第27話 グループレッスン(3)

 沙羅は『Feeling Goodフィーリング・グッド』を歌い終えた時、手足が震えているのを自覚した。

「あら、随分緊張したのね。しばらくそこの椅子に座っていたら?」

 震えに気づいた英玲奈が心配そうにそう促すと、沙羅は若干ふらつきながら背後にあった丸椅子に腰を下ろした。

 ありすは予想外の沙羅の歌唱力に動揺を隠せぬまま歌い始めたが、その声はやや上ずっていた。


 ありすの歌う軽やかな『Feeling Goodフィーリング・グッド』は、この曲が抱える影を感じさせないものだったが、沙羅は再び自身の闇に飲み込まれる感覚にとらわれた。

 幼少期、褐色の肌や癖毛のせいでからかわれた記憶が断片的に蘇る。一番辛かったのは父親がいないことで、母親と血の繋がりがないとか母親が若い頃に遊んでできた子だとか陰口を叩かれたことだ。


「ねぇねぇ、噂で聞いたんだけど……」

 事の真偽を尋ねる女子達の目は、底の方に意地の悪い好奇心が光っている。小学校の高学年ともなれば、表面上は悪意を見せずに相手の反応を楽しむ女子もいるのだ。

「何それ、笑えるー。ランドセルのポケットん中に、ママとパパとアメリカのおばあちゃん達と撮った写真があるから見せよっか?」

 沙羅はその度に心底可笑おかしいという顔をしてそう答えると、ファスナー付きポケットを開け、中から写真を取り出して見せた。

 小さなクリアケースに入れられた家族写真は、ルイスが亡くなる少し前にサンディエゴで撮られたもので、女子達の口を噤ませるほど幸せに満ちていた。沙羅は勝ち誇ったような気分とこの当時の記憶がない寂しさを同時に感じながら、家族写真をそっとしまったのだ。


 虐め甲斐がないと思ったのか、中学に入ってからは女子からのあからさまな悪意はなくなったが、今度は男子の恋愛対象外であるという現実を突きつけられた。

 沙羅は放課後に通う塾の大学生講師に惹かれるようになっていった。彼は職務上、沙羅に優しく接しただけだが、当時の沙羅にとってそれは心躍らせるのに充分だった。男性講師の中には日本人とはかけ離れたボディラインを持つ沙羅に興味を持つ者もいたが、沙羅はその視線を気持ち悪く感じて不愛想に接した。

 塾でのそういったあれこれは同級生に好意を持たれない惨めさから目を逸らし、自分の方が年上にしか関心がないのだというポーズを友達の前で取るにはちょうど良かったのだ。


 ありすは切なそうに『Feeling Goodフィーリング・グッド』を歌い上げ、それと同時に沙羅も現実に引き戻された。沙羅は気分が悪く、軽いめまいを覚えながらもこの曲は自分の方が上手く歌えたのではないかと密かに思った。

「二人とも自分で分かっているわよね。どちらが上手だったか。今回のテーマは足りない表現力を磨くことなの。だから、自分が上手く歌えなかった曲を再来週のレッスンまでに練習してきて。いいかしら?」


 予想を裏切る英玲奈の発言に、さすがのありすも顔をしかめた。

「なんて顔してるの、ありすさんまで。ありすさんの『Feeling Goodフィーリング・グッド』は重みが足りない。沙羅ちゃんはそもそも歌えなかったんだから、何に自信がないのか自分でよく考えて練習してきてちょうだい。じゃあ、今日はここまで」

 英玲奈は朗らかにそう言いつつも、異論は受け付けないという威圧感を漂わせ、レッスンを終わらせた。



 駅までの道のりを並びながら歩く二人の足取りは重かった。沙羅は二週間後のレッスンで『Summertimeサマータイム』をどう歌えばいいのか思案していた。

 ふと周囲の視線がありすに集まっていることに気づく。それは、普段沙羅が浴びている視線とは全く違う種類のものだった。

「すごいね。みんなありすちゃん見てるよ」

 思わず沙羅がそう言うと、ありすは何でもないことのように黙って頷いた。

「もう慣れてる。沙羅ちゃんだって目立つでしょ?」

 

 その問いかけに対し沙羅が浮かべた表情を見て、ありすはやや気まずそうにしてから小さくため息をついた。

「外見だけで近づかれんのも鬱陶しい時あるよ、正直。それに、R&Bやるなら沙羅ちゃんの方が有利でしょ。私のママ、イギリス人だから私こんなだし」

 苛立ちを覗かせながらそう言ったありすに、沙羅は確かにその点はそうだなと思う。

「沙羅ちゃん、分かりやすいね。普通、なんかフォローするでしょ? まぁ、いいけど。私は実力で勝負するつもりだから。それより、英玲奈先生、ほんっと意地悪だよね。今日突然私達に歌わせたくせに、上手く歌えなかった方を歌えなんて。ありえない」


 きれいな子は怒った顔もきれいなんだなと沙羅は場違いなことを感じながらも、憤るありすをなんとか宥めようとした。

「私もびっくりしたし、正直『Summertimeサマータイム』をありすちゃんより上手に歌える自信ない。でも、表現力を身に着けるチャンスだと思って頑張るしかないのかなって今思ってたんだ」

 ためらいながらも前向きに捉えようとする沙羅に対し、ありすは長いため息を吐くと立ち止まって沙羅を見据えた。


「あのね、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないの。イベントには音楽プロデューサーだって来るんだから! これはチャンスなの。だから、ベストなパフォーマンスをしたいの、私は!」

 ありすはレッスンで見せた冷静さを完全に失い、苛立ちをあらわにさせた。藤沢から聞いたのであろうその情報は沙羅を震撼させ、言葉を失わせた。二人は駅前のロータリーでしばらく見つめ合っていたが、そうしていても何も状況は好転しないことに気づくと、複雑な気分のまま改札へと歩き出した。






 

 

 


 


 


 


 

 


 



 


 


 


 

 


 



 





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