シム・Iブカ

 ──────冷たい。

 冷えたコンクリートに、頬から熱が奪われる。徐々に熱ではなく、熱にも似た痛みが顔に蘇る。

 言われた通りに、僕は道端で倒れていたらしい。


 幻覚は終わる。

「……いっっっっ……て」

 金属球が目の前を転がって横切る。僕はそれを視認した瞬間、ビクッと身体が勝手に動いて、いつの間にか立ち上がっていた。

 反射だった……

「……っ……あぁぁ、いたい」

 比喩ではなく、鼻が曲がっている。鼻呼吸が上手くできない。

 まぁ、金属球がぶつかってこれで済んだんだ。これくらい、耳鼻科に行けばモーマンタイ。

「だ、大丈夫……!? シムくん!」

 死角にノノちゃんが居た。もう帰ってしまったと思ったけど、そんなことは無かった。あと、膝枕イベントは無いらしい。

「いや大丈夫、命に別状は無い」

「それ本人が言う奴かな?!」

「冗談冗談、見ての通り全然大丈夫……」

 笑いかけようとノノちゃんの方を向くと、足がもつれて顔から転んでしまう。

「……じゃないな」

 視界が揺れて仕方ない、音が近くて遠くて仕方ない。暑くて寒くて仕方ない。

 だいぶ、グラグラだ。

 やべぇ。

「シムくん!?」

「ノノちゃん、肩貸してくれ……」

 ノノちゃんに肩を貸してもらって、下校する。心身共に俯くしかない。頭痛い顔痛い手足が痺れる。

「シムくん」

「? なんだ?」

「…………ちゃんと病院行きなよ?」

「ああ、今日にでもな」

 鼻が曲がったのはあれだけど、まぁ神を殴った代償というなら……いや、全然納得できないな。

「今日は家まで送っていくよ。近いし、いいでしょ?」

「……お願いします」

 しかし、一緒に帰れる時間が伸びるなら上々、重畳。

「シムくんの家……そういえば、いつから遊びに行ってなかったっけ」

「小学生の頃は、よく遊びに来てたもんな。リモコンを振り回してた気がする」

「振り回してたと言ったら、シムくんはよく家に居たから、私が引っ張り出して振り回してた……ね」

「ああ、確かに。あの時から僕って外に出なかったのか……」

 思い出話に花が咲くのは、今話すことがないからなのか。

 やっぱ僕は自分から話題を作るのが苦手だ。

「今も運動してないの?」

「運動不足×運動音痴×体力無しだ!」

「だからあんなのにぶつかるんだよ」

「見上げた時には目の前だったんだが?」

 前後不覚になりながらも、か弱いその身が僕を支えてくれる。

「なあ、今日はなんで僕を待ってたんだ? 待つなら言ってくれれば良かったのに」

「……久しぶりに話したくなっただけだし、言う程でもないと思ったんだ」

「シャイ?」

「うっさい」

 二人で、歩く。


「好きだな」

「…………えっ?」


 なんだかんだ僕は、ノノちゃんに引かれてばかりだな。足を引っ張ってるのは僕だと言うのに。

「こうやって帰んの」

 今はこの痛みを、噛み締めておこう。



 そのまま家まで送って貰って、僕はリビングのソファに倒れ込む。

(そういや、ノノちゃんなんかムスッとしてたな……)

 考え事や悩み事、全てが揺れて頭が回らない。

「……あぁー……」

 横になったことで、気力で保っていた意識を手放す。


《資格ある者よ、世界を救え!》


 暗闇。

 もう一度目が覚めたら、暗闇だった。

「……?」

 目が慣れていないせいか、瞼を開けているのか閉じているのかわからないほどに、ただただ闇。漆黒の中。

 視覚からは何も得られないと思い、周りを手で触る。

 触覚から伝わるのは、僅かに湿った岩肌だった。

「……ソファじゃない……」

 妙に声が響く。

 いや、反響している。

「洞窟……?」

 そう思うと洞窟に見えてきた。

 でもなんで洞窟なんかに居るんだ? 僕はパタリと倒れて眠っただけだが……

 眠ったからか?

「…………んっ!?」

 服装が明らかに制服から変わっている。中世のThe村人ってな感じの、ファンタジー色の強い服装に変わっている。

「……いやいやいやいやいやいや」

 ないないないないないない。

 断ったしな? まず。

「これは高解像度な夢! 歩いてたら目も覚めるよな!」

 すぐさま立ち上がって、一歩進む。足場の石が光り、周りを照らす。

「あーなんかわかんないけど化学反応かな、知らんけど、まぁ夢だしな、ファンタジーな夢見てんのかな」

 ファンタジーな光で進める場所が分かった。複数、進める空間があるが、まっすぐ進む。安全を考慮して進む。どんどん進む。ぐんぐん進む。

「うわぁ夢だからやっぱ広いなー、全然行き止まりがないものな」

 進めるだけ進む。何も考えず進む。進む。進む。進む。


 どうする? どうする?


