第27話 5月5日。「本当は、少し気がついていたんだ」
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5月5日。
「寝ているから大丈夫だよね」
そう言いながら、俺の頬をつんつんしたり、軽く引っ張る望月さんのせいで目が覚める。
「望月さん、バレてるからね」
「お、起きているなら言ってくださいよー」
望月さんは、あわあわしながら俺の頬から手を離す。
起きていると言うか、望月さんが頬を触るから起きたの間違いだ。
「望月さん、毎朝イタズラするのはやめてくれよ」
「だって、無防備な湊音君が可愛いんですもの」
「言い訳してもダメなものはダメです」
「えー、少しくらいいいじゃないですか」
「俺も恥ずかしいんだからな」
そんな談笑をしながら、病室のカーテンを開ける。窓からは昨日とうって変わって、太陽の暖かい光が差し込む。
「そういえば、先ほど看護師さんが来ました」
「なんか言っていた?」
「今日は、このまま帰っても大丈夫みたいです」
「そうか。じゃあ、送っていくよ」
「いいのですか。ありがとうございます」
そう言って、お互い出かける準備をして病室を後にする。
病院を出て、太陽の下を並んで歩く。天候が良いからか、望月さんは昨日よりもずっと上機嫌で、足取りも少し軽やかに思えた。何より、元気になってくれてよかった。
「あ、そうです」
そんな中、望月さんが急にこちらを向きながら口を開く。
「ん?どうしたの?」
「私、あの日記の続きを思い出したんです」
「本当か?。どんな内容なんだ?」
あの日記というのは、望月さんが大切なような気がして実家から持ってきたというノートのことだ。
前回は、3年前の出来事を記したものだった。内容は、日記を書き始めたこと、親が喧嘩していること、それと引っ越したばかりだから公園に友達を探しに行く、という内容だった気がする。
望月さんは、3年前の記憶がないのにも関わらず、このノートを思い出すように書く。今思えば、これも3年前の記憶が戻り始めているということなのかもしれない。どちらにせよ、不可解な日記だ。
「今回は、公園で無愛想な男の子と出会って、友達になったという内容みたいですね」
「公園で、男の子と出会ったか…。ということは、この日記の子は女の子なのか?」
この日記の書かれた日は、3年前…俺の中で何かが引っ掛かるように、この日記の内容には違和感というか、既視感みたいなものがある。
「そうみたいですね。でも、よかったです。この子に、友達ができたみたいです」
「そうだな。親が喧嘩していて、きっと辛いと思うからこの子には幸せになってほしい」
「大丈夫ですよ。この子も友達ができて、きっと幸せだと思います」
「そうだといいな」
なんだか、この日記の女の子は置かれている状況が小雪と似ているから、幸せになってほしいと心から思った。
「帰ったら、日記に記してみます」
日記の内容について話をしながら歩いていたら、目的地のバス停はもう目の前だ。
ちょうど後方からバスが来て、バス停に泊まる。
「やばい、バス来てる。走れ」
「あ、待ってください湊音くーん」
そう言って、二人でバスまで走る。
河口湖周辺を走るバスは、止まる回数が多いからか扉が閉まるのがやけに早い。この距離だと、走らないと着く前にはドアが閉まってしまいそうだ。
「はあはあ、危なかった」
「ギリギリ、セーフでしたね」
全速力で走った甲斐あってか、バスには無事乗ることができた。二人で息を切らして、バスの座席に座る。
俺たちは、当たり前のように隣り合って席に座るし、距離はもう体がピッタリくっつくくらい近い。
そのくらいに色濃い時間を共に過ごし、心の距離も近くなった。
そんな日常がすぎ、バスを揺られて20分くらいで河口湖駅に到着した。
そのまま、いつもの道を歩き望月さんの家に向かう。
『ガチャ』と望月さん宅のドアを開ける。
俺たちは、帰るや否や寝室に向かう。そして、棚の引き出しから例の日記を取り出して机に座る。
望月さんは、日記の2ページ目を開きペンを持ってスラスラと文字を連ねていく。
初めて日記を書くところを見たが、望月さんの文字を連ねるペンは、同じ内容を上から正書するみたいに迷いなく動いていた。その光景は、とても不思議だった。その時だけ、まるで望月さんが別人のように見えた気がした。
「見てください。書けました」
日記を描き終えペンを置いた望月さんは、いつも通りの望月さんだった。
差し出された日記を手に取り、内容を確認する。
2017-08-07
今日は、とてもいいことがありました。
なんと、私にもお友達ができました。
男の子のお友達です。男の子のお友達は、初めてできたのでとても嬉しいな。
名前は、そういえば聞き忘れちゃいました。明日は、名前を聞いてたくさんお話をしたいです。
今日はとても幸せな日でした。
たくさん遊んでもっと仲良くなりたいです。
そんな、内容だった。
8月7日。その日付を見て、過去の記憶が蘇る。俺にとって忘れられないほど色濃く残っている特別な日。
この日記は、誰の記憶で誰のものなのかわからない。でも、俺はこの日記が誰のものか少し思い当たる節があった。
俺の考えている仮説は、この日記の持ち主をその人物と仮定しているだけであって、そう断定するためには情報が少なすぎる。
この仮説が正しいのであれば、望月さんの3年前の記憶がないのはやっぱり小雪が関係しているのかもしれない。
とにかく今は日記が、増えていくのを待つしかなさそうだ。
少なくとも、このことは、記憶が戻りそうな不安定な状態の望月さんに言うべきではない。そう思った。
「これで、この女の子も少しは安心だな」
「そうですね。本当によかったです」
望月さんは、親が喧嘩しているという自分と同じ状況下に置かれているこの女の子のことを、とても気にしているようだった。
「湊音くん、この後はお茶でも飲んでいきませんか?」
「いいのか。じゃあ、いただこうかな」
俺は日記を閉じて、最初にしまわれていた場所に戻す。
これから日記が増えて、もし俺の仮説が正しかったとする。それに気づいた望月さんはどう思うのだろうか。
関係者ではあるが当事者ではない俺は、ただただ見守ることしかできなかった。
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