第5話 韓風社会に染まらない「我」を大学日本拳法で作る
現在の日本社会は、何から何まで、「韓風」。
政治・経済・警察・軍事、街の市役所や図書館、スーパー、そして、ネット情報を含むマスコミ(テレビ・新聞・雑誌)に至るまで、いまやすべて韓風で運営される社会となってきています。流儀というほどの中身はない。
ただ、いかにも韓国人的な、上っ面だけの「空気・なりゆき・風向き」。これが韓風。 在来種純粋日本人の心と社会に本当に根付いた、文化でも習慣でもないから、やがて一陣の強い風が吹けば雲散霧消してしまうにはちがいないのですが、とにかく今の日本社会が急速に韓風化し、見かけとは裏腹に日本社会全てが沈滞・停滞しているのは間違いない。
こうなると、たとえば、「日本VS中国」なんていう図式で日中関係を考えても意味が無い。
日中国交正常化を成し遂げた田中角栄(1918~1993)が、1972年、国際金融資本によって失脚させられて以来50年。田中角栄に代表される在来種純粋日本人による日本という国は消え、韓風日本という国になりつつある
ですから、日中関係を見るにも、「韓風日本VS(漢流)中国」という観点で諸事・諸現象を見なければ、正しい答えは出てこない、正しい道は見えてこないのです。
「おいおい、(韓風)日本人、なにスッとろいことやってるんだ。中国を見ろ、1980年代の日本のように、イケイケどんどん!と、景気が良いじゃねえか。」という真実が見えてくる。→ 人民報 日本語版 http://j.people.com.cn/
さてさて、この韓風社会が、今後さらに100年と続けば、日本は再び平安時代のような「天皇と貴族によるアホ社会」となり、セックス文学である「源氏物語」ばかりで、人間的・社会的に何の進歩も調和もない、「百済や新羅」のようになってしまう。
韓風首なし事件だの、「私の身体は男でも心は女なの」なんていう韓風夫女子が銭湯(公衆浴場)に出入りするようになる。なにしろ、彼や彼女たちには無数の人格が混在しているので、いつどこで、その内の一つが覚醒し、主人格として表面化してくるやも知れないのです(「失われた私」早川文庫NF)。
しかし、やがてのんびり屋の在来種純粋日本人にも、ようやく「それっておかしいんじゃない ?」という気運が高まり、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康のような盛徳の士君子(武士)が猛然と世に輩出され、このイカレタ「天皇貴族社会」を再度、京都にでも封じ込める(世になる)、という「歴史が繰り返される」のでしょうか。
ただし今度は、刀や槍、鉄砲や大砲ではなく、思念の戦いとなる。在来種純粋日本人も外来種偽日本人も、彼らの「我(われ)」がどこまでしっかりしているか、に気運は左右される。 そんな、サイバー戦争を通り越したサイコキネシス(psychokinesis)の戦いを、閻魔大王の娘とともに、私はあの世で眺めている、なんて。
いま大学日本拳法に精進される方々は、毎日の練習で、バカが3つ付くほどでかい声を出すことも(殴り合いの技術以上に)大切であると理解し、拳法の鍛錬を通じて、しっかりとした「我(われ)」の自覚・育成をされて戴きたいものです。
そうすれば、今年の大会会場での、かの道場主や女性拳士(OG)たちのように、在来種純粋日本人に成り切り、韓風という狂気に染まらず正気を保つことができるでしょう。
2023年12月14日
V.3.1
2023年12月15日
V.4.1
平栗雅人
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