第36話 ダンスバトル(1)
沙羅は観客席でチケットを握りしめていた。ステージの両端をダンサー達が取り囲んでいる。午前に行われた審査で落とされたダンサー達だ。
必ずベスト8に残るから観に来てほしい。
翔太はその宣言通り、見事八名の一人に入った。地方での予選を勝ち抜いたダンサー達が一人ずつ審査員の前で踊り、スコアを競ったというその様子を、一般客の沙羅は観ることができなかった。
手の中にある皺くちゃのチケットに沙羅は目を落とす。三時間も早く到着した沙羅は、開場まで周辺をあてもなく歩いていた。
その時、沙羅の頭に浮かんだのは、パルマの休憩室で寸暇を惜しんで踊っていた翔太の姿だ。町田に引っ越す前に翔太はパルマを辞めてしまったが、その姿は沙羅の脳裏に焼き付いている。
午前の審査でダンサーに付き添えるのは家族だけだ。翔太は今頃一人で闘っているのだろうか、沙羅は歩きながらそう思った。
今朝、多摩センター駅の改札を抜けた時、初冬の透き通った風が頬を撫で、沙羅は身震いをひとつした。駅前ロータリーからまっすぐに伸びる赤いレンガ通り。その光景を目にした瞬間、沙羅は高校時代を思い出した。
沙羅の高校は多摩センター駅から歩いて二十分ほどの場所にあり、放課後はこの辺りでよく遊んだものだ。刹那的な楽しさに興じ、陽だまりのような時間がいつまでも続くと信じて疑わなかったあの頃。やがて周囲が進路に向けて準備を始めると、沙羅は疎外感を味わうようになった。
進学先について京子と口論する事に、沙羅は疲れ切っていた。かと言って、つるんでいた友達はもう先を見据えている。居場所を失った沙羅はこの会場前の長い階段に腰かけ、音楽を聴きながら一人過ごしたものだ。
沙羅は目を細めてその階段をしばらく眺め、静かに腰を下ろした。今歩いてきた駅までのレンガ道が目前に広がる。両脇に並ぶカラフルなアパレルショップやドーナツ屋。つい一年ほど前まではよく通った場所なのに、今では遠い日々のように感じる。
諦めなくて良かった。
沙羅は心の中で呟いた。
卒業以来、かつての友達から誘われても、沙羅は返事を濁して会う事を避けていた。彼らの新生活の話題を笑顔で聞く自信がなかったのだ。
でも、だからこそ翔太さんに会えた。
沙羅はマフラーを巻き直し、鞄からチケットを取り出すと、じっと見つめた。中学生から今日まで大会に出られなかった翔太の道程を想った。
きっと私よりも曲がりくねった道だったはず。
沙羅はチケットを両手で挟み、祈るように目を瞑った。
会場のライトが明るさを増し、DJブースにDJが入る。司会者が挨拶をすると、ステージ両脇のダンサー達と観客席が沸き上がり、沙羅も現実に戻された。
急いでチケットを鞄にしまい、沙羅はステージに目を凝らした。
DJがどんな曲をかけるのか、本番まで出場者達は知らない。いかに多くの曲を聴いてきたのか、また知らない曲であってもどう合わせて踊るのか、その能力が試されるのだ。
最初のバトルに翔太の姿はなかった。曲がかかると同時に、左側に立っていた女性ダンサーがステップを踏みながら中央に躍り出る。彼女は曲調を確かめるように体をくねらせた。
このダンス大会の種目はヒップホップフリースタイルで、創造性に富んだダンスが競われる。ムーブと言われる手足の技を、数分の間にどれだけ繰り出せるかが見どころの一つだ。
沙羅は「Club Cave」で翔太から教わったサイドステップやボックスステップ、ランニングマン、ポップコーンステップ等をダンサーが自然に繋げていく様に目を奪われた。
曲が途切れ、今度はアップテンポの曲が流れると、右側に立っていた男性ダンサーが弾けるように踊り出す。このダンサーはまるで体がゴムで出来ているかのようにしゃがんだ姿勢から飛び上がり、駒のように回転したかと思うとぴたりと静止する。
ダンスが輝くのは止まった時のポージングなんだ。
ふいに、沙羅の心に翔太の言葉が蘇る。
激しい動きや大技が注目されがちだけど、そうじゃない。キレのある動きからいかに滑らかにピタッと止まれるか。その「動」と「静」のコントラストに美学がある。俺はそう思ってる。
まるで翔太が隣で解説しているかのように感じながら、沙羅はダンサー達が繰り広げる熱い闘いに夢中になった。
一試合目は男性ダンサーのポイントが高かったようだ。観客席から歓声が上がる。勝ったダンサーの知人達であろう。
続いてステージ袖から出てきた翔太の姿を見て、沙羅は思わず両手の指を絡めた。その手はわずかながらも震えている。翔太も震えているのだろうか。沙羅は祈るように胸の前で手を組み、ステージ上を見つめた。
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