第6話 夢の中で

 ボクは、こぐまだった頃のことを夢で見ていた。どうも、世間一般ではこぐまというものは相手が親であれ、兄弟であれ、友達であれ、噛み遊びをしたりレスリングをしたり、激しく肉体的衝突をして成長してくものらしい。


 ボクはなぜだか、そういう事になんの興味もなかった。お父さんがくれた図鑑や絵本をじっくり読んで、いろんな機械、船や鉄道のしくみを考えるのが大好きだった。噛みついたり暴れたりしている時間があったら、図書館にいって少しでも新しいことを知りたかった。母があまりに普通のこぐまと違うので心配して、かかりつけの小児科に相談したらしい。ただ、その時のお医者さんの答えが良かった。


 「いろんなクマがいますからね。この子はそういうクマなんですよ。」


 母は、知能テストとかなにかわかりやすい形での答えが欲しかったようだが、先生の回答は違った。


 「私と話していて、この子の受け答えは素晴らしく聡明です。肉体的な遊びは、この子が好きじゃないのであれば、やらないでおけばいいんじゃないですか。検査とかテストとかしたって、この子はこの子で、変わりようがないんですよ。悪い事では無いのだから好きな事を伸ばしてあげたらいいと思いますよ。」


 後で聞いたところでは、この先生はボクと同じ進学校の先輩で、「異端」と呼ばれた小児科医だったそうだ。でも熱烈なファンもいて、なかなか独特な先生だったそうだが。


 「それならそれで、いいじゃないか。」


 ママが心配するのに対して、ボクのパパはそういったらしい。噛んだり殴ったりしても、これから先のホッキョクグマはそんなことは役に立たない。技術が好きならそれでいいじゃないか。と、パパは言い切ったそうだ。


 それからボクはいろんな課題工作をしたり、模型をつくるといったことを父と一緒にやるようになった。そして、その先にある本当の物づくり、設計することの責任と価値を学んだ。父は常にものを作ることは命を預かることだ、とボクに言って聞かせた。自動車でも鉄道でも、たとえ冷蔵庫でも電子レンジであっても、それはすべて利用者と運転者の命を預かっている。設計するものはそれを肝に銘じて常に安全を考えなければいけない、と父は何度もボクに語った。


 あるとき、おじいさんが大きな箱に入った一セットの子供用鉄道模型を買ってきてくれた。日本製の青いレールが箱いっぱいに入っていて、蒸気機関車や電気機関車、電車が何種類も入っていた。部屋いっぱいにレールをしきつめ、自分の思い通りに貨物列車や旅客列車を走らせるのは本当に楽しかった。この列車はクリスマス休暇で故郷へ帰る人を乗せてるんだ、とか、この列車は冷凍の鮭を満載しているんだ、とか、いろいろな空想をしてボクは楽しんだ。空想の中でも、ものや人が動いて生活が動いていくことが楽しかった。時にはおじいさんも一緒に遊んでくれて、そこには世界中のどこよりも幸せで豊かな都市交通があった。


 そうして時は流れ、ボクも進級し子供用模型では遊ばなくなった。そんなある日、朝起きたらおじいさんが倒れていた。脳溢血だった。すぐに救急車がきておじいさんは病院へ運ばれた。其れから数日間、ボクは放心状態だった。ただ、負けちゃいけない、しっかり生きなければいけない、という気持ちで学校へ行き、学校が終わるとすぐに病院へ飛んで行った。意識のないおじいさんを見つめていると、胸が締め付けられるように苦しくなった。目から涙がポロポロ、ポロポロこぼれてどうにもならなかった。夕方の面会終了まで病室で泣き暮らして、家に帰る、そんな日々が続いた。


 数日後、家族でお医者さんに呼ばれた。お医者さんは深刻な顔でⅭTスキャン画像を見せると、右脳が大出血を起こしていて、もう助かる見込みはないとハッキリと告げられた。なんとなく想像していたことだが、現実を突きつけられてボクは愕然とした。


 それなのに、なぜかボクはその日から泣かなくなった。厳しい現実をつきつけられて、もう泣いても無駄だと思ったのだろうか。ボクはお見舞いに行っても明るく振舞うようになった。ずっとシクシク泣いているのではなくて、病室で本を読んだり、宿題をやったりして過ごすようになった。看護士さんたちには、「強くなったのね。」なんて言われたりした。考えてみればもう高校生なんだから、グズグズ泣いているのは恥ずかしい気がした。


 そんなある日、「う~」という呻き声が聞こえ、ふと見るとおじいさんが目を覚ましていた。目をパチパチさせている。


 「おれは、倒れたのか。」


 倒れて以来、おじいさんが初めて口を開いた。ボクは一瞬言葉につまったが、答えた。


 「そうなんです。一週間前に倒れたんです。」

 「おれは、もう駄目だな。」


 わかっているようにおじいさんがつぶやいた。ボクは声を上げて泣きたいのを我慢して、笑顔を作った。


 「そうかもしれません。そうかもしれないから、言わせてください。ボクは、おじいさんの孫で本当に良かったです。一緒に旅行にいったこと、鉄道博物館へ連れて行ってくれたこと、鉄道模型で一緒に遊んでくれたこと。ボクは本当に楽しくて、本当に幸せでした。もしこの世に生まれ変わりと言うものがあるなら、ボクはまたおじいさんの孫に生まれたいです。」


 それを聞いたおじいさんは、少し微笑むと言った。


 「そうか、そんなに良く思ってもらえてるのか。おれは幸せだったな。」


 そういって、またおじいさんは目を閉じると昏睡状態に入った。その日の帰り道は、なんだかとてもスッキリした気持ちと、死にたいくらい悲しい気持ちがぐちゃぐちゃになって、ボクはまわりからみたら少しおかしなシロクマみたいだっただろうと思う。


 そこから粘りに粘って、倒れてからきっかり一か月後、おじいさんは息を引き取った。ぐちゃぐちゃな気持ちの中でボクはもう限界を迎え、お葬式が終了した日の夜、卒倒してボク自身が救急車で運ばれてしまった。初めて身近な人を失い、永遠にもう会えないという現実を突きつけられて、行き場がなくなった気持ちが破裂したのかもしれない。よくわからないが鎮静剤を打たれて病室で一晩眠って、ボクは家に帰った。


 翌朝、病院から家に帰るみちすがら、昔通った小児科の近くを通ると例の「異端児」先生がいた。彼ももういいお歳で、ぼちぼちと診療所をやっている感じだった。ボクを見ると、向こうから声をかけてきた。


 「おお、ミーシャじゃないか。こんな所で、どうしたんだい?」


 事の顛末てんまつと、入院した経緯を話して、「なんともお恥ずかしいです。」、と言うと。


 「いやいや、思った通り豊かな感受性をもったシロクマに育ってくれた。これからの人生でいろいろと辛いこともあると思うけれども、君の優しく優れた感性を大事にしてほしい。」


 そんな風に言われた。そのときは「はぁ、そうですか。」としか言えなかったけれども………


 ……………………………………………


 夢から覚めたボクはグッショリと濡れた枕を見つめながら、「あの時はつらかったよね」、と自分に話しかけて、また布団を被った。枕の染みはまだ広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る