第5話

 気がつけば5月。アオウミガメの産卵期に突入する。そこからは、頭に塩辛を突っ込れたように目の回る毎日が始まった。


 産卵上陸する親ガメの頭数、産卵巣数、産卵位置の計測をする、それが主な仕事だった。

 親ガメが1回の産卵で産み落とす卵の数は約100個。

 それか、忙しいのなんの。


「しんどいよぅ」

「うっさい。男でしょう。泣きごとなんて言わなの」


 翼に叱咤され、しゅんとなる。


 このハードさ。可笑しい。60歳を超えた所長の倉持さんは、平気でビーチを駆け回り、誰よりも仕事をこなしている。


──おっさん、一体どんな体力をしてるんだ。


 動き回る年配者を見て真はげんなりした。


 ここ、保全センターはウミガメを中心に活動している。とくに自然孵化を大切にしていた。


「──あぁ、本当に昔の私を殴りたい」


 ビーチの砂に9ミリ径の鉄筋を翼は突き刺した。これは産卵巣の位置を把握するための道具だ。


「子供の頃さ、ウミガメのなんてプロジェクトで稚ガメの放流する企画があったんだ。それも放流するのは真っ昼間だよ。あの頃は、いい事をしたって思ってたけどさ、あれってさ、殺す行為だったよなぁって今になって思うのよね」


「ああ、あれね。メディアとかも命は大切だ、とか、守ろうウミガメなんて報道してたよな。ウミガメの生態まったくの無視してさ。稚ガメは夜に砂浜から海に向かうってのにな」


 稚ガメは、卵から孵化して土から顔を出すとフレンジー興奮状態で砂浜から海に向かう。その後、流れ藻に捕まり、その藻に生息している魚の卵などを食べて幼少期を過ごすのだ。


そのため、流れ藻に出合わなければ餓死、捕食される可能性が高い。稚ガメは15日ほど黄卵の栄養分がお腹にあり、フレンジーの間にその栄養は使われる。


その15日の間に流れ藻に出合わなければ生きられならないのだ。


「放流会ってさ、日にちも人間の都合、孵化してからフレンジー状態になった稚ガメは、人の手で待機させらてさ、その間の黄卵の栄養は自然と消費されて、15日あった栄養は10日、7日、もしくわ、もっと減ってるんだよね。あの企画ってさ、逆に生存確率を減らす行為なんだよねぇ」


「もしかしたらフレンジーが無くなった稚ガメを放流してたかもしれないってことな。そうなると、稚ガメはただ海を彷徨って、捕食されるだけになっちゃうな」

「うわぁ。そう考えると本当に頭にくるわ」


 何をなんだろうか。


「ここみたいに、ごく一部のアオウミガメを保護してるわけでもないしね」


「って、それもちゃんとした目的があるわよ」

「知ってるよ。稚ガメを体重1キロになるまで施設で育てて、標識をつけて放流するんだろ」

「そうよ。そこから浮遊生活などの貴重なデーターを取るのだから」


 ぷりぷりと怒る姿は昔と変わらない。その真剣な眼差しを、ほんの少しでも俺に向けてはくれないかと思う。なんだかんだと、はぐらかされている気がしていた。


◇◇◇


「海岸に親ガメがひっくり返っています」


 ある日、そんなレスキュー要請の電話があり、昼ご飯を食べていた真は慌てて口に食べ物を詰め込み応援に駆けつけた。


 海岸には体重120kg以上あるであろう親ガメがテトラポットの障害物に行く手を阻まれ、どっしりとひっくり返ったままだった。


「早く返さなきゃ。ウミガメは一度仰向けになってしまえば、なかなか自力で起き上がれないもの、このままじゃあ死んじゃう」


 先に駆けつけた翼が挑むが、びくともしない。


「翼さん、変わって俺がやるから」


 真は男性スタッフの先輩、松崎さんと力を合わせて「せーの」と掛け声を掛けて、かなり重いウミガメを起き上がらせた。またひっくり返ってはいけないとウミガメを海へと誘導させる。


 翼は複雑な、悔しそうな顔して真の腕を見てた。


「なんか、トリィってば腕ぷしがさらに強くなったみたいね。憎たらしい」

だからね。もう、昔みたいに弱くないよ」

「なに言ってるのよ。この前は泣きそうになりながら弱音吐いてたくせに、腕だけ強くなったって、しょうがないわよ」

「ふーん。でも俺、今なら翼さんを簡単に押したおせ──」


 ドスッと重みのある拳をボディにくらまされた。


「いってぇ」

「そんなに痛くないくせに。お腹まで筋肉ついてるし」

「ちぇ。バレたか。怪我したら看病してもらおうと思ったのに」

「っ……」


 翼は目線を逸らす。少し優越感だった。

 こんなことぐらいでしかアピール出来ない。ここぞと弟ではなく男をアピールする。


「あははは。いい加減、くっつけばお二人さん」


 笑い飛ばす松崎さん。


 ここのスタッフは、本当にいい人たちばかりだ。

 顔を真っ赤にして翼は「馬鹿なこと言わないで下さい」と浜を後にする。中年の松崎さんは、ファイトなんて言って真の肩を痛いくらい叩いた。


 ちぇ。まだまだ、めげないぞ。

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