─間奏曲 遠き日の声─

─間奏曲 遠き日の声─



「なあ、エスタシオン」


 研究室に持ち込んだブルーバード──発光する魔花(まか)をそっと手に取ったエスタシオンの背から、聞き慣れた声が響く。


「何でしょう?」


「お前は、“あの屋敷”に居た頃は、俺の頭なんて撫でなかったよな? それどころか、指先すら触れようとしなかった」


「あ、そういえばそうですね」


 振り返り、ゆるく笑みながら声の主──フィンリックの頭を撫でようとしたエスタシオンの手を、フィンリックは振り払う。

 学府エスタシオンが誕生してからは、よくあるやり取りだった。


「あの頃、君の祖父を葬る算段をしていた私には、君への良い合図が思い付かなかった──“私は君の敵になるんですよ、早く気付いて身を護りなさい、逃げなさい”と暗に伝えるには、君の優しい気持ちを拒絶しながら、少しずつヒントを出すしかないと思ったんですよ。それに──私が事を起こしたら、君は──」


「俺がお前に刃を向けたなら、それが揺るがないようにしておきたかったのか?」


「そうですね」


 蒼い花が、光る。

 ブルーバードは、微量の魔力を注いだだけで、周囲にいる人間全てを眠らせることができる──

 かつて、ルシェードの屋敷でエスタシオンがとある組織の協力者とともに開発した花だった。


「……シオン。お前なら、もっと短期間であの屋敷を占拠できたはずだ。魔花の開発に時間を要して、巻き込まれる人間を最小限に抑えたり、あの屋敷でお前と同じ立場だった“ルシェードの人形たち”を全員、逃がそうとしなければ──お前は、短期間の苦痛で済んだはずなんだ」


「気まぐれですよ」


 エスタシオンはブルーバードをおもむろに差し出すと、フィンリックが魔法防御を張ってそれを受け取るのを確認し、微笑みを浮かべる。


「それに、それを言うなら、フィン君は──私とギリアム・ルシェードの対決の時──君を先手の魔力で眠らせた時以外は、“人形たち”の動向に目を背けたことは無かった。見なかったことにすれば、いくらでもそうできるのに、君は私たち人形を、人間として扱った──心ある、人間として」


「そりゃそうだろ、俺から見ても、あの屋敷は“異様だった”。てめぇに会った日から、俺は──俺も。あの屋敷を変えることを、ずっと考えてきた。結果的に良い考えも浮かばないまま、ギリアムに先手を打って攻撃を仕掛けることになったが──気付いたらてめぇが全部片付けてやがった」


 フィンリックの眼差しは、一度険しくなり──そして、穏やかな色彩に変わった。


「あれから数ヶ月後、俺はてめぇに真剣を向けたろ?」


「ええ」


「俺とてギリアムに魔力を向けたのに、割り切れなかったんだ。……お前が察してるように、今も、それはある。……確かにお前は俺の祖父を殺めた。だが、お前は祖父の──ギリアムの蹂躙から、俺を助けた人間でもあった。てめぇはギリアムの欲望をてめぇに集中させることで、他の人形や俺を守った……」


「結局、君は私を殺さなかった」


「……殺せなかったんだ。ルシェード家は今までの権威を失くした、だが、俺は解放された……しかし、祖父にも良い面はあった……けれど、あのままあそこにいたら、俺の心は壊れていた……ルシェードの家名には泥を塗られた……俺自身も揶揄されるようになった……内部を何も知らない人間が、罵って来たりな。……だがそれは、てめぇのせいじゃねぇ。ただあの屋敷の“真実”が、ルシェード領全域に明らかになっただけだ。……様々な感情が、今も渦巻いちゃあいるが──」


 ふわりと、エスタシオンの手が、フィンリックの頭を撫でる。

 素早い不意打ちだった。


「うお、だからな! こういう時にする仕草じゃねぇだろ!」


「すみません、つい」


 エスタシオンは笑いながら、フィンリックの頭をなおも撫で回す。


「仇を、討ちたかったらいつでもいいんですよ。複雑で当然です。あの時に私を殺めても良かった。君は──優し過ぎるんですよ。そしてね、強くもある。そんな君だから、つい頭を撫でてしまうんです」


「俺の怒りが増えて今剣を向けたらどうするんだよ」


「その時はその時です」


 そっと手を離したエスタシオンは、極上の笑みをフィンリックに向けた。

 その笑みが、からかいに見せかけた──かつての罪悪感を孕んだ笑みと知るフィンリックは、一度、深い溜め息を吐く。


「まあ、あれだ。今は生かしておいてやるから──せいぜい、この学府の発展に精を出すことだ」


 フィンリックの淡い金の髪が、研究室の窓から流れ込んできた風に流されてさらにぐしゃぐしゃになり──

 エスタシオンは、口元に手をあてて微笑した。


「風にも頭を撫でられていますねぇ」


「てめぇ!」


「あはは、ありがとうございます」


 風はやがて穏やかになり、フィンリックは額に手を当てたまま、げんなりと研究室を後にする。

 その優しい背中を、エスタシオンは、フィンリックの姿が消えても、祈るように眺めて──


 そっと、目を閉じた。


「ごめんね……」




─ 間奏曲 Fin ─







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