「んっだぁっクソっ!」

 行っき止っまりっ! 目っが覚っめないっ! 現っ実っ!!! どーすりゃいーんだよっ!!!!

「洞窟っ!!! 俺が拒否したからって! 寝てる時に異世界転移させんじゃねぇよ!!! ナビゲーターくらい用意しとけよ!! アドバイザーはいないのかよっ!! 暗い! 湿気! 怖い! さっきから動物なんかも居ないのが怖いんだよ! なんなんだよ! クッソ!」

 思いっ切り行き止まりの壁を蹴る。響いて震えて音が鳴る。

 どうするんだよ! ルートも間違えたから引き返さなきゃいけないじゃんかよ!

「ステータスオープン……」

 ステータス、と言った時点で青い半透明の板が空中に出現する。オープンっていらないんだ! 僕の名前も書いてある。

 シム・イブカ! Lv1! 年齢17! 無職! HP75! MP30! うぅぅぅぅ……スキルの所が掠れて読めねぇよ! バグみたいに成ってる! 伏線みたいなやつだァ〜嫌だァ〜ありがちだァ〜!!

「MP30って強いのか……!? Lv1の無職でこれならいいのか……? このステータスを偽る奴とか出てくるんだろうなぁ……」

 ってか神の加護は!? あいつ僕の身体から加護を盗ったのか!? ふざけんじゃねーよ! 加護無しの異世界は復讐者になるしかないだろ……何に復讐するんだよ……!

 周囲が揺れてるみたいだ……目眩かな……

「帰りたい……もう嫌だ……もっと殴っとけばよかった……さすがMP30だ、もう絶望してるぞっ……!」

 そもそも理不尽だろ……導入として死んだら他の世界で生きてもらいます頑張ってくださいだなんて! ちょっと休ませろよおかしいだろーよ……!

「現代知識無双しかない? 魔法ある時点で法則が違ぇだろ馬鹿!」

 ダメだ……! 独り言で正気を保ってんのに狂気になってる! 頭おかしいこいつ俺だけど僕だけど俺だけどね……

「くそっ! なんでだ! くそっ! 何をしたって言うんだよ僕が! 俺が! 僕が! 俺はっ!」

 八つ当たりも八つ当たり、壁を蹴って蹴って蹴る。拳は使わない。流儀でもなんでもなく何も纏っていないから、岩を殴れば拳の方が壊れるからだ。

「こういう所でっ! 正気なのにっ! イカれてんだろうな! 俺は!」

 現実逃避! 現実逃避! 現実逃避!

「異世界自体が現実逃避なのに! 異世界で逃避しなきゃ行けない理由は! なんだよっ!」

 武者震いじゃない、芯から怖くて身が震えている。

「くそっ…………」

 震え……響き、洞窟までもが震えていると、錯覚するほど。

「……?」

 グラグラと、本当に洞窟が揺れていた。地震かと思ったのも束の間、足場が開いた。

「は」

 開いた穴に、全身がするりと入り、落ちる。落ちながら手を伸ばして壁に触れようもするも、突っかかりがなくてスルスル落ちていく。

「まてまてま────」

 暗闇の中を、落ちる。



「ソファで寝るな〜、ベッド行け〜。おいシム? あーだめだ、熟睡だわ。うなされてるけど起きないな」



 ──────ハッ!?

 やべえ、一瞬意識が飛んでた。いや、一瞬だったのか? わかんないけど、ジャーキングみたいに起きちゃいない。なんかダディの声が聞こえた気もする……三途の川か? 僕のパパは存命だが。今からの地の文は先立つ不孝を許してくれってのがいいかな……

「ってうわぁっ!? なんだあれ!」

 落下中に下を、落下地点を、ベチャッてなる場所を見ると、異常に大きな緑色のスライムと、それと対峙する女性が居た。

「ちょちょちょちょっ!?」

 激突した。

 激突したのは、スライムだった。緑色の固形か何か分からないそれを下敷きにして、激突とは言ったものの衝撃は一切なかった。飛び散ったスライムは、溶けだして。

「………………っぶねぇぇぇぇ……!」

 僕は、生き残った。

 ありがとうスライム。お前のおかげで僕は生き残っているんだ。僕はお前に救われたのだ。

 お前の武勇を称えたいが、まずは得た身の安全を維持しなければ……!

「えっ、えっ? えっ、えー?」

 スライムと対峙していた女の人が、僕とスライムだったものに視線を入れ替えて、動転に仰天を重ねて驚いていた。

 暗くてよく分からないが、同年代だ。髪はロング、身長は僕と同程度で、またぞろファンタジーな衣装。イメージカラーをつけるなら暗い紫だろう。

「あっ、いや」

 あっちからすれば天から降ってきた男がスライムを倒してしまったのだ、つうかびちゃびちゃしてる! 粘液が服にべっとりしとどについてんだけど!

「おは、こんにち……ハローの方が……えっと……」

 ダメだ! 僕も転な展開が続いて脳が回ってねえ……落ち着け、落ち着けよ。どうすれば正気になれる? いや俺……! 現実じゃない、これは1種の夢だ! そう思え!

