第1話-2 希死念慮=死にたい気持ち



「ん……もっ……ちょっとおっ!

 しっかりして……くだ、さい、よぉぉっ!」

 朝モヤけむる遺跡の道。

 ずりっ……ずりっ……と姫騎士をひきずりながら、ナジャは懸命けんめいに進もうとしている。

 けものとの戦いの後、なぜかいきなり自殺をはかった姫騎士。

 わけが分からない。というか、ちょっと怖い。

 しかしナジャにとっては、命の恩人である。

 そのままほったらかしてもおけず、ナジャは姫騎士をつれて歩きだしたのだった。

 とはいえ、女性としてはかなり背が高い姫騎士に対して、子供としてもずいぶんチビなナジャである。

 せおって運ぶなんて、どだい無理。しかたがないので、姫騎士の足を持って、ズルズル引きずり歩くありさまだ。

「うぁーっ! おもてぇー!」

「ごめんね……ごめんなさい……無能でごめん……」

「あのぉー、騎士様?

 まじめに意味が分かんないんですけど……」

 ナジャは、いったん姫騎士の足から手をはなし、しゃがんで、姫騎士の顔をのぞきこむ。

「さっき、バケモノ、やっつけてくれましたよね?」

「うん……」

「わたしを助けてくれましたよね?」

「うん……」

「それがなんで、『グズで無能で死んだほうがいい』になっちゃうの?」

「だって……だってぇ……!」

 姫騎士は、グズッ、と鼻をすすり、聞くも悲痛な涙声を出す。

「百点満点で評価するなら……

 到着が遅れたのでマイナス30点……

 スムーズに敵を倒せなかったのでマイナス15点……

 途中でガレキが飛んで、あやうく君をケガさせるとこだったのでマイナス50点……

 街の他の人たちを守りきれなかったのでマイナス200点っ……!

 合計マイナス195点!

 もうダメだ! 私なんか無価値なゴミ以下なんだ! 死んだほうがマシなんだあああー!!」

「いやいやいやいや!! なんスかその減点法!? どーいう価値観してるの!?

 わたしの命を救ってくれただけでプラス5億点ですって!

 わたしにとってはヒーローですよ、騎士様は!」

「ヒーロー……? 私が……?」

「そう! カッコよかったあ! わたし、見とれちゃったもん。

 騎士様はすごく強いし。見ず知らずのわたしを助けてくれるほど優しいし。

 無価値どころか、すっごく素敵ないい人ですよ、ぜったい!」

 トゥンク……!

 姫騎士の胸のときめく音が、ナジャの耳にまで聞こえそうなくらい高く鳴り響く。

 姫騎士は、ゆらぁ、と幽霊みたいに体を起こしたかと思うと、土気色つちけいろだった顔面を、一転、ぽうっと桜色に染めあげた。

ちゅき……♡」

「は?」

 たじろぐナジャへ、姫騎士が、ずいっ、と身を寄せる。

「私、ヒメナイト。君の名前は……?」

「ナジャ……ですけど」

「ナジャ……優しい……♡

 ほめてくれる……♡

 ちゅき……♡」

 ナジャ、ドン引き。

(やべーな、この人……

 チョロいなんてもんじゃない……ちゃんと生きていけるのか心配になるレベル……!)

 ヒメナイトの熱い視線をあびて、ほおに引きつり笑いを浮かべるナジャだった。



   *



 同じころ、広大な都市遺跡の上空を、ブーンと羽音ひびかせ飛行する影があった。

 背中に虹色の羽をもつ、子猫ほどの大きさの小人こびと……世にも珍しい妖精族である。

 妖精はあっちこっちに視線をくばりながら、しきりに声をはりあげている。

「おーい! ヒメーっ! どこだーっ!?

 ……まったくあいつは、いっつも1人で暴走しやがって……

 コラァー! 返事しろ、ヒメーっ!

 ……お?」

 と、妖精がふいに止まった。

 妖精が見おろす先には、長い髪をふりみだして骨灰こつばい色の毛玉みたいになった人影がある。

「いたいた! おいヒメ! 無事かーっ!?」

 ぎゅーん、と一直線に地上へおりていく妖精。

 一方、地上にいたナジャは、いきなり視界に飛びこんできた小さな生き物に悲鳴をあげた。

「ほげえっ!? でかい虫!?」

「あァん!? カワイイ妖精ちゃんに向かって虫たァなんだ!」

「え? わ! ほんとだ妖精だ! 初めて見たぁ」

 おとぎ話でしか知らない妖精に、ナジャは目を丸くする。

 一方、妖精はヒメナイトのそばに寄っていき、彼女の頭にポカッ! とゲンコツを食らわせた。

「アホッ!」

「あいたっ」

「1人で勝手に行くんじゃねーよ! オレさま心配しちゃうだろっ!」

「ごめん」

「ケガしてないか?」

「げんき」

「朝の薬は飲んだ?」

「忘れた」

「すぐ飲め! また落ちこむ前に!

