第10話 災厄の日

 学校では、もうすぐ日本のツキノワグマの留学生が来るらしい、という事がクラス内で噂になっていた。男子クマだという事は伝わっていたので、女子は「カッコイイ子が来るだろうか?」とか、男子は「気に入らない奴だったら締め出してやる」とか、なんだか教室内がザワいているのを感じる。


 そういった感情から、一歩引いた位置にしかいられない自分が悲しい。興味が無いわけでは無いが、どうせ明日になればやってくるのだし、ああだこうだ喋ってもあまり意味がないのだ。そう思ったボクは、朝のちょっとした時間も一人で相変わらず機関車の設計ノートを取り出しては、自分で設計計算をして、自分だけの機関車を机上で作ろうとしていた。


 「なんだよ、またこんなもの書いてるのか。」


 ふとみると、クマノヴィッチの手下になったシロクマのセルゲイが、ずるそうな眼をしてボクの後ろにいた。ボクはしまった、と思った。大事な設計ノートを学校なんかにもって来るべきでは無かったと、その時、ボクは深く後悔した。


 セルゲイはボクの大事なノートを取り上げると、クマノヴィッチのところに持っていった。クマノヴィッチはノートをパラパラとめくって、つまらなそうに言った。


 「なんだかサッパリわからん、おい、ミーシャ、こっちへ来い。」


 なんでボクが奴のところへ行かなければならないのか、意味が分からない。ただ、大事なノートは返して欲しいのでボクはクマノヴィッチのところへ行く。


 「そればボクのノートです。返してください。」


 ボクは少し怒りを含んだ声で、そういった。


 「ああ、いいよ。そのかわり、今日一日、お前は俺の奴隷だ。いう事を聞いたら返してやるよ。」


 だいたいそんな事をいうだろうな、と想像していた通り無茶苦茶な事を言ってくる。なんで一方的に物を取り上げておいて、それを返してもらうためにボクが奴隷にならなければならないのだ。そんな理不尽があってたまるか、とは思う。ただ、まともな理屈で物事が解決するような相手なら、そもそもこんな事にはなってない。とりあえず、ノートが大事なボクは、力なく「ハイ…」と答えた。


 「じゃあ、さっそく俺とセルゲイにジュースを買ってこい。」

 「ハイ、じゃあお金をください。」

 「バカ、お前の金で買うに決まってるだろ。」

 「…………」


 ボクは無言で教室を出ると、自動販売機までジュースを買いに行った。悔しくて涙が出そうになるが、泣いているところを見られたら更に馬鹿にされる。だから懸命に涙をこらえてボクはジュースを買ってきた。


 「ハイ、買ってきました。だからノートを返してください。」

 「バカ、一日はまだ始まったばかりだ。今日が終わるまではお前は俺の奴隷だ。」

 「…………」


 理不尽さを噛み締めながら時が流れるのを待つうちに、授業がはじまった。ボクの大好きな物理の授業だ。メガネをかけたシロクマの先生が、力学の授業をしている。


 「ハイ、ここに、動かない壁がある。ここに一頭のクマがいて、この壁を10N の力で押している。それでは壁はクマをいくつの力で押し返しているか、わかるか?」


 教室がシンと静かになる。先生は周囲をみわたして、分りそうなやつを探している。先生が期待した目でボクを見るのがわかる。ボクは目立ちたくないので目をそらすが、冷酷にも先生はボクの名前を呼んだ。


 「はい、ミーシャ、わかるか?」

 「10Nです。」

 「正解。なぜ10Nなんだ?」

 「作用・反作用の法則だからです。」

 「正解、さすが、ミーシャだな。」


 褒められて嬉しい半面、どうせまた、これをネタにいじめられるんだろうなと思うと、ボクは憂鬱になった。かといって、わからない不利をして道化を演じるのはボクのプライドが許さないのだった。


 10分休みにトイレに行こうと立ち上がり、歩き始めた時、ボクはなぜかつんのめって転んでしまった。見ると、セルゲイが足をかけてボクを転ばしたのだった。


 「これも、作用・反作用だよな、ミーシャ先生。」


 意地悪そうな顔をしたセルゲイは、ボクにそういった。ボクは話しても仕方ないのでこれを無視してトイレに行った。そのあと、移動教室の荷物を持たされたり、昼はボクのお金でパンを買いに行かされたり、何度も足をかけられたり、ボクは一日散々な目に遭った。


 陰鬱な一日も終わり、終業の時刻になった。ボクはクマノヴィッチのところに行くと、「ノートを返してください。」と言った。


 「はいよ。」


 思いのほか素直に返してくれたので、ボクはホッとした。あわててノートを鞄にいれようとした瞬間、うしろにいたセルゲイがパッとボクのノートを取り上げてしまった。「やられた!」そう思った時にはもう遅く、ノートはクマノヴィッチの手に渡っていた。


 「今日ちゃんと返したぜ。明日も、よろしくな。」


 そういうとクマノヴィッチは残忍な笑顔を浮かべるのだった。

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