第6話 フェイズの違いという教え
私は、あの時「天井桟敷」にいらした人たちについて一切知りません(もちろん、彼らも私のことは知らない)。あの状況から判断すれば、彼や彼女らが(関西の)ある大学の日本拳法部OBOGであることは間違いないだろう、という程度です。
彼女たちの肩書き(学校名・段位)とか、拳法が強いとか、大きな大会で優勝したとかいった栄誉は、あの場あの時あの間合いでは、全く意味を成さない。 言ってみれば、通りすがりの赤の他人から、私は強い形而上的インパクトを受けた、ということです。
一つは「大きな声による我(われ)の自覚」ということ。もう一つが「フェイズ(位相)」ということでした。
<参考> 宮本武蔵の思想 戦いの「次元とフェイズ(位相)」
武蔵は「人と戦う」という行為を、5つの次元と72のフェイズで解き証した。 宮本武蔵60年の生涯、60数度の真剣勝負に負けなし、という実績の解析を「文章による数式」で行なったのが、かの「五輪書」なのです。
武蔵は文系?であったかも知れませんが、かなり数学的な考え方によって剣の戦い・人生の本質を見ていた。彼は一時期、万巻の書を耽読したことがある、とされていますが、武蔵の本の読み方とは(文系的)読解力ではなく(数学的な)理解力といえるのではないか。
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東京の某大学で、「理系の(数学的)日本拳法」を実践されていらした女性拳士は、ご自分で立てた方程式を自らの心と身体で実践するかのような、理に適った・無駄のない拳法がその魅力でした。
そんな方であれば、その数学脳で、「五輪書」を科学として・方程式として解き明かすことができるかも知れません
因みに、この女性の一つ上の先輩拳士は「個性的な文系日本拳法」をされる方でした。先鋒が「数学」で大将が「文系」というコンビネーションの妙で、大いに楽しませて戴きました。
現在、大学日本拳法をやられる理系の方々は、派手なアクションの「文系日本拳法」に囚われず、自分の強みを生かした「理系日本拳法」に目を向けてみてもいいのではないでしょうか。
ジジイになると、ポテトチップにビールで観戦する「強い拳法」以上に、スルメを噛みしめながら熱燗でしみじみ味わう、個性的な拳法も楽しいものです。「慶応ボーイ」も、一人一人が自分の頭で考えた個性的な拳法ですが、彼らの場合、あまりにも技巧に凝りすぎて、ときに自分の拳法に酔うが如くのナルシスト拳法になる。それがまた、天井桟敷人間にとっては楽しいのです。
<演繹と帰納>
強者の強者たりえる姿形から公式・方程式を読み取り、その法則に則ってやる拳法が一般的です。
一方で、上記女性拳士のように、自分の体格・運動機能・能力と相談しながら、自分の論理・方程式を帰納していく(特殊から普遍を導き出す)というスタイル。いきすぎると、独りよがりになりますが、勝つこと以上に(大学日本拳法を)楽しむというという観点からすれば、その人自身にとって、より鮮明な思い出となる
派手なパフォーマンスで人を感動させたり感心させることができなくても、自分の頭で考え・心の中で組み立てた(拳法という)造形物は、歳を経るに従って自分の中でより鮮明さを増すものです
私の場合、単に、不器用なので人の真似ができない、技術なんて頭で考えるのが面倒くさいという性格そのまま、やりたいようにやっていただけでしたが、そのおかげで、40年後の今、いろいろな次元や位相で大学日本拳法を楽しめるようになりました。
あなたが現役でもOBであっても、ご自分の拳法を、いったい幾つの次元とフェイズによって解き明かすことができるか。
せっかく大学4年間も苦労して打ち込んだ貴重な日本拳法(体験)を「単なる殴り合い」だけで終わらせるのはもったいない。生涯をかけてでも、自分なりの「大学日本拳法思想」を醸造・醸成していくべきではないかと思います。
「思想」といって、ソクラテスやデカルトだけのものではないのですから。
「外来種日本人」というのは、長い期間その地に生まれ育ったわけではないので、根っこがない。その土地や人に対する帰属意識が在来種純粋日本人に比べ極めて希薄です。
ですから、その不安定で希薄な精神を支える為に、自分たちよそ者に馴染みのある権威(天皇)という幻想を作り上げ、権力(政府や警察)を祭り上げて、それを自分たちの後ろ盾として利用しようという習性がある。
しかし、何万年もの昔からこの地に生きる縄文人に、そんなものは不要。
100人いれば100人全員がスターであり、みんなが「天皇」「神」になれるのが、完全平等・機会均衡、同一民族縄文人による家族社会なのです。
「NHK素人のど自慢」のように、出演者も観客も審査員もみな同じ在来種日本人、同じ家族・おらが村の仲間なのですから。
「八百万(やおよろず)の神」の国である日本に、10万年以上も昔から住む私たち在来種日本人にとっては、教養・学びとしての宗教で十分なのではないでしょうか。
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哲学だの思想だのは、自衛隊や警視庁(の日本拳法)では、別の意味で無用のことです。
彼らは、あくまでも敵国の人間を殺す、警察に歯向かう人間を叩きのめす為に、日本拳法という実用的な格闘術を行なっているだけで、もし彼らに哲学だの思想なんていうものがあったら、迷わず敵を殺せないし、警察に歯向かう者に共鳴してしまうおそれがある
彼らにとって日本拳法とは、柔剣道と同じ(飯を食う為の)道具・武器の一つであり、また、彼ら自衛官や警察官自身も、自衛隊や警察という権力組織における一つの道具なのですから。
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2023年12月16日
V.5.1
2023年12月17日
V.6.1
平栗雅人
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