第2話

 初春はザトウクジラのシーズンだ。海洋保全センターの見習い社員、鳥野とりのまこと23歳は、去年生まれたち稚ガメを水槽から出し、甲羅をブラシで優しく擦り汚れを落としていた。


 気持ちがいいのか、施設で育った稚ガメは実に快適そうに目を細め、人に身をゆだねている。

 ここは日本でも希少なウミガメの産卵地。大小30あまりある離島だ。


 真は大学卒業後、身一みひとつで、このセンターに飛び込んだ。

 海洋生物の保全活動に興味があったからだ。しかし動機はヤバイことにそれだけではない。


 さて、どう動くか。


 こんなことを考えていると知られたら、追い出されるのではないか。内心ではハラハラしていた。


「トリィ」


 真は振り返った。呼んだのは親友の姉の青木翼だ。


「あらぁ。くぅちゃん気持ち良さそうね」


 甲羅磨きでご機嫌な稚ガメに、翼は我が子を見るような優しい眼差しを向けた。それに少し嫉妬をしてしまう。


 トリィとは2歳うえの翼が、真につけたあだ名だ。


 子供の頃。真は弱虫で、しょっちゅう悪餓鬼どもに虐められ『こら!』っと、その度に翼は駆けつけ庇ってくれていた。強い姉貴肌。


『ほら泣かないの』ハンカチを出しては俺の顔を拭ってくれた。優しい姉の様な存在。自然と真は翼を慕い、後ろをついて回るようになった。


『あんたってば刷り込みインプリンティングした雛鳥みたいね。そうだわ、あんたは名字が鳥野だからトリィってどうよ』

 ってな感じで命名された。




「──トリィってば、まさか本当にセンターに来るとは思わなかったわ。でもウミガメに興味持ってくれて嬉しいわ。ありがとう」


 見上げてくる翼の姿に、なんとも言えない心の疼きに苛まれる。


 そうなのだ。

 真は本当に刷り込まれ、なんと、東京から1000キロ離れた、この離島までついてきてしまったのだ。


「誰だっけ、人員が足りないって正月に泣きついてきたのは」

「私です。あれは……酔ってたのよ。でもトリィだってウミガメ好きでしょう」

「……まぁね」


──だが。


 そうとも知らずウミガメの甲羅の大きさをノギスで測りボウルに稚ガメを入れて体重を見て、上機嫌で翼はカリカリと鉛筆の音を立て記録した。


「よし、順調に育ってるわね」


 ふふっと可愛らしく笑窪えくぼを作る翼を見て、さて、どうしたもんかと思案する。


 鳥だって成長する。いつまでも追いかけるだけの雛鳥ではいられない。成獣になれば好きなメスにアピールだってする。


 求愛行動だ。

 真は横目で翼を見やりニヤリと笑った。


 さぁ始動するか。


 真の動機は不純である。とはいえ真剣にウミガメのことも考えている。それでもそろそろ抑えられない気持ちもあるわけで。


 

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