第5話 イクルーツクへの旅

 くすんだ色の海と灰色によどんだ空以外、何も見えなかった時間が終わり、陸のようなものが見えてきた。どうやら退屈な船旅もそろそろ終わりらしい。四人部屋の船室がやたら広く、空虚に見える。どうも軽い船酔いのせいか頭がボーっとして、やたらと眠かった。そうこうするうちにアナウンスが入った。


 「本船は間もなく接岸します。下船の準備をお願いします」


 船の間もなくっていうのは1時間くらいのことを言うようで、接岸までにはかなり余裕があった。荷物をまとめてしまったおれはやる事もなく港を眺めていた。鮮やかなオレンジ色に塗られた特殊船や、灰色の軍艦、北の海に耐えられるような頑丈な構造の様々な船が並んでいて、日本の港とは違がった、なんだかとても武骨な印象を受けた。船はラスターを稼働させながら、ゆっくり、ゆっくりと岸壁についた。


 「本船はただいま、ウラジオストク港に到着いたしました。船内にお忘れ物の無いよう、手荷物をご確認の上、下船をお願いします。またのご利用をお待ちしております。」


 アナウンスが流れると、みんなゾロゾロと上甲板に向かっている。おれもなんとなく皆と一緒に下船し、あらかじめ教えてもらっていたガイドの番号に電話をかけた。


 「どうも、日本から来たクロイです。いま、ウラジオストクにつきました。」

 「あー、クロイサン?ハイハイ、じゃあ、そこからシベリア鉄道でイルクーツクまできてくださいね。マッテマスヨ。」

 「はい?」

 「シベリア鉄道、切符買ってください。クロイさんの予約アリマスから。」


 来たよ。これだよ。こんな感じだろうと思ったよ。こういう事があるから海外に行くのは嫌なんだよ。ああやっぱりという声がおれの心の中でこだました。もう仕方ないし、変なタクシー運転手とかにも捕まりたくないので、一緒に船を降りた身なりのよさそうなシロクマに翻訳ソフトを見せて、「鉄道でイクルーツクまで行きたい」という翻訳文を見せる。それを見たシロクマ紳士は少し大きな声で周りの人に何か喋りかけ、人が集まってきた。人々はなにやらグチャグチャと喋っていたが、やがて一頭のパンダがおれに喋りかけた。


 「あなた日本人ですか?」

 「そうです、短期留学でイクルーツクまで行かなければいけないんです。」

 「なら、私と一緒に行くといね、私は張と言います。」

 「私はクロイと言います。よろしくお願いします。」


 渡りに船、だとか旅は道連れ世は情け、とはよく言ったものだ。話を聞くと、パンダのおっさんは大連にある中古家電品販売業の社長で、日中露の三角貿易で中古家電やパソコンを売りさばくブローカーらしい。廃棄されたパチンコ台なども重要な電子部品がたくさん入っていて高値でさばけるらしい。根が商売人のおれは、その道の先輩の話を有難く拝聴させていただく。いろいろと身の上話をしているうちに、ぽろっとおれのおやじが経営者だと伝えると、張氏はきらっと目を輝かせて言った。


 「せっかくだからお父さんにも挨拶したいね。電話番号教えてくれるか?」


 もちろん嫌とは言えない。張氏はすぐに親父に電話をすると、おれと一緒に旅行してることや心配ないなどのことを伝え、すぐに親父がどんな商売をしているのかを聞き出していた。日本のミネラルウォーターは中国で売れるかもしれないとか、茶葉を調達するから中国茶飲料を作ったらどうかなどと色々話して、次に来日したときに訪問する約束までまとめてしまった。営業マンかくあるべし、と言うか、さすが中国人と言うか、おれはすっかり感心してしまった。


 おれたちはチケットカウンターにつくと、張氏はおれの列車予約を確認し、自分と一緒にするように不愛想な受付嬢に頼んだ。不愛想なヒグマ女子は無言でチケットを押し出し、張氏は受け取るとそのうち一枚をおれに渡した。ウラジオストク駅からイクルーツク駅までは約3日の旅程で、寝台列車で行くこととなる。


 おれたちが乗る列車は「ロシア」号と言われる寝台列車で、夜の20時過ぎに出発する。日没近くに駅についたおれたちは、既に駅に到着している列車の中で発車を待つこととした。旅慣れた張氏は寝台を出すと、上の段に上がってさっさと寝てしまった。おれもやる事が無いのでロシア語会話の本をパラパラとめくったり、スマホで小説を読んだりしてゴロゴロとしていた。なんだか天気もどんよりとしているのでボーっとしていたところ、またもやおれは眠りに落ちていた。


※ 着岸時に横方向に移動するためのスクリュー

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