「……ごほん」

 女性を見ると、多少汚れや傷がある。スライムと対峙していて俺が降ってきた。それが良い事なのか悪い事なのかはまだ分からないが、ここで十分コミュニケーションをしておく必要がある。

 悪・即・斬も有り得る。

 悪だとは思われるな。多少の役割演技をしろ。


 誰も見ていないんだ。

 少しは自由になっていい。


「俺はシム・イブカ。いつの間にかこの洞窟に来ていて、奔走していたら転がり落ちて、今ここにいる。お前は──」

「洞窟、じゃない、ダンジョン……」

「……へ?」

 っっっっ、!!? しくった! ゲームだとそりゃダンジョンって呼ぶよな……っ!!

「あっ、ああ、俺はこの辺の出身じゃなくて田舎生まれだから、そっかそっか、ダンジョンって言い方なんだな……失念していたよ」

「この辺に人里は無いし、むしろ霧の森のダンジョンだから、聖地としては人気があるかもしれないけど、ここより田舎の方なんてあるの?」

 知らねーよっっ!!

「………………」

「……えっと、なんかごめんね」

 同情っ!!?

「助けてくれ……! なんか知らないうちにダンジョンにいたし、出口わかんないんだ!」

 この同情につけ込め!!!!

「頼むっ!」

 これが俺の土下座だッ!

「……? それはどういう意味?」

 文化圏が違うッ!

「……別にいいよ。助けて貰った恩もあるし、私はここを出れないけど、出口までなら……そ、その前に……」

 

 霧の森のダンジョンの、奥。

 その奥から離れられない女の子。

 つまり────そういうことか?

「君はここで、なにか守っているのか?」

 そう言うと、彼女はいきなり僕へ手のひらを向けた。

『タナッビュート』

 直感で不味いと分かった。虎の尾を踏んだのだ。

 

 想像でいい。よくある展開を予想して、よくあるクリーンヒットな会話をしろ。

「そうやって……」

 影のようなものが腕と足を縛る。異様な重力が天から降りかかる。バランスを崩して、腹ばいになって彼女の目を見た。

「……なに? あなたに話してる暇は無いと思うけど」

 例えばここで何かを守っているなら。

 突き刺さる一言が、あるはずだろ。


 こんな思考になった僕は、反省の一つもしていない。

「縛られた人生で、いいのかよ」


 無謀で身勝手で意味の無い、他人の不幸を蜜とする、虫の様なアクが、悪のような僕が、

 しっぽを出した。


 肌が、風の通りを感じる。一六勝負、藪から出たのはなんだったのか。虎穴に入らずんば虎子を得ず、虎の尾も龍の鱗も地雷も罠も、踏んで壊してやるさ。

 これが、夢だったらね!

「──────っ! 私の役目はここでオーブを守ること、それだけなの! 空だって、大地だって海だって知らずに生きてきた! 今更それを捨てろって言うの?!」

 当たった。

 はい異世界小説の読みすぎです!この子を自由にするイベントですはい乙ー!!

 一六勝負で八が出たら、十二分以上の勝ちに決まってる。

 あとはもっと、揺らすだけ。

「役目? オーブ? 言うに牙生えてそれかよ。知らねえよ! お前がやりたいことはなんだよ!」

「私はっ!!」

 おう、言えよ。

 お前の全部を言ってくれれば、僕がいい感じに理由をつけてやる。

「私だって外に出たい……でも、世界の均衡のために、オーブを守るのが役目で……」

「世界のためにお前が犠牲になるなんて、あっちゃいけない」

 いいの。いいか。いいんだよ。

 生き残るためならなんでもやる。僕はプライドも目標もないけど、ここで死ねない。

「でも、世界が揺らぐかもしれないし……」

「スライム一匹で揺らぎそうになった世界だ。揺らがせておけ」

「でも……」

 それでも足りないなら、夢なんだ。

 一生に一度もできない大胆なことをするよ。

 目標もないけれど、

 僕は生きたいから。

「それでも世界の責任が重いって言うなら、俺も背負ってやるよ」

「……っ…………なんで、そこまで……さっきあったばっかりなのに……あなたは、なんなの……」

「シム・イブカ。神でも殴れる男だ」

 頭突きだって決めてやる。

「お前は?」

 僕はこの夢が覚めるまで、せめて自由にやらせてもらう。

「……ムク・アルカーマ、だよ。シム」

 重力と影から解放されて、やっと身動きが取れる。ムクが手を伸ばしてきたので、僕は自然にそれを取る。

「……おっと、ムクの手に粘液が着いちまったな」

「シム、そういうの気にするの?」

「誰だって気にするだろ?」

「へぇ……なのに裸は気にしないんだ」

 ん?

「何を言って……」

 あとから知ったのだけど、あのスライムの粘液は人が着た衣類のみを溶かすらしく、

「──────ひゃっ!?」

 僕の衣服は問答をしている間に熔けていて、


 端的に言えば、今の僕は全裸だった。

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