第28話 公園
沙羅はそんなロッキーの背中を優しく見つめてから、並木道の脇の遊具で遊ぶ親子連れに目を移した。母親に背中を押され、徐々に高さを増していくブランコに乗った子どもは、絶え間なく奇声を上げている。
沙羅はぼんやりとその光景を眺めながら、ふと田嶋はこの公園に親子で来たのだろうかと思った。
ロッキーに手を焼きながらも笑みがこぼれる田嶋の横顔を、沙羅はそっと盗み見た。なんとなく直接聞くのは躊躇われる。
沙羅は再び遊具の方に視線を戻し、幼児の田嶋と母親が笑い合う光景を思い浮かべた。昼下がりの穏やかな母子のひとときは、沙羅の心に
「どうした? 君もあそこで遊びたいか?」
ふいに頭上から田嶋の声がして、沙羅が顔を上げると田嶋がニヒルな笑みを浮かべて沙羅を見ていた。その冗談に笑いながら
本能をくすぐられたロッキーがその後を追いかけ、田嶋も引き摺られるように走り出す。並木道を追い風が吹き、二人と一匹は風に乗って広場まで走り抜けた。
広場で芝生の上に寝転がると、沙羅は綿あめのような雲が少しずつ引きちぎられ、形を変えていく様子をしばらく眺めていた。ロッキーは与えられた骨を夢中でかじっている。田嶋は
「田嶋さん。女の人の色気ってなんですかね」
寝転がって空を眺めたまま沙羅がそう呟くと、田嶋はむせた。
「大丈夫ですか?」
思わず起き上がって心配そうに自分を見つめる沙羅を、田嶋は黙って見つめ返す。
「聞く相手を間違えてる。女の色気の事なんて、俺に聞くな。そういうのは亮に聞くんだな」
沙羅は唇を尖らせて恨めしそうな視線を田嶋に送った。
「嫌ですよー。亮先生なんて、どんな女の人にも『そのままでいいんだよ』とか言いそうだし」
その返答に田嶋はハハッと声に出して笑うと、「あいつが言いそうなことだな」と頷いた。
「それじゃ、君の彼氏に聞くんだな。男が出来たんだろう?」
沙羅は黙って頭を振る。
「それも嫌。だって『色気なんてなくても好きだよ』って言われそうだもん」
視線を落として芝生をいじりながら沙羅がそう言うと、田嶋は右手で顎を触りながら沙羅の表情を窺った。
「色気がなきゃ、ダメなのか」
「ジャズ歌わなきゃいけないんです、今度。『
沙羅は芝生をいじる手を止めて顔を上げ、田嶋の顔を見た。「ああ」と言って田嶋は頷くと、右手で顎を触ったまま考え込んだ。
頬にあたる穏やかな風を感じながら、沙羅は芝生の一部が変色しているのを眺めていた。ついこの間まで夏は確かにそこにいたのに、指の隙間から零れるように季節は変わり始めていた。湿り気を失った風は、落ち始めた葉っぱや土の匂いを運び、沙羅は自分の体が自然に溶け込むような感覚に包まれた。
答えに窮するという事は、よほど自分は色気とは程遠いのだろう。
沙羅は何とも言えない感情を抱きながら再び田嶋に視線を戻し、田嶋が口を開くのを待った。
「色気ってのは、持ってる奴は生まれつき持ってるからな。経験が豊富な奴も何かが漏れちまう。そのどっちでもないってんなら、自分の中にあるものを引き出すしかない。誰にだってあるさ、色気なんて。自覚してそれを認めてやることだな。そうやって歌えば、客を魅せることができる」
そのどっちでもないなら、自分の中にあるものを引き出すしかない。
田嶋が発した言葉が沙羅の頭でリフレインし、心に沈み込んでいく。色気は誰にでもある。沙羅は光が差したように感じ、頷いた。
「まぁ、これはあくまで俺が感じたことだ。ガキの頃から、あそこでシンガーや奏者を見てきた俺の意見だ。色気なんてもんは、受け手によっても違うもんだ。考えすぎも良くないぞ」
田嶋は沙羅を気遣うようにそう言葉を継いだ。シンガーであった母親を思い出したのだろうか。柔らかい表情の奥に仄かに翳りが差し、沙羅にはそれが田嶋の
「それから、独自の歌いまわしやリズムで歌うには、自分で楽器を弾きながら歌うのが一番だ。電子ピアノなら音も小さくできるし、ヘッドホンも使えるし、アパートにだって置けるだろう。あそこにあった古いやつをやるから、お母さんに習って弾いてごらん。ロッキーがここまで落ち着いた礼だから、遠慮するな」
思いがけない申し出に顔を綻ばせる沙羅を田嶋は満足そうに眺め、ロッキーの背中をそっと撫でた。
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