 ……まったく、しょーがねーなァ、オレがついててやらねーと」

「あのー?」

 妖精とヒメナイトのやりとりに、横からナジャが割りこんで、おずおずと手をあげる。

「ヒメ様? この妖精さん、誰?」

「ともだち」

 これを聞くと、妖精はピンと片方の眉をはねあげた。

「ともだちィィ? そんな生ぬるい付き合いじゃねえだろ、オレたちは。

 つうか、お前こそ誰よ?」

「わたし? わたしはさっき、危ないところを助けてもらって……」

「ああ」

「でも戦いが終わったとたん、ヒメ様が……」

「いきなり泣きだした?」

「そう」

「わけわかんねー強引な理屈でムリヤリ自己否定して?」

「そうそうそうそう。

 それでナイフを首のところに、こう、かまえて……」

「死のうとしたのか!」

 妖精は頭をおさえて、ガックリとうなだれる。

「それで、あんたが止めてくれたわけだ……」

「なんとかギリギリね……」

 ナジャがうなずくと、妖精は、意外にも紳士的で丁重ていちょうな礼儀作法で感謝の意をあらわした。

わりぃ、助かったよ、ホント。

 オレ様は世界一カワイイ妖精キリンジ。

 ヒメとは一心同体、一蓮托生いちれんたくしょう。切っても切りはなせない相棒ってやつさ。

 ま、よろしくな、おチビさん」



   *



 そのあと。

 ナジャたちは遺跡の聖堂あとまで戻り、親をくしたあの男の子と合流して、さらに遺跡の奥に向かった。

 都市遺跡の最奥さいおう、古代の建物が比較的ちゃんとした形で残っている区画には、おおぜいの人々の姿があった。

 魔王軍の攻撃から逃げてきた、街の住人たちである。

 避難民たちは、かき集めてきたき木で暖を取ったり、持ちよったわずかな食料を分けあったりして、どうにか早朝の寒々しさをしのいでいた。

 ここで運よく、男の子の叔父叔母おじおば一家が見つかった。

 その人たちへ男の子をあずけて、ナジャは胸をなでおろす。

「良かった……」

「良かったかねえ? 親をくしたんだろ、あの子。このあとがつらいぜ?」

 妖精キリンジが、ナジャの鼻先をブンブン飛び回りながら口をはさんだ。

 ナジャは、叔父叔母と抱きあう男の子の姿をながめ、まぶしそうに目を細める。

「そうだけど。頼れる人がひとりでもいれば、生きていけるよ、つらくても」

「ふーん……それは、そうかもな。

 ま、他人の心配はともかくだ。

 問題はこっちだよなァ……」

 キリンジが、うんざりと後ろへ目を向けた。

 その視線の先では、ヒメナイトがナジャの腕に、べったあぁ、と、すがりついている。

 さっきの「ちゅき♡」からこっち、ヒメナイトはナジャに腕をからめて、片時かたときも離れようとしないのである。

 キリンジは、眉間にシワをよせて頭をかいた。

「またベッタリなついちゃってまァ……

 すこし優しくされると、すーぐ依存いぞんしちゃうんだから……」

「はは……」

 苦笑するナジャ。頼られるのは悪い気分ではないが、正直言うと、ちょっぴり重い。いろんな意味で。

 実際、長身のヒメナイトが、チビのナジャにまとわりついているのだ。体勢はひどくアンバランス。

 のしかかってくるヒメナイトの体重で、ナジャは半分つぶされそうになっている。

 と、そのとき、不意にヒメナイトが声をあげた。

「あ、ありさんがいる……」

 ひょこっ、とその場にしゃがみこむヒメナイト。

「ああ……ありさんはえらいなあ……

 毎日いっしょうけんめい働いて……仲間のためにつくして……

 それにひきかえ、私はっ……!

 なんの役にも立たなくて……バカで、クズで、能なしで……!」

 ぼろっ、とヒメナイトの目から涙がこぼれる。

「ふわぁぁあ〜〜っ! 私はザコだあああぁ〜! 死んだほうがいいんだぁぁ〜っ!」

「どわー! 緊急警報! また泣いたーっ!」

「どうどう! ヒメ様おちついて! ヒメ様えらい! すごい! 美人! つよい!」

「そうだぞ! ほら、ナジャもこんなにめてくれてるぞ! な!?」

「うぇえぇぇー! もうやだ死にたいぃぃぃ!! いいじゃんかもう!! 死なせてよぉぉー!!」

 泣きさけんでふるえるヒメナイトを、ナジャは懸命けんめいに抱きしめる。

「あーもうっ! メンタルのはば断崖絶壁だんがいぜっぺきすぎる!!

