第29話 「ごめん。小雪に会いたいんだ...」

 6


数学の授業を終えた俺たちは、図書室に向かうため、夕陽が差し込んでオレンジ色に染まった長い渡り廊下を歩く。

「湊音くん、最近数学を真面目に受けていてえらいです」

「最近だけだよ。累乗は真面目に聞いておかないと、次のテスト壊滅しそうだからな」

累乗は、自頭でどうにかできるものではないから、最近は数学だけ真面目に聞いている。

「そうだ望月さん」

思い出したように、そう望月さんの名前を呼ぶ。

「ん?。なんですか?」

「今日も、日記の続き思い出したりしてない?」

1ヶ月前から、日記の内容が増えていないから、そのことについて気になり、最近はよくそう聞いている。

「特には」

「そ、そうか」

今日の望月さんの返答は、何故かやけに冷めたものだった。

「最近、日記増えていないな。前までは頻繁に増えていたのになんでだろう」

少し気まずい雰囲気の中、どうやったら増えるんだろう...と呟きながら雑談程度にそう話す。

「ねえ、湊音くん」

渡り廊下を途中くらいまで歩いた時のことだった。望月さんは、俺が日記のことを話していると、急に立ち止まり俺の名前を問いかけるように呼ぶ。俺たちは、夕日に照らされた長い廊下の真ん中で向かい合う。

「あの日記の内容って、誰の話なんですかね?」

望月さんは、真面目な顔をしながら、俺の目をしっかり見てそういう。

「誰って、望月さんの昔の話だろ?」

どういう意味だろうか。望月さんが書いているから自分の記憶。望月さんの認識はこのようなものだと思う。

「違うよ。湊音くん、本当は知っているんですよね?」

望月さんは、急に俺を見透かすようにそう言った。

「なんのことだ?」

できるだけ平然を装ってそう言う。しかし内心は、驚きや焦りでいっぱいだった。

望月さんの言う通り本当は知っているから。あの日記が誰の記憶で、本当の持ち主が誰なのか。

「湊音くんは、知っているのに知らないふりしています。私、気づいたんです」


「あれは、小雪さんの記憶だってこと」


望月さんは、躊躇いなく真顔でそう言った。

「え?。小雪の記憶って…、あれは、望月さんが書いているんだから望月さんの記憶だろ」

望月さんが、まだ確証していないことに賭けてそう誤魔化す。

「違う、あれは私の記憶じゃない。小雪さんと湊音くんのお話」

そう。前回増えた公園の話は、俺と小雪が出会った時の話だった。

俺は、その日記を読んで確信していた。これは、小雪の記憶だってことに。

「いや、あれは望月さんの記憶だよ。だって、望月さんの記憶じゃないと、あんなに思い出したようにすらすら書けないだろ?」

ここで望月さんに、日記の内容が小雪の記憶だと知られると、俺の仮説が崩れてしまう。

でも、望月さんはあの日記が小雪のものだってことを確信していた。

「確かにそうですね。私も、なんで私の記憶じゃない小雪さんの記憶を思い出したように書けるのかわからない。だからかこそ、湊音くんは疑ってるんですよね?。私が小雪さんと、関係があるんじゃないかって」

「そんなことはない。俺は、望月さんの記憶が戻り始めてるんじゃないかって心配してるんだよ」

俺がバレいていないと思っていたことは、望月さんには全てお見通しだった。

「最近の湊音くんは、私の顔を見るたびに日記のことばっかり。日記のことで疑っているから、日記の内容が増えてないか毎日聞いてくるんでしょ?」

「違う」

「違くないでしょ!」

望月さんの声が、誰もいない廊下に響き渡る。

望月さんは、先ほどの真面目な顔とは打って変わって、怒りの感情で満たされた顔で言う。

「湊音くんは、小雪さんのことしか見てない。私は、小雪さんのことを探るための道具じゃないよ。もっと私を見てよ」

俺の胸に寄りかかって、軽くパンチしながらそう言う。望月さんの、涙が俺の服に沁みる。

「望月小雪、私自身を見てよ!」

「望月さん!」

望月さんはそう言い残して、来た道を走って去っていった。

廊下に反響する声が少しずつ小さくなっていく。静寂に包まれた廊下には、俺一人だけが残された。

そんな廊下に一人残された俺の内に後悔はあった。でも、そんな後悔の内には、小雪のことを探れなくなる、もう小雪と会えないんじゃないかという、不安の方が色濃く混ざっていた。  

日記の増えるタイミングには法則性があった。日記は、必ず俺と小雪があった次の日に毎回増えていた。

だから日記が増えれば小雪と会える、そう思った。

なんで望月さんに小雪の記憶が伝達しているのかは、俺もわからない。でも日記が増えると小雪と会えるという事実だけで十分だった。要するに俺は、小雪と会えればなんでもよかったのだ。

だからこそ俺は、この日記が小雪の記憶をかたどったものだってことをバレないようにしてきたつもりだった。

小雪の記憶だと知られると法則性が崩れたり、日記が増えなくなるんじゃないかと思った。

望月さんの言う通り、今の俺は小雪のことしか見ていないと思う。道徳心に欠けることをしている自覚はあった。

でも、そこまでしても小雪に会いたい。


それほどまでに俺は、小雪が好きだから。


俺は、小雪と望月さんの関係を探るために、自分の意思で望月さんを利用していたのだ。

だから望月さんに、謝ることすらおこがましいと思う。

ごめんなさい。俺は、心の中で謝るしかなかった。

それほどまでに、俺は小雪を好きだ。この世界で一番愛おしく思える人だから。

俺は、望月さんの後を追わずに図書室に向かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る