第35話 8月15日。「俺は、小雪のことが...」
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8月15日。
天気は運がいいことに晴れだ。というか、ここ最近ずっと晴れなんだよな。ここまでくると雨の落ち着いた雰囲気が恋しくなるが、今日は晴れてよかった。なんたって、今日は、河口湖で花火大会のお祭りがある日だ。
今俺は、待ち合わせ場所の河口湖駅周辺に到着している。ちなみに、主役の小雪はまだ来ていない。
というのも、家から一緒にお祭りに行くつもりだったが、何故か小雪が先に行ってと聞かないのでここで待ちぼうけをしている訳だ。
それにしてもさっきからすごい人だ。小雪とははぐれないように気をつけないと。
「湊音ー、おまたせー」
そんな時、カタカタと聞き心地の良い下駄の音と共に、小雪の声が遠くから聞こえる。
「ごめん、待った?」
「綺麗…」
「え?」
「浴衣の小雪、すごく綺麗だ」
初めて浴衣姿の小雪を見て、無意識にそう口ずさんでしまう。
先に行っていてというのは、俺に浴衣姿をサプライズで見せたかったからか。
きっと今の俺は口が開いていて間抜けな顔をしているかもしれない。でもそのくらいに、いつもの雰囲気とは違っていて綺麗だった。まるで大きな花畑に一人たたずむみたいに、今日の小雪はこの大勢の人の中で一際輝いて見えた。浴衣姿の小雪は、可愛いというより綺麗という言葉が一番似合っていると思った。
「湊音は、ずるいよ…」
「ん?何か言ったか?」
「な、なんでもないよ。行こ」
うつむききながら歩く小雪に、少し強引に手を引っ張られる。
「でも、そういうところがす…」
その時に小雪が何か大切なことを口ずさんでいた気がするが、祭りと人の喧騒で最後まで聞き取れなかった。そんな小雪の耳は、何故か真っ赤に染まっていた。
「ちょっと、買いすぎちゃったね。あはは」
小雪が、苦笑を浮かべてそう言う。
今は、俺が事前に調べておいた穴場スポットにブルーシートを引いて、たくさん並べられた食品たちをどうするかプチ会議しているところだ。あんなに人で沢山だったお祭りだが、この辺りには人の姿は1人も見えないから、この場所に目星をつけていて本当に正解だった。
河口湖で合流した後は、俺たちは屋台を隅から隅まで見て回った。
小雪が「あれも食べたい、これも食べたい」、「あっちも見たい、これもしたい」で、俺はずっと手を引っ張られ続けて、会場内をあちらこちらと振り回され続けた。それで、気に入ったもの全て買っていたらこの通りだ。
食いしん坊の小雪とお祭りに来るという事を、俺は甘く見すぎていた。はぐれたら大変なんて考えは今すぐ撤回したいくらいだ。
「ちょっとにしては、少し多すぎるかな」
レジャーシートに広げられた屋台の食べ物たちは、ざっと10人前くらいはあるだろうか。多分、この祭りにある屋台を全制覇しただろう。
「しょーがないでしょ、あちらこちらから良い匂いが漂ってくるんだもん。全部美味しそうだし」
「それは良いとしても、そんなに金魚をとってどうするんだよ。食用にでもするのか?」
「だって、あんまりこういうところ行ったことなかったからついはしゃいじゃって…」
なんだか少ししょぼんとした表情で、袋の中の魚を見ながら小雪がそう言う。普通の雑談程度のつもりで言ったが、小雪にとっては久しぶりのお祭りを全力で楽しみたいだけだったのかもしれない。それなのに、余計なことを言ってしまった。
よし。もうこうなったら、俺もバカみたいにこの日という日常を全力で楽しもうじゃないか。あとのことを考えるのはやめだ。
そうと決めた俺は、焼きそばの入ったケースを持ち上げて『ズルズル』と麺を思い切り啜る。
「ほら小雪も食べ、ゲホゲホ」
麺を一気に口に入れたせいで少しむせてしまい、焼きそばを吹き出しかける。
「あはは、何やってんの湊音。大丈夫ー?」
「あっぶねー、吹き出しかけた」
「もう、がっつきすぎよ」
小雪が、口についたソースを拭いてくれる。
「湊音、私も食べるからそこのたこ焼きとって」
「うん。熱いから気をつけろよ」
そうして数十分をかけて、二人で10人前の屋台のご飯をしっかり食べ切った。
「やばい、吐きそう…」
「私も、さすがに限界かも…」
「本当、たくさん食べたな。もう美味しいより気持ち悪いの方が勝ってるかも
「ふふ。もう、バカみたい」
「あはは、たまにはこういうのもいいな」
そんな状況が面白くて、バカみたいに二人笑い合う。
「あー、なんかすっごい楽しいな」
「お祭りなんだから当たり前だろ」
「そうじゃないの。湊音と、こうしてなんでもない事でバカ笑いしてるのがすっごく楽しいんだ」
「そっか」
そんな中、バーンと大きい音と共に花火が上がる。暗かった夜空に、いろんな色の花火が一面に広がる。
「綺麗…」
「だな…」
たくさんのいろいろな色の花火が、富士山を背に夜空に一斉に上がり、パーと当たりが一気に明るくなる。水面に映る富士が、月明かりと花火で七色に明るく照らされる。
その花火は、人生で今までで見たことのないくらい美しい景色だった。小雪と一緒に見ているから、より綺麗に見えているのかもしれない。
「私は、本当に今が一番人生楽しい。楽しいよー」
小雪が、花火の音に紛れて大声で恥ずかしそうに夜空に向かってそういう。
「俺も…」
俺も小雪を真似するように、小雪への溜め込んでいた想いを吐き出すため、肺いっぱいに大きく息を吸う。
いや、やっぱり曖昧にするのはやめだ。俺は男だからしっかり面と向かって小雪に想いを伝えるんだ。
小雪の手をそっと握って、目を見る。小雪は突然手を握られて、少し驚いた顔でこちらを見る。
小雪と見つめ合う。
「俺も、小雪といるとすげー楽しいんだ。ずっと笑顔で、いつも楽しそうで、昔っから変わらない元気で、こんな情けない俺でも、受けいれてくれる。いつも俺のそばにいてくれる。そんな小雪のそばにいると、なんだか心がほっこりする。毎日がすげー明るくてとにかく楽しいんだ。小雪のことがすごく愛おしく感じる。俺は、そんな小雪のずっとそばにいたい。いや、いてほしい」
俺は深呼吸をして、今まで言えずにいた想いを小雪に大切に包み込むように伝える。
「俺は、小雪のことが好きだ」
小雪は、驚いた顔をしながら目に涙を溜めて口を手で抑える。
花火が、『ひゅー』という音と共に夜空を駆けめぐる。お祭りの会場から、たくさんの歓喜の声が聞こえてくる気がする。
でも、そんな音も聞こえないほど、俺たちは二人だけの世界に溺れていた。
「私も、私も湊音のことが好き…」
それからの出来事は一瞬だった。
夜空に、色とりどりな花火が咲き開く。月明かりもかき消すくらいに、辺りは花火の沢山の色で溢れかえる。
俺たちは、そんな誰もいない虹色の夜空の下で…キスをした。
そのキスは、常識も時間も、世界さえも覆す、二人だけの物だった。
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