第1話-6 ビスケット、ふたつ



 街の東の高台の、ひときわ大きな屋敷の庭に、異形の怪物が、ひしめきあっている。

 一見して、背の低い小鬼ゴブリンのよう。

 だが、頭が2つあったり、全身から無数の角が生えていたり、片腕だけ異常に肥大化ひだいかしていたりと、その姿は1匹ずつバラバラである。

 そんな多種多様な小鬼ゴブリンたちが、ざっと数十匹、意味もなく駆け回ったり、歌うようにうめいたり、たがいに殴りあったりと、好き勝手に動き続けているのだ。

「この子たちは失敗作でしてねえ。霊薬エリクサーを投与しても、うまく魔獣になりきらなくて……」

 と、ブツくさ言いながらカバンを下ろしたのは、けもの使いバルグルだ。

 カバンをゴソゴソさぐるけもの使いの前には、大きな木のくいに縛りつけられたナジャの姿もある。

「ちゃんと魔獣ができるのは、おおむね10人に1人くらいでしょうか?

 残りはみんな、ハンパな小鬼ゴブリンになっちゃうんですよ。

 でも、だんだん傾向が分かってきましてね。

 素材となる人間が、強くしっかりした意思を持っているほど、魔獣化する確率が高いようなんです。

 そこで……」

 けもの使いバルグルが、カバンの中から、薬ビンと注射器を取り出す。

 青ざめたナジャに、ニコォ……! と満面の笑みを向けて、

「アナタ!

 アナタほどの豪傑ごうけつなら、すばらしい魔獣になれる! と、ワタクシ思うんです。

 なにしろ魔王様からいただいた薬は、これが最後の1回分なもので。最高の素材を使いたいじゃないですか。

 協力してくれますね?

 ……ま、嫌と言ってもやりますけど」

豪傑ごうけつ。なにが豪傑ごうけつだ)

 とナジャは固く目をつむる。

 豪傑ごうけつどころか、とんだ臆病者おくびょうものだ。

 目の前にせまった死に……いや、死よりもはるかに残酷な拷問ごうもんに、おびえきって、ガタガタ震えてばかりいるのだ。

(ヒメ様……

 怖いよ。わたし、怖いっ……)

 けもの使いバルグルが、カチャカチャと冷たい音を立て、注射器を組みたてていく。

 ナジャは念じる……一心に。

(ヒメ様……ヒメ様ぁっ……!)



   *



 ヒメナイトは夢を見た。

 何年も、何年も、くりかえし、くりかえし、うなされ続けた、あの夢だ。

 燃えゆく村の炎の中で、ヒメナイトは少女を抱いている。

 死んだ少女を抱いている。

 うめきがもれる。

 涙が落ちる。

 落ちた涙も炎に焼かれ、乾いて空へ消えていく。

「守れなくてごめん……

 死なせてごめん……

 これから先、10年も、20年も、もっともっとその先も、しあわせな思い出と、すてきな出会いが、たくさん、たくさん、きっとたくさん、数えきれないほど、あるはずだったのに……

 それが全部……私のせいで……!

 ごめん……

 間にあわなくてごめん……

 無力でごめん……

 ごめん……

 ごめんっ……

 ごめんなさいっ……!!」



   *



「ヒメ! おいヒメ! 起きろ……ヒメェッ!」

 耳もとで誰かが叫んでいる。

 ヒメナイトは、うすく目を開けた。

「ヒメ! よかった……オレが分かるか?」

「キリンジ……?」

 見れば、うつぶせに倒れたヒメナイトに、キリンジが悲痛な表情で、すがりついている。

 ヒメナイトは体をよじる。とたんに激痛が、わき腹から背骨へと駆け抜けた。

「っづ!」

「動くな。血が出る」

「私……どのくらい眠ってた……?」

「ほんの数分だよ。

 よかった、内臓は傷ついてない。でもチョット深いぜ、こりゃあ……」

 キリンジは、ヒメナイトのわき腹の傷を見て、眉間みけんに深くシワをきざんだ。

 ヒメナイトは、痛みをこらえて腕をつき、震えながら体を起こした。ドクッ、と傷口から血が吹き出す。

 あわててキリンジがしがみつき、

「バカ、動くな!」

「……助けに行く」

「ナジャをか?

 ムチャだよ! その傷で……」

「キリンジ。アレやって」

「と言っても、お前……」

「血が止まればいい」

 まるで聞きわける気のないヒメナイトに、キリンジは、ガシガシ頭をかきむしる。

「あー……

 もー……

 クソぉーっ!

 心配させられる身にもなれよなァ!!

 《発火》ーっ!」

 ボァッ!

