第37話 ダンスバトル(2)

 翔太は観客席から観て左側に立ち、右側から歩み寄る対戦相手と握手をした。互いに笑顔を見せるが、数秒後には真剣な表情に切り替わる。

 DJが曲を流すと同時に、翔太が素早く大きなステップを踏み始めた。

 この曲、去年からよくクラブでかかってる曲だ……。「Club Cave」でもかかっていた、何だっけ、そうだ、『Never Freestyleネバー・フリースタイル』だ。


 この曲を作り出したCoast Contraコースト・コントラというヒップホップグループは、ヒップホップ黎明期のオールドスクールと呼ばれるラップスタイルを特徴としている。

 1970年代、ニューヨークのサウス・ブロンクスで開かれていた野外パーティ。ディスコやソウル、ファンク等の音源を流すDJが現れ、次第にマイクを持ってラップを披露するMCやブレイクダンスをする若者が登場した。このパーティはストリートギャングとも密接な関係があり、銃や暴力で血を流す代わりにブレイクダンスやラップで優劣を競ったのである。


 翔太は交互に足を空中に投げ出すと、床に右手の五本指をついて腰から下を浮かせてスピンさせた。ジャンプした後、DJの流すMCに合わせて両手両足を別々に動かす。拘束された状態から自由を勝ち取ったようなその動きは、この曲に対する一つの解釈を体現していた。


 MCの内容は沙羅にはほとんど分からない。だが、ヒスパニック系の黒人であることを誇った部分は、同じルーツを持つ沙羅の心に真っすぐに響いた。

 上半身と下半身が別の生き物かのように自在に動き、柔軟かと思えばロボットのような動きもする。

 ダンスが好きで堪らない。やっと大勢の観客の前で自分のダンスを披露できる喜び。

 翔太の全身から喜びと感動が溢れ出し、観る者の胸に流れ込んでくるようであった。沙羅は自身のエネルギーを翔太の体に送り込もうと、組んだ両手に力を入れた。


 持ち時間2分30秒が過ぎ、翔太がステージを退くと、対戦相手の男性が体を弾ませながらステージ中央へと躍り出る。翔太より体格も良く、体幹の強さを感じさせるような激しいムーブをするが、沙羅にはどこか単調に感じられた。ヒップホップに詳しくない沙羅でさえも、翔太のムーブの引き出しの多さが分かる。

 果たして、圧倒的な得点差をつけて翔太はこのバトルに勝利し、その瞬間、沙羅は立ち上がって拍手を送った。


 家族が付き添えなかった翔太の為に自分だけでも盛大な拍手を送りたい。そんな沙羅の想いを覆すかのように、客席最前列のグループが歓声を上げた。翔太の名前を叫んでいる。

 ダンスの専門学校時代の友人だろうか。沙羅は翔太を応援する仲間がいたことを嬉しく思う反面、彼らの雄叫びの大きさに驚いていた。在学時は大会に出場できなかった翔太。彼の才能と努力を間近で見守っていた彼らは、内心歯痒い思いをしていたのだろう。

 沙羅は我が事のように喜ぶ彼らの存在に嬉しさを感じながらも、言葉に表せない感情が腹の底に渦巻くのを感じた。


 翔太は一試合目で勝利したダンサーには負けてしまったが、三位決定戦で見事三位を勝ち取った。沙羅は興奮に包まれながら観客席から翔太の名前を叫んだ。しかし、その声は最前列のグループの雄叫びにかき消され、翔太には届かない。

 最後のバトルを観戦しながら、沙羅の頭に公園で見た翔太のダンスが蘇った。

 国内三位のダンサーのダンスを、私はあの時、独り占めしたんだ。なんて贅沢な時間だったんだろう。

 あの時、二人の心が近づいたその瞬間と、心の叫びのような翔太のダンスが沙羅の心に鮮やかに浮かび上がった。今日の翔太のダンスにはもはや悲壮感は消え失せ、ただ喜びに満ちていた。


 会場が熱気に包まれる中、沙羅はぼんやりと彼らのダンスを眺めていた。胸の奥に一つの問いが頭をもたげるのを、沙羅は必死に抑え込もうとしていた。全てのバトルが終わり、翔太が負けたダンサーが優勝に輝いた。

「三位までのダンサーは、ニューヨークでの世界大会に出場ー!!」

 司会者の言葉に沙羅は驚き、口を開けたままステージ上の翔太を見つめた。

 ニューヨークに行きたい。翔太の長年の夢が結実する瞬間を目にし、沙羅の心は震えた。早く翔太に抱きついてその喜びを分かち合いたい。ステージ上のダンサー達が舞台袖に下がると同時に沙羅は席を立ち、楽屋と急いだ。


 楽屋の扉を開け、ひしめく人々をかき分けて翔太を探す。部屋の奥で知人達に囲まれている翔太を見つけると、沙羅は少し離れた場所から小さく手を振った。興奮気味に話しかける取り巻きに照れ笑いを浮かべていた翔太は、沙羅の姿を認めるとその輪から外れて歩み寄った。

「すごかった。おめでとう」

 泣き出しそうな顔でそう言った沙羅の顔を見つめ、翔太は頷いた。

「沙羅、来てくれてありがとな。これからこいつらと飲むから今日は一緒に帰れないんだ。ごめんな。帰り道気をつけろよ」

 取り巻きの注目を一身に浴びていることに居心地の悪さを感じながら、沙羅は首を縦に振った。楽屋を出て暗い廊下を歩きながら、翔太に触れられない寂しさを沙羅は感じていた。

 

 


 

 

 

 

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