第18話 宣言
その日の夕方は突然の雨になった。
予備に持っていた傘を差しながら、俺は帰り道を歩いている。
「……」
その隣には誰も、いや何もいない。
玉藻はあの後「帰る」の一言だけ言って姿を消した。
単に飽きたのかも知れなかったし、玉藻なりに気を使ってくれたのかも知れない。
パラパラと降る雨も、考え事をするには丁度いい。
「……」
だと言うのに、見つけてしまった。
突然降り出した雨に、困った顔をしながら店先で雨宿りしているその人物を。
「……はぁ」
素通りしても良かったが、気づいた以上は何かしないと気まずい。
そんな事を考えながら少し戻った所にあるコンビニでビニール傘を買い、その人物に声をかける。
「そんなに濡れるのが嫌なら術でも何でも使えばいいだろ?」
「え? ……か、叶夜くん?」
雨宿りしていた人物、それは他でもなく下手をすれば明日戦う事になるかも知れない相手こと八重であった。
よほど驚きだったのか、ポカンとした表情の八重にビニール傘を渡す。
「使っていいし、返さなくてもいいぞ。どうせ安物だしな」
「……いいの?」
「本当なら質のいい方を差し出すのが紳士かも知れないが、返すのも面倒だろ? じゃ、これで」
「あ、あの!」
そう言って立ち去ろうとするが、突然八重に呼び止められる。
「何?」
「その……少し、歩かない?」
「……」
その言葉に面を喰らう俺だったが、取り敢えず一言だけ言えるのなら。
「それを明日には戦うかも知れない相手に言う訳?」
「……言わないで。自分でもどうかしてると思ってるんだから」
頬を少し赤らめながら、そう答える八重に何とも言えないため息を吐いて一言だけ返事を返す。
「いいよ」
「そ、そう」
そう言って八重はビニール傘を差して、俺の横を歩き始める。
しばらく黙ったままの俺たちだったが、突如八重がクスッと笑う。
「どうした?」
「ご、ごめん。昼間あれだけの事言っておいて、いま一緒に歩いているのを考えたら何か」
「自分で言い出した事だろうに」
「そうよね。自分でも何で言ったのか、全然分からないわよ」
そう言って笑みを見せる八重の姿を見て、思わず俺も釣られて笑う。
和やかな時間が流れる中、八重は周りを見ながら質問してくる。
「九尾は?」
「昼にはもう帰ったよ。よほど学校がつまらないらしい」
「そうなの? まあ、気配がないからそんな気はしてたけど」
「ああ、気まぐれな奴だ」
そんな事を言っていると、だいぶ大通りの方にまで来ていた。
八重の家は知らないが、それでもそろそろ分かれる頃合いだろう。
「ねぇ、叶夜くん? もう一つだけ、答えてくれない?」
「何だ?」
「叶夜くんは、記憶を消したくないの?」
「……」
それが玉藻や水虎たち、妖怪に関する記憶である事は言わなくても分かった。
一瞬だけ言葉に詰まったが、それでも答えはすんなりと出た。
「消したくはないよ」
文字通り命がけのひどい目にはあった。
だが、それでも記憶を消したいとは思わなかった。
「……そう」
八重は予測していたのか、特に驚く事もなくそう呟くと突然声を張り上げる。
「も、もし良ければ! なんだけど!!」
「ん?」
何かを言おうとしていた八重だったが、段々とその口が閉じていく。
「……ごめん。何でもない」
「……」
追及するべきか否か、それを考えている内に二人の足が別方向へと向いた。
「ここまで、みたいね」
「だな。……じゃあ八重、明日な」
「……ええ。明日、ね」
八重はそう言うと、こちらを振り向く事無く去っていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ただいま」
「遅かったのう叶夜」
その後は特に何がある訳でもない俺が家へと入ると、寝転がりながらテレビを見て煎餅を食べている玉藻の姿があった。
とても大妖怪とは思えないような姿に嘆息しながら、夕飯の準備のために出汁を取る事にする。
「今日は何にするんじゃ?」
「カレーの次の日はカレーうどんにするのが俺流でな」
適量の昆布とかつお節を鍋に入れながらそう返す俺に、玉藻は
「そうか。まあ美味しく作るんじゃぞ?」
極めて当たり前の事を言うように
「我の最後の食事なんじゃからな」
そう言った。
「……」
思わず手が止まる。
それが別れの言葉を意味するのに、数秒かかった。
「何を固まっておるんじゃ? むしろ自然の成り行きじゃろ?」
玉藻はむしろ俺の反応が意外で仕方がないといった様子で、俺を見つめている。
「契約じゃ何じゃと言ったが、所詮は何時でも切れるものじゃしな。お主の今後を考えれば、あの陰陽師娘の言う通りにした方がいいじゃろ?」
「……」
「お主は危険な目に合わずに済む。我も前と同じになるだけ。誰も傷つく事無く終われる。めでたしめでたし」
「……」
テレビから目を離さず、そう言い切る玉藻。
言いたい事がありすぎるが、一先ず俺は黙って玉藻の後ろに移動する。
「玉藻。一つ聞いておきたいんだが」
「何じゃ?」
「いまこの場で俺が玉藻に触ろうと思えれば、触れるか?」
「いきなりじゃのう。まあ強く念じればやれん事もないが?」
「そうか、それは良かった」
それを聞いておけば安心だ。
俺は躊躇なく拳を振り上げて、玉藻の脳天に向けて振り下す。
「にょわ!?」
突然の衝撃に玉藻は目を白黒させながら、ようやく俺の方を向く。
それだけでもこっちも痛い思いをした価値がある。
「な、何をするんじゃ叶夜!」
「うるさいバカ狐!! 黙って聞いてれば人の事を分かったようにベラベラと!」
そう、怒るべきはそこなのだ。
まるで俺の全てが分かるような口ぶりで勝手に物事を決めようとしたこの駄狐を、一発叩かないと気が済まなかった。
「じゃ、じゃがどう考えても陰陽師娘が正しいじゃろ」
「正しいかどうかで今更大妖怪が判断するな! 契約押し売りしといて、そっちから破ろうとするじゃない!」
「うっ!」
俺の言葉に言い返す言葉がないのか、黙り込む玉藻に俺は更に言葉で詰め寄る。
「大体な! 玉藻にとっては気まぐれで助けたのかも知れないが、こっちからしたら恩人なんだよ! 多少迷惑でも、そう簡単に納得できる訳ないだろ!」
「め、迷惑じゃとは思っているんじゃな」
そう言いながらも、すっかり意気消沈している様子の玉藻に俺は宣言する。
「決めた。俺は八重の提案を断る。お前をのさばらせる方が害悪だ」
「か、叶夜。もう少し考えた方が……」
「いや、もう決めた」
「……」
「……」
しばらく黙り込む俺たちだったが、やがてその沈黙は玉藻の大きなため息によって破られた。
「仕方ない、のう。まあ我が言い出した契約じゃし、責任は取るべきじゃろうな」
「よし、決まりだな」
そう言って、俺はキッチンの方へと戻り鍋に火にかけ材料を取り出す。
もちろん二人前だ。
「全く、仕方がない男じゃのう」
玉藻も再び寝転がりテレビを見始める。
だがさっきまでと違い九つの尾が左右に揺れているのは、嬉しさの表れだと。
そう勝手に思う事にする。
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