 キリンジの手から魔術の炎が放たれ、ヒメナイトの傷口を焼いた。

 肉を焼いて、強引に傷をふさいだのだ。

 メチャクチャである。荒療治あらりょうじにもほどがある。たしかに血は止まるかもしれないが……

 想像を絶する火傷の苦痛に、ヒメナイトはうめき、あえぎ、のたうち回った。

 やがて……わずかに痛みが薄れると、ヒメナイトは魔剣を杖にして、よろめきながらも立ち上がった。

「ありがとう……」

「大丈夫かよォ……」

「うん……なんか、おなかがいた」

「はァ?」

 キリンジは首をかしげて、あきれかえる。

 ヒメナイトは苦笑して、腰の荷物カバンをさぐった。

 何年ぶりだろうか。こんなに食欲がわいてきたのは。

 食べなきゃいけない。

 今はエネルギーが必要だ。

 カバンの中から見つけたのは、ナジャがくれたビスケットふたつ。

 まとめて口に放りこみ、ボリッ、ガリッ、と噛みくだく。

 飲みこめば、腹から力がわいてくる。

 生きる。

 動ける。

 戦える。

「行かなきゃ」

 と一言つぶやくなり、ヒメナイトは一陣の風と化して駆けだした。



   *



 くいに縛られ、身動きもできないナジャに、けもの使いバルグルが歩み寄ってくる。

 邪悪なほほえみを浮かべたまま、じらすように、ゆっくりと……

「ヒトの心は弱いものです。

 強制、重圧、無視、孤独。さまざまな不安を押しつけることで、かんたんに壊すことができる。

 壊れたものは、治らない。

 二度と、もとには戻らない。

 崩壊した精神世界で、それでも死にきれずに、あえぎ生きる姿……それこそが至高の『カワイイ』。

 楽しみですねえ……! アナタの気高けだかい魂が、どんなふうに壊れてくれるのか……!」

 バルグルが、腕をのばす。

 ナジャの肌に、不気味な注射針がせまってくる。

 ナジャは固く目をつむる。

(ヒメ様っ……!)

 針が、ナジャに突き刺さる――!


 と、

 そのとき。


 ズシャァッ!!

 どこかから飛んできたナイフが、バルグルの手に突き立った。

「ぬあぁ!?」

 悲鳴をあげるバルグル。取り落とした注射器が、庭石に当たって粉々こなごなになる。

 バルグルはナイフの刺さった手をおさえ、流血の激痛に顔をゆがめながら、半狂乱はんきょうらんに絶叫した。

「誰だァ!?」

 バッギィンッ!!

 門を蹴破けやぶる轟音がそれにこたえた。

 吹き飛ばされる鋼鉄の門。それにつぶされ悲鳴をあげる小鬼ゴブリン。あっけに取られるバルグルの目に、ひとりの騎士の姿がうつる。

 強靭きょうじんな盾とえた魔剣をたずさえて、凛々りりしく姫がやってくる。

「やれる、できる、戦える、大丈夫、大丈夫、私は元気、元気、元気、元気、元気、私は元気、いける、いける、吐き気なんかしない、死にたくなんかない、元気元気元気元気元気元気元気元気!」

 ブツブツひとりごとをつぶやきながら、正義のヒーローがやってくる。

 その名は、

 希死念慮きしねんりょ騎士きしヒメナイト!!

「うぉぉおおおおおおおッ!!」

 走る!!

 一直線に小鬼ゴブリンれへ、肉迫にくはくするなり魔剣を一閃。数匹まとめてブッた斬り、死体をみこえその先へ。

 あわてふためく小鬼ゴブリンどもが奇声をあげてみついてくる、のを

ッ!」

 とするどく切り払い、血潮ちしおの花を虚空こくうに咲かす。

 一瞬。出会いがしらの一瞬で、10匹ちかい小鬼ゴブリンたちが死体となった。残る小鬼ゴブリンは震えあがり、遠巻きにヒメナイトを見つめるばかり。

 何十もの恐怖の視線の中で、返り血まみれのヒメナイトが、ゆるり、と静かに身を起こす……

 けもの使いバルグルが、たじろぎ、顔をひきつらせた。

「あの女ッ……生きていただと!? ワタクシの魔獣をすべて倒しただと!?

 ……ああもうっ! アナタたち! なんとかなさい!」

 声をうらがえして命じるが、小鬼ゴブリンたちは誰ひとり動こうとしない。

 ダンッ!

 いらだちに、バルグルが足をみ鳴らした。

「無能どもがうすボンヤリとぉーっ!」

 わめいて、バルグルは呪文をとなえる。

 とたんに小鬼ゴブリンたちが「ひぎゃ!?」「あっげえ!?」と口々に泣き叫び、機械のようにぎこちなくヒメナイトへ向かい始めた。

 これこそけもの使いバルグルのけもの使いたるゆえん。脳神経に苦痛を流しこみ、魔獣を意のままにあやつる秘術……その名もズバリ《けもの使い》の術である。

 バルグルは、操り人形の糸を引くように指を細かく動かしながら、ひきつり笑いをほおに浮かべた。

「相手は手負ておいが1人でしょッ! 一斉いっせいにかかればいいんですよ! ザコが20や30死んだところで、どうってことないでしょうが!

 さあ小鬼ゴブリンども! やっておしまいなさい!」

 ギェェーッ!

 涙とヨダレと狂った叫びをまき散らしつつ、小鬼ゴブリンれが殺到さっとうする。

 ヒメナイトは、細く、静かに息をはき――

 んだ!



(つづく)

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