第3話
稚ガメの世話を終えると昼からはホエールウォッチング。
潮を掻き分け、
海のうえにはカモメが餌を求めて飛び交い。澄んだ海底には色鮮やかな珊瑚や魚が見えた。
平均気温19度。この離島は、ほどよく暖かい。しかし3月とはいえ潮風に当たれば、それなりに寒い。
「またゴミが漂流してるわ」
まったく、どれほど美しい海でも、悲しい事に、毎日、海洋ゴミ、プラスチックゴミは後を絶たない。
翼さんは揺らめくゴーストネットの一部を文句を言いながら引き上げる。俺はその様子を見てこんなことを口にした。
「海は泣いている」
「えっ」
苦戦するネットの引き上げに、真は鍛え抜かれた腕を伸ばして手伝い、翼に笑いかける。翼は目をシバシバさせる。どうやら真の力強さに驚いているようだった。なにせ真は子供の頃はひ弱だったから。
「……なにか言った」
「耳をすませてごらん。歌が聴こえるよ。
大きな エメラルドグリーンの海。
イルカの遊ぶ
クジラがお喋りする歌」
「うわぁ、なんでそんな詩、暗記してるのよ」
真は難なくゴミの回収を終え、船の隅に追いやり不敵な笑みをした。
「なんでって、小学校の自由研究で翼さんがウミガメの作文書いてたでしょう。あれの最後に書かれてた詩が忘れれられなくて」
「あんなポエムな詩、忘れてよ」
ぽかぽかと、たくましくなった真の体を翼は痛くもなく叩く。
──可愛い過ぎだろう。
ニヤける顔を抑えながらも、真はあの頃の翼とのをやりとりを思い出していた。
『歌声が消えていくよ。
ひとつ また ひとつ 消えていく。
歌を聴かせて。
あんなに聞こえていた 生き物たちの歌声が消えていく』
自分の書いた詩に酔いしれ歌いながら、6年生の翼は背の低い真を見下ろした。
『環境破壊・温暖化は人間のせいなんだから動物たちは人間が増やさないと駄目だと思う』
そう、あれは夏休みに入って間もない時のことだった。翼の家でほどよくサボりながら勉強会をしていると急に翼が言い出した。
『あのね、たくさんの動物が、このままじゃあ絶滅しちゃうんだよ、人間のせいで』
『知ってるよ。森林を切って動物の住処奪っちゃったんでしょ。あとは乱獲だっけ、あれで日本狼とか消えちゃったんだよね』
『そうよ。でも森だけじゃないわ。海の中の動物たちも、どんどん絶滅の危機になってるの』
『海も』
『そうだよ。海にいるウミガメもね、絶滅寸前なんだよ』
動物図鑑のウミガメを見ながら翼は可愛らしい眉をつりあげた。
『このままじゃぁ、みんな生きている声が、消えてっちゃうよ』
翼の瞳には怒りを宿していた。
『私ね、今回の夏休みの自由研究にウミガメのことを調べてるんだ。──ウミガメはね7種類いるんだって』
『そんなに種類がいるんだ』
『私も一種類だと思ってた』
『翼ちゃん。俺知ってるよ。ウミガメって、べっこうの材料になる奴でしょう』
『そうよ。べっこうとして扱うのはタイマイって種類のウミガメなんだって』
『へぇ。ウミガメ全部じゃないんだ』
『べっこうって黄金糖みたいで綺麗だよね。家のばあちゃんも、べっこうのブローチ持ってて見たことあるだ。翼ちゃんも欲しい?』
途端、翼は怒り出した。
『いらない! べっこうって貴重だし職人とか凄いとも思うけど。あれはねぇ、ウミガメの命を奪ってるのよ。いい、べっこうのせいで日本人が一番タイマイ。えっとべっこうになるウミガメの種類ね。それを殺してきてるんだよ』
『えっ。あれって甲羅だけすっぽり抜けるんじゃないの?』
『そんなわけ無いじゃない。甲羅と体はくっついてるんだから』
『ええ、そうだったの』
『装飾品のために海外からたくさん輸入して、罪のないウミガメを日本人は沢山殺してきたの』
『かわいそう』
『でしょう。ほら、ここ読んでみるよ』
翼は図鑑とは違う、少し難そうな本を開いて読み上げた。
『日本は私利私欲のためタイマイをインドネシアから輸入した。その結果、世界中のウミガメが減少することになった。
追い打ちをかけるように、ワシントン条約に日本は加盟する。ワシントン条約は絶滅危惧される動植物を守るための条約』
『なんか難しいよ』
『いいから黙って聞きなさい』
『わかったよ』
『輸入を禁ずる条約だったが、日本は頭数を減らすだけで、完全には輸入を止めなかった』
『なんで』
『知らないわよ。兎角、その条約で、べっこうが買えなくなっちゃう、って思った日本人がべっこうを買いまくりだしたんだって! ほらこう書かれてる。買い占めの影響でタイマイは、さらなる数が減り絶滅に瀕してしまった。輸入禁止が決まるまでの最後の2年。13万7000頭も殺されたって』
『殺戮じゃん』
『トリィってば、そんな言葉は知ってたのね。そうよ。ただ、べっこうが欲しいってだけでウミガメが殺されてきたのよ。人間のせいで』
悲しそうに翼は本を閉じ、からりと部屋の窓を開け放し、大空を仰いだ。真はその後ろ姿をじっと見つめた。なぜか翼の背中が大きく見えた。
なんだろう。翼がどこか遠くに行ってしまう様な気がした。
こんな女の子は翼しか知らなかった。真と同じ4年生の女の子は『子供用の化粧を買った』とか『どこどこの服を買った』など語っていた。それなのに翼は、それらにまったく興味を持たない。
今にも大空に羽ばたきそうな翼に、真は手を伸ばした。
『なに、どうしたのよ』
気がつけば翼の背中の服を引っ張っていた。離れたくない。
『置いて行かないで』
『なに? 変な子ね。置いてったりしないわよ』
ふふっと笑う翼に真の胸が高鳴った。惹きつけられる。
いつの間にか刷り込まれるように真は、若干小学生にして自分の気持ちに気づいてしまった。
以来、翼は真にとって特別な女になったのだ。
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