第二章・優しい追い風
「ネウマちゃんは、お酒は大丈夫? アクアの法では、ヴァルドよりちょっと若くから──確か、ネウマちゃん辺りの年齢でも認められていたわよね?」
「私の年齢……」
ふわりと微笑んでいたネウマの表情が、一瞬だけ曇ったのを、シェーナは見逃さず──見逃さないからこその、笑みを見せる。
はぐらかそうと、シェーナが別の話題を語ろうとした瞬間、ネウマはシェーナに穏やかに笑み、言葉を続けた。
「──シェーナ様、私は、私の実年齢を知りません。アクアの西神殿の巫女は、一般的には神殿関係者の一族の中から託宣により『託宣力があるとされる子供』が巫女見習い──次期巫女に選ばれるそうなのですが──私の時は、違いました。私は、神殿関係者でも何でもない家に生まれて、言葉を覚えてからは不思議と様々なことを言い当ててしまうことがあったみたいなんです。西神殿よりは中央神殿区域に近い小さな村に居たそうですが、『この子はリリーは扱えるようだが、何らかの特能なのではないか』と疑われ、三歳くらいの頃に西神殿近くの孤児院に預けられたみたいでした。私は名前も年齢も明かされぬまま渡されたようでして、この名前は、その孤児院で数ヶ月ほどお世話になった院長先生からいただいたもののようです。ある日、そこに大司教様が訪れて──『これは特能ではない、託宣力が尋常ではないのだ』というご判断で、次期巫女としていきなり西神殿に召されたらしく──本当のところは、リリーと特能を合わせ持っていたのか、定かではありません。──そうしたいきさつで、私は西神殿では巫女見習いの時から『一切外に出てはならない』という掟のもと、ずっと西神殿の最奥付近で過ごして参りました。見習いから巫女になったのは早く、神殿に入ってから数年後でした。それからは毎日、側仕え以外のかたとは言葉を交わしてはならない日々で──私の記憶が鮮やかなのは神殿に入ってからですから、神殿で何年経ったかは覚えているのですが──もし、神殿入りが三歳半だとすると、それから十二年は経っていると思います。えっと、話が長くなってしまいましたが──十五にはなっていると思いますから、アクアの法の十三は越していますね」
ネウマの瞳の色は穏やかなままで──シェーナは思わず昔日のアズロが語ったラナンキュラスでの祈りの日々を重ねそうになり、頭を振る。
そうなんだね、と微笑み、ネウマの頭をそっと撫でた。
「神殿の巫女は、秘密裏に様々なお酒や毒物に、少しずつ慣らされます。託宣の巫女はアクアの三つの要。命を狙う人はたくさんいるみたいで、万一飲まされても生きていられるように──と、これは前置きでして」
「え……?」
気遣わせてしまったシェーナを笑わせるかのように、ネウマはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「おそらく私は、シェーナ様と同じくらい飲んでも大丈夫ですわ。そこのお酒をいただいても構いませんか?」
二人のやり取りを唖然として聞いていたアズロがおもむろにグラスを差し出すや否や、ネウマはにっこり笑って一気に飲み干した。
「ふふ、とっても美味しいですね。ありがとうございます」
表情は笑顔のまま、紅くも白くもならないし昏倒もしないネウマが飲んだ酒は、シェーナ用に持ち込まれた、強度の酒で──
「そのお酒、僕でもまだ少し酔うのに」
「ネウマちゃん大丈夫!? バカズロ!何自然と飲ませてるのよ!」
「いや、なんとなく……大丈夫な気がしちゃって……何だったんだろう、どこか知ってるような雰囲気が……いや、それより、本当に大丈夫?」
「──大丈夫どころか、二杯でも三杯でも、美味しいと言うと思いますわ」
落ち着いて笑むネウマに、アズロは圧巻、シェーナはといえば、初めて同志に会えたかのような煌めきの眼差しを向けていた。
無論、隣でフィンが再び倒れたのは語るに及ばない。
「ネウマちゃーん!! 飲もう! ネウマちゃんの旅が落ち着いたら、今度たくさん飲もう!!」
「はい、ぜひ」
ぬいぐるみに抱きつくようにネウマにぎゅっと抱きつくシェーナに、ネウマはこくこくと頷く。
嬉しそうに──どこかほっと安心したように。
『毒物の危機は、多少は避けられる、か……』
倒れた体のままフィンが口の形だけで呟き、アズロは首肯する。
こちらも口の形だけで、短く応答した。
『警戒するに越したことはないですが』
二人のやり取りを知ってか知らずか、ネウマはシェーナと微笑み合い、残っていた平べったい形のパンを口に含みつつ、ふと自らの掌を見つめる。
(昔、この手で誰かの頭を撫でては怒られていたような──いや、『ような』じゃないですよね。私は、心のどこかで『確かに覚えている』……それを、いつ──)
遠い、遠い何かがくすぶって、表情を険しくしそうになり──ネウマは慌てて、しかしゆっくりと、表情を笑みへと戻した。
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