第11話 危険×棄権×聞けん


 2回戦目、ベスト8を決める戦いで、娘は再び千代氏と対決することになった。


「娘よ、気を付けろ。千代さんがいるぞ」

「え? だれ?」

「……嘘だろ? さっき戦ったばかりだろ?」

「え? いつ?」

 そういや、うちの娘はおバカだった。

「チーム戦の敗者復活戦のとき! ちなみにお前に勝った相手だぞ! なんで自分より強い奴わすれてんねん!」

「なんか、目の前でいちゃついている人が気になってさぁ」

……。

 まぁ、お年頃だしな。


「それに俺、人の顔と名前覚えるの苦手だし」

 それはわかる。実は僕も苦手だったりする。

 この前、福岡の街中を歩いていたら実の兄がいたので、「よう。兄じゃん。こんなところで会うなんて奇遇だな」と話しかけたら、別人だったことがある。


「今だに父親の顔とか覚えてないし」

「そっか。……って俺のことじゃん! 記憶をなくしても構わないから、パパの顔を覚えろよ! ほら、よく見ろ!」

「目が腐る…」

「絶対それが言いたかっただけだよね!」


 やがて、2回戦が始まった。

 やはりというか、娘は千代氏にリードを許していた。

(勝てないのか…?)


 プレイヤーたちの手が、激しくぶつかり合う。

 ふと千代さんが、自分の指を気にする仕草を見せた。

 もしかしたら怪我したのかもしれない。


 僕はふと娘が気になった。

 おばけキャッチはそのゲームの性質上、指と指がぶつかり合うことが多い。

 練習のときは怪我しないよう、オブジェを取ったら手を逃がすことを教えていたが、実力が拮抗しているこの場所では、そのやり方は不可能に近かった。


「あっ!」

 誰の声だったか、悲鳴に似た音が聞こえた。

 娘の手の先を、近くで見学していたプレイヤーが指し示す。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

 ややあって、「血が……」という情報が入ってきた。


 どうやら娘は怪我をしたらしい。

 テーブルの上に指先から流れた落ちた血が、血だまりを作っていた。


 スタッフの人がすぐに絆創膏を手渡してくれた。

 僕は絆創膏を受け取りながら、娘の近くへ行き、指の様子を確かめる。

 思ったよりも酷くはなかった。


「先にトイレで洗って!」

 

 絆創膏を貼ろうとした僕を、誰かの声が制止する。

 そうだなと思い、娘と一緒にトイレに入った。


「痛いか?」


 手を洗わせながら質問する。

 娘は顔を横に振った。

 だが、その表情は涙で歪んでいた。


(もう無理だろな)


 僕は内心でそう思った。

 たとえ怪我が大したことなくても、恐怖心から動きは鈍ってしまうだろう。

 まともに戦えるとは思えなかった。


「娘よ。棄権するのもありだ。もう十分楽しんだだろ? 帰っても構わないよ」

 

 しかし娘は顔を横に振った。


「嫌だ。最後まで戦いたい」


 意外にも娘の闘争心は消えていなかった。


「気分悪い。頭がぼぅーっとする」


 娘がふらふらと今にも倒れそうになっていたので、優しく抱き留めて、背中をさすってあげた。

 今は少しでも気分を落ち着けないと。


 ガラガラガラ。


 誰かがトイレのドアを開けてきた。


「きゃっ! ごめんなさい!」


 ドアを閉められた。

 声からして女性のようだったが、僕は背中を向けていたので、誰が来たか分からなかった。


 ただひとつはっきりしているのは、トイレで小学生の女の子を抱きしめているオッサンの姿を見られたという点だ。

 

 …………。

 大丈夫だよな? 事情を知っている人だよな? 警察に通報しないよな?

 僕のほうも泣きそうになっていた。


 娘はまだ落ち着かないので、一度外に出て、外の空気を吸ってくることにした。

 試合を止めているにも関わらず、誰一人嫌そうな顔もせず、みな娘の事を気遣ってくれた。

 いい人たちだ。


 5分くらい外に出てくると伝え、僕らは玄関を出た。

 入り口を少し出たあたりで、主催者の村山氏が娘に話しかけてきた。

「大丈夫? 無理しないで。棄権するのもありだよ」

 村山氏も棄権の可能性を考慮していたのだ。


 娘が何も言わないので、僕が代わりに答えた。

「まだ参加したいようです」

 けれども村山氏は僕ではなく、娘に目を向けて再度問うた。

「どうしたい?」

 どうやら僕が娘の意見を無視して勝手に判断していると思われたらしい。

「続けたい」

 娘の意志を確認して、村山氏は僕のほうへ視線を向けてきた。

「5分ほど、時間をください。しばらくしたら戻って来ます」



 右も左も分からない広島の地。

 店を出たすぐ近くの人気のない階段に、娘とふたり腰を下ろした。

 娘は星が好きなので、空を探したが、街の明かりが強いのか、星は見えなかった。


 情けないことに、僕は年頃の娘を慰める術を持っていない。

 なので強力な助っ人を召喚することにした。

 電話で妻を呼び出し、娘を慰めてもらった。

 妻の「あ~しらき」のモノマネを聞いて、娘は元気を取り戻した。

 もうちょいマシなもんチョイスしろよ、とは思った。


 落ち着いた娘から話を聞く。

 やはり最後まで戦いたい。

 指は痛くないが、血を見たショックで頭がぼぅーっとしてしまった。

 今はもう、殺意の方が勝っていると。


 僕は頷き、会場へと戻った。

 それでこそ、ボーパルバニーだ。

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