 ねえキリンジ……ヒメ様って、いつもこうなの?」

「うーん……『希死念慮きしねんりょ』って知ってるか?」

「知らない」

「『死にたいー! 生きていたくなーい!』って気持ちのこと。

 昔いろいろあってさ。心をんじゃったんだよ、ヒメは」

「あんなに強いのに……」

「不思議なことに、戦いのときだけ元気だったころのヒメに戻るんだ。

 気が抜けたらこのザマだけどな」

「どうすればいいの?」

「どうしようもねーよ。しばらく休ませとくしかない。

 そのうち収まるさ……1時間後か、1週間後か、1ヶ月後かは知らねーがな」

「1ヶ月!?」

 と、ナジャは周囲を見わたす。

 都市遺跡の噴水広場。思い思いの場所に座りこみ、疲れきった顔でうつむいている避難民たち。

 なにしろ突然の襲撃だったのだ。

 持ち出せた荷物はごくわずか。食べ物も、飲み水も、薬も、着がえも、ほとんど持ち合わせていまい。

 このままでは、1ヶ月どころか1週間もたたずに避難民たちは全滅である。もちろん、ヒメナイトも、ナジャ自身も、生きてはいけない……

「じゃあ、なんとかしなきゃ!」

 ナジャは力強く立ち上がった。

 キリンジは、泣きじゃくるヒメナイトの頭をなでてやりながら、ナジャの顔を見上げる。

「なんとかって、どうすんだ?」

「まっかせて! 一挙両得いっきょりょうとくの名案、思いついたんだ!」



   *



 この現状をなんとかしなければ、と考えていたのはナジャだけではない。

 避難民の中でも元気のある者たちは、古代の集会所あとに集まり、今後の方策を話し合っていた。

 しかし、なかなか意見がまとまらない。

「……じゃあ街を捨てるってのか!?」

 ナジャが集会所に顔を出したときも、ちょうど、パン屋のおじさんが他の連中に食ってかかっているところだった。

「他の街に落ちのびろってのか! そんなこと……」

「落ちつきなさいよ。私たちだって嫌だが……」

「あの街はワシらの故郷だろう!

 家も店も財産も、みんなあの街にあるんだぞ。

 ゆうべ仕込んだパン生地だって、焼かないまま厨房ちゅうぼうに置きっぱなしなんだ!」

「だからといって、魔族に勝てるか? 魔王のさしむけてきた魔獣どもと戦えるかよ?」

「みんなで戦えばどうにかなる! 魔族なんてほんの数人。魔獣だって、たったの2、30匹だろう!?」

「その30匹に、兵隊さんは皆殺しにされたんでしょうが!」

「そうだけどさあ……オヤジからいだ店なんだぞ……」

 パン屋は目に涙をためて、その場にクタリと崩れ落ちてしまった。近くにいた者が、そばによりそい、背をなでてやる。

 生まれ故郷も財産も思い出も捨てて逃げる……そんなこと、誰だって嫌だ。みんな気持ちは同じなのだ。

 もちろん、ナジャだって。

「あのっ!」

 ナジャは意を決して議論の輪に飛びこみ、胸いっぱいに息を吸って、声をはりあげた。

「他の街に逃げるといっても、何日もかかります! その間の食べ物や水はどうするんですか?

 それに、よその街が避難民を受け入れてくれるとは限らないし……」

 いきなり割りこんできたナジャに、街の人々は困惑顔。

「誰だ、君は?」

「あっ、ナジャ! 生きのびてたのか。良かった」

「おいおい、お前はまだ自治委員会の議決権を持ってないだろう」

 すぐ近くにいたおじさんが、ナジャを子供あつかいして追い払おうとする。

 むっかあ!

 ナジャは、怒りで猫みたいに髪の毛をふくらませた。

「この非常時に委員会だの議決権だの! 形式にこだわってる場合じゃないでしょ!」

「それはそうだ。意見があるなら言ってごらん」

「まず態勢を立てなおしましょう。

 ここ以外にも、逃げのびた人たちがいるはずです。

 その人たちと合流し、戦える人間を集める。

 そのうえで、魔族たちのリーダー……けもの使いバルグルを倒す!」

 ざわめく大人たち。「無茶だ」「なに言ってるんだ」そんなささやきが次々に聞こえてくる。

 ナジャはその重圧をはねのけるように、さらに一歩、胸をはって進み出た。

「敵の魔獣は30匹。でも、それを操ってるのはたったひとりの魔族、けもの使いバルグルです。

 街にこっそり忍びこみ、バルグルさえ倒せば、魔獣たちは動きを止める!」

「ちょっと待ちなさい、ナジャ。

 けもの使いバルグルも魔族の貴族、魔貴族マグス・ノーブル。そうとうな魔術の使い手のはずだ。

 そのうえ、自分の身のまわりは強力な魔獣で守っているに決まってる。

 たとえ忍びこんで不意をうっても、我々の力では、とうてい勝ち目はないぞ」

「ふっふっふ……ご心配なく。

 わたし、出会っちゃったんです! 魔族も魔獣も手当たりしだいバッタバッタとぎ倒す、正義のスーパーヒーローにっ!

 万夫不当ばんぷふとう! 快刀乱麻かいとうらんま! 彼女の剣にかかったらけもの使いなぞ敵でなし!

 みなさま拍手でお迎えください! 無敵の姫騎士ヒメナイト様の入場でーすっ!!」

 ずるりぃ……

 ナジャにムリヤリ引っぱりこまれ、ヒメナイトがナメクジみたいに床をはう。

「死にたい」

 と、つぶやくヒメナイトの目は、すでに充分じゅうぶん死んでいた。



(つづく)

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