第7話 大学日本拳法の意義

○ 擬似的な殺し合い(真剣勝負の心)

○ 殴り合いによる哲学(リアルタイムの双方向性という「純粋理性批判」)

○ 大きな声で自覚する真の「我(われ)」


< みんなでやれば続けられる「殴り合いによる哲学」 >

毎日(毎週)決まった時間と場所に皆で集まり、一緒にバカでかい声を出すことで、辛くて・痛くて・苦しい殴り合い(真剣勝負)を乗り越える。

「防具をつけた殺し合い」に於ける孤独感「コギト・エルゴ・スム 絶対の我」と、殴り合いという双方向性の中で醸造される「One for all, All for one」の一体感。


宮本武蔵「五輪書」で、武蔵が指摘した「三つの声といふこと」(火の巻 P.102 )に倣い、「声の大きさ」がを大学日本拳法の昇段級審査に取り入れられてもいいのではないだろうか。

初段受験時の一つの基準として、「人一倍、でかい声を出すことができなければ(大学)日本拳法人とはいえない」なんて。もちろん、審査員は、今年の大会、天井桟敷で精彩を放たれていた、かの道場主や某大学の女性拳士OGの方々。

そして、声の大きさでは東西の審判員の中でもずば抜けた、東西お二人の審判長も。(40年前の昇段級審査で、もし審査項目に「大声」があったら、私は1回で初段合格できていたかもしれない・・・。)


<実社会でも求められる声の大きさ>

私が大学を卒業した頃、たくさんの新入社員研修を請け負う会社やプログラム(講座)がありましたが、その多くが「声の大きさ」を修養項目にしていました。新入社員が10・20人で、駅の前や歩道橋に並び、一人一人が大きな声を出したり、歌を歌うといったことで自我の覚醒をさせたのです。もう学生ではない、一人前の社会人であるという、人間としての自覚と責任感を、朝の通勤通学時、大勢の人たちの前で大きな声を出して覚醒し、天に向かって宣誓するような意味があったのだと思います。


私の入った会社でも、4・5・6の三ヶ月間、30名の新入社員が、9時から5時まで社内で缶詰になり、様々な研修(講義・ロールプレイ・コンピューター会社と提携した実際の営業・マーケティング)を受けました。

そして、7月にその総上げとして、富士山の麓、山中湖畔にある会社の保養所で、5日間の合宿が行なわれました。その時は、太いホースを持ってテーブルを思いっきり叩き、大きな声で何かを叫ばされる、なんて授業がありました。

こうなると、男も女も、インテリもバカも関係なし。一人の人間というか、獣(けもの)となってわめいて・怒鳴って・咆える。この時も、(脳みそは小さくても)声だけは大きい私は、最優秀賞をもらいました。


この三ヶ月間の研修期間で、私が得をしたのは「バカになり切る」ことができる、という点でした。ロールプレーでは、少しも恥ずかしがらず役になり切る。社外に出て行なう実地の営業活動でも、大きな声でハキハキ・テキパキと人と話し・積極的に行動できたのは、見栄も捨て格好も顧みず、ただひたすら、大きな声を出してがむしゃらにぶん殴り合いをしていた大学日本拳法時代のおかげといえるかもしれません。

中高時代のケンカ(経験)だけでは駄目だったと思います。審判という判定者(神)の面前で殺し合いをする、という吹っ切れた感覚を知っていたからこそ、ジェントルマンとして獣になれた。


因みに、新入社員の中には、大学時代少林寺拳法をやっていたという男性が2名いましたが、彼らは「なり切れない」。

頭は良いし運動神経も良いが、「寸止め」では、人間の俗っぽい感情が吹っ切れないから、ここ一番という瞬間に恥ずかしがってしまう、一歩前へ踏み込んで現実にぶん殴ることができないのかもしれません。

彼らの個人的なキャラクターにもよる、と考えることもできますが、しかし、研修期間中、新入社員全員で渋谷のレストランで飲み会をした時は、酒が入っていたからか、彼らはかなり体育会的な振る舞い(大きな声で積極的に喋る)をしていました。

頭が良いので、頭で理解し心の中で何度もシミュレーションをすれば、結果として素晴らしい行為をすることはできる。しかし、ケンカでいえば、例えばの話、出会い頭、突然、出刃包丁をもって突っかかってこられた時、瞬時に覚悟を決め、鏡のように反射的な行動(こちらから踏み込む)がとれるかということになると、?となる(あまり良い例ではありませんが)。


大学日本拳法とはケンカと違いますが、殴る・蹴る・投げるという、刃物を使わない取っ組み合いのケンカを毎日リアルにやることで、殴り合いにおける物理的な間合い以上に、心の間合い・踏み込みといった点で、俗に言えば実用的、宮本武蔵(「五輪書」)的に言えば、豊かな次元と位相の展開(多項式の積を単項式の和の形で表すこと・立体を切り開いて一平面上にひろげること)ができる。

日本拳法を(自衛隊や警視庁的)実用・実戦的格闘術にするか、奥の深い大学日本拳法という哲学にするかは、自分次第なのです。


早い話が、大学日本拳法をやっていれば「酒がなくてもバカになれる」ということでしょうか。


2023年12月16日

V.5.1

2023年12月17日

V.6.1

2023年12月18日

V.6.2

 平栗雅人

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「月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)の」 2023年 第68回全日本学生拳法選手権大会に学ぶ  V.6.2 @MasatoHiraguri

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