 はたあげから数年で王国3つを飲みこんだうえ、さらなる魔の手を近隣きんりんの国々へのばしはじめた。

 必死の抵抗もむなしく、人間たちの領土はズルズルとうばわれていき……

 今や、魔王ムゲルゲミルは『大魔王の再来さいらい』と呼び恐れられるまでになっていたのである。



   *



「……というふうに、魔王ってのは恐ろしい相手なわけだが……」

 左右を林にはさまれた山道を、キリンジは苦い顔してプーンと飛んでいく。

「ヴっ……ぉえっ……」

 後ろから聞こえてくる、低いうめき声。

 振りかえれば……ヒメナイトが、長い体をふたつに折って、ナジャの肩にもたれかかっている。

「ぅっぐ……やだよう……つらいよう……

 たすけて、お師匠様ぁ……

 お師匠様に会いたい……」

 はぁーっ……と深くため息をつくキリンジ。

(聞いちゃいねーし。

 こんな調子で、ホントに魔王と戦えるのかよ……?)

 心配しきりのキリンジだが、ヒメナイトとナジャは、それどころではない。まず目先のことにてんてこ舞いである。

「ほーらっ、ヒメ様! 深呼吸して。ヒメ様はすてきですよ。わたし、大好きですよ!」

「お師匠様のところに行きたい……」

「えー? ヒメ様の師匠って、剣術を教えてくれたひと?

 すっごーい! きっとめちゃくちゃ強いんでしょうねー! わたしも会ってみたいなー!

 どこに住んでるんですか?」

 という問いは、意識のほこ先を別の方向へそらそう、というナジャの作戦だったわけだが……

 ヒメナイトは、目にジワッと涙を浮かべ、無言で上を指さした。

 ナジャは首をかしげる。

「上? 空? 天……? ……あっ」

 とナジャが顔色を変えた。

 話題を変えるつもりが、かえって最悪のところにみこんでしまったようだ。

 ナジャは難しい顔して頭をかき、

「あーっ……んー……そっかあ……

 会いたくなっちゃったかあ……」

「っ……く……師匠……ししょっ……ふぅっ……!」

 ぼろっ、ぼろっ、と涙をこぼすヒメナイト。その頭をなでてやりながら、ナジャはキリンジに目を向けた。

「ごめんキリンジ、無理みたい。ここで休憩きゅうけいしようよ」

「……だな。

 しょーがねーなあーっ! ちょっと早いけどばんメシにするかー!」



   *



 というわけで、夕食のしたく。

 そこらへんの林から乾いたしば(細い木の枝)を、ひとかかえほど切ってきてき木にし、キリンジが《発火》の術で火をつける。

 火が大きくなるのを待つあいだに食材の準備。

 今夜のメインディッシュは、旅のとちゅうで見つけた野生のヤムいものバター焼きだ。

 ついでに採集しておいた山菜も、フライパンに残ったバターで炒める。

 こうすればメニューが一品増えるうえ、バターがムダなく使え、フライパンを洗う手間も省けて一石三鳥。

 お皿がわりの大きな草の葉に、ヤムいもと山菜炒めを乗せれば、立派なディナーのできあがり!

「生活力高いよなァ、お前……

 おほっ! 美味うまっ!」

 ほっくほくに焼けたヤムいもをかじりながら、キリンジは感心しきり。

 料理したのもナジャなら、抜け目なくヤムいもや山菜を見つけたのもナジャなのだ。

 おかげで、保存食をかなり節約できている。

 ナジャは、ふふん、と鼻息ふいて鼻たかだか。

「子供1人の貧乏びんぼうぐらしだったもん。なんでもできなきゃ生きていけませんの。

 むしろ、わたしがいないとき、ごはん、どうしてたの?」

「オレは体がちっちゃいから、ビスケットを半分かじるくらいで1日もつし。

 ヒメはあの調子で、ろくにメシ食わないし……」

 とキリンジが視線を向ける先には、荷物袋を抱きマクラみたいにかかえて、うーうーうめいているヒメナイト。

 ナジャが、料理を乗せた葉っぱを持って、彼女にすり寄っていく。

「ヒメ様ー? どうですか? 食べられそう?」

「んぅー……」

「じゃあじゃあ、わたしが『あーん』ってしてあげる! ね?」

 ナイフでヤムいもをサイの目に切りわけ、プスッ、と刃先に突き刺して、ヒメナイトの口元へさしだしてやる。

「食べて! はい、あーん」

「……あーん」

「わ! 食べられたー! えらいえらい!

 ねーヒメ様、わたし、がんばって料理したんですよー? どうですか?」

「ん……おいしい」

「やったー!! うれしー!! もっと食べてー!! はいあーん!」

「あー」

 見てるほうが恥ずかしくなるイチャつきぶりに、キリンジは後ろで苦笑している。

(ベッタリ依存いぞんしちゃってまあ……

 しかしナジャのやつも、だんだんヒメの扱いが手慣てなれてきたな)

 さて、そんなこんなで食事をとっていると……

 ぴくり。

 ヒメナイトが、急に耳をふるわせた。

 地面に手をついて、よろめきながら起き上がり、周囲に視線を走らせる。

 と――そのとき!

 シィィッ!

 突如とつじよ、鋭く空を裂き、ひとすじの矢が飛来した。

 狙いは、ナジャ!

 ヒメナイトが飛びだし、とっさにつかんだ木の枝で、飛んできた矢を叩き落とす。

「わっ!?」

「敵か!?」

 うきあしだつナジャとキリンジ。

 彼女らの前に、街道の左右の林から、わらわらと敵が姿をあらわした。

「“餓狼鬼がろうき”だ!」

 キリンジがおおあわてで飛びのきながら叫ぶ。

 餓狼鬼がろうき――ヒトに似てヒトならざるもの、オニの一種である。

 見た目は、二足歩行する狼そのもの。

 言葉は通じないが、手作りの弓矢や棍棒こんぼうで武装するていどの知能はある。

 さらに、性格はきわめて凶暴。

 腹が立てば殴り、欲しければ奪う、という絵に描いたような蛮族ばんぞくぶり。

 そんなやつらが5匹……いや6匹。

 おそらくは料理のニオイにひかれて、略奪りゃくだつしに来たのだろう。

 ヒメナイトはゆっくりと剣を抜き、油断なく敵をにらみながら前へ出た。

「ナジャ、さがってて」

「はっ……はいっ」

 じり、じり、あとずさるナジャ。

 と。

「ゲャァ!」

 背後から来る叫び声。

 いきなり、もう1匹の餓狼鬼かろうきが、背後の草むらから飛び出した。

「えっ!?」

 驚くナジャ。うかつ! 敵は後ろにも回りこんでいたのだ!

 だが時すでに遅し。逃げるヒマもなく、ナジャの背中に敵の棍棒こんぼうがめりこんだ。

「ゥグッ!?」

 うめいてひざをつくナジャ。

 ヒメナイトが弾かれたように振りかえる。

「ナジャァ!」

 ヒメナイトが飛ぶ。風よりも速く背後の1匹に飛びかかり、魔剣をひとふり、敵の首すじに走らせる。

 さらに前から6匹が来る。

 ヒメナイトはひとみを暗く燃え上がらせて、

「よくも……ナジャをォォォーッ!!」

 髪ふり乱し跳躍ちょうやくした。

 策もなければ見さかいもない、我から敵のド真ん中に飛びこんでの大暴れ。

 右を斬っては左を殴り、前を倒して後ろをほふる。

 鬼神のごとき戦いぶり……

 よろよろと起きあがるなり、ナジャはヒメナイトに目をうばわれた。

「うわっ、すご……」

「おい、背中だいじょうぶかよ?」

 キリンジが、棍棒こんぼうで殴られたあたりに寄ってくる。

「平気。痛いけど……

 ……ねえ、ヒメ様あんなに怒ってるの、アレ、わたしのため?」

「そうだろ」

「やだ……てれる♡」

「ハイハイ良かったなー。

 ほら、服ぬげよ。《小治癒》かけてやるから」

 そうこうしている間に、餓狼鬼がろうきは1匹を残して全滅し、その1匹もまた、悲鳴をあげて逃げていった。

「フゥーッ! フゥーッ!」

 ヒメナイトは肩を大きく上下させて、あらく息をつく。

 やがて少し気が落ちついて、振りかえる。

 地面に座りこんだナジャが、服を肩のあたりまでめくりあげて、背中に治療の術をかけてもらっている。

 ヒメナイトが歩み寄っていき、ぺたん、とナジャのそばに、へたりこんだ。

「ナジャ」

「はいっ」

「平気?」

「うんっ」

「痛い?」

「もう痛くない」

「怖い?」

「怖くなかったよ。ヒメ様が守ってくれたもん。

 ありがと、ヒメ様!」

 これを聞いて、うるっ……とヒメナイトの目に涙が浮かぶ。

「ナジャあ」

 へにゃへにゃとナジャにもたれかかり、ナジャの肩にアゴをのせるヒメナイト。

 まるで、甘えた大型犬である。

 そのときだ。

 少し離れたところのしげみから、ガサゴソと物音が聞こえてきた。

 また敵か? と腰をうかす一同。

 しかし、草をかき分け姿をあらわしたのは、魔物ではなく、武装した数人の人間たちだった。

 身なりは、ぱっと見、農民ふう。

 おそらくこの近所に住んでいる村人たちだろう。

 村人は目を丸くしながら寄ってきた。

「おお……!?

 そこのひとたち! この魔物どもの死体は……あんたがたがったのか!?」

「わたしたちっていうか、ここにいるヒメ様が……

 ちょ、ヒメ様、わたしを盾にしないでくださいよっ」

「知らないヒト……怖いぃ……」

「さっきの敵のほうが百万倍怖いと思うけどなあ……

 まあとにかく、ヒメ様めちゃくちゃ強いんで、1人でやっつけちゃいました」

「なんと……!」

 村人たちは満面に期待の表情をうかべて、バッ、とヒメナイトの前にひざまずいた。

「ひぅっ!?」

 おおぜいの知らない人に囲まれて、たじろぎ、おびえ、ますます小さくなるヒメナイト。

 村人はほとんど絶叫するいきおいで声をはりあげる。

「騎士様!!」

「いや、勇者様!!」

「ぇ……」

「俺たちは、この近くで村を作って隠れ住んでる者です。

 魔物どもが近づいてきたと知らせを受けて、追いはらいに来たんですが、まさかお1人で片づけてしまうとは……!

 強い!! すごい!! あなたはまことの英雄です!!」

「ぅぃ……」

「それでですね! 実は今、俺らの村が大変なことになっておりまして……!

 どうか、あなた様の力を、貸してもらえんでしょうか!?」

 ずずいっ! と村人につめよられ、

「ひんっ!?」

 とヒメナイトはナジャにしがみつく。

「本当に困っているんです! お礼はなんでもいたします! どうか……どうか助けてください、騎士様っ!!」

「ぅっ……ぁ……ぇと……ん……」

 ヒメナイトは小犬みたいにプルプル震えて、ナジャに耳打ちした。

「ひそひそ……」

「え? はあ。うん。

 あのー、みなさん?」

「はい?」

「ヒメ様のたまわく、『いいけど、ひとつ条件がある』」

「おおっ!! その条件とは!?」

「『もうちょっと声のトーン落として』」



(つづく)

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