第20話 灯り(1)
バイトを終えた沙羅がパルマの裏口から駐車場に出た時、夕暮れの中を白くて大きな犬が散歩しているのが目に入った。
グレートピレニーズだ‼
沙羅の憧れの犬種だ。引き寄せられるように数歩近づいてから、沙羅はリードを握っているのが翔太だということに気がついた。
翔太もこちらを見て歩みを止めた。気まずい空気が流れる。
沙羅は意を決して歩み寄った。
「あの、触ってもいい?」
ためらいがちに沙羅がそう聞くと、翔太は黙って頷いた。沙羅は
「かっこいいね。見たの、初めて。ありがとう」
翔太の顔を見ずに沙羅はそう言ったが、おうという返事を聞いて少し安堵し、顔を上げて翔太を見つめた。
「あの、この間はごめんなさい。翔太さんの事情、ちゃんと聞いてあげなくて」
しばし沈黙が流れる。
「おう。いや……俺も俺ん
やや表情の
「沙羅、まだ時間ある? 最後にこの裏の公園に行くのがいつもの散歩コースなんだ。一緒に行くか?」
嬉しそうに頷く沙羅を見て、翔太も照れくさそうに少し笑った。
犬を挟んで二人は歩き出し、翔太の家の前を通り過ぎようとして、門から出てきた制服姿の男子とすれ違った。
高校生だろうか。その男の子は翔太をちらりと見ると表情も変えずに足早に立ち去った。ピレニーズは少しだけ尻尾を振ったが、公園に行きたいのか振り向きもしない。
「今の弟くん?」
沙羅の問いかけに、翔太はああと答えて黙り込んだ。
歩いて数分の公園は、隅の方に赤い滑り台と青いベンチが一つだけある小さな公園だった。二人の他には誰もいない。
ピレニーズは公園の生垣に鼻を突っ込んでくんくん嗅いだあと、片足を上げて自分の情報を上書きした。日が暮れかかり、電灯が滑り台とベンチを薄明りで照らし出している。
翔太はリードを滑り台の柱にくくりつけ、
「俺、いつもここでダンスの練習してんだ」
ちらりと沙羅を見てそう言うと、翔太はまた前を向いた。
「ガキの頃、じっとしてんのが苦手でさ、幼稚園でも座ってらんなくて園庭によく逃げ出してた。先生が必死で追いかけて来んのが楽しくて、笑いながら逃げ回ってた。迷惑なガキだったな」
翔太は懐かしそうにちょっと笑うと、前足に頭を乗せて寛いでいる犬を優しい眼差しで眺めた。
「その幼稚園、水曜日だけダンスのクラスがあってさ、プロのダンサーが来てたんだ。マジでかっこよかった。ハマったね。いつも怒られてた俺がその時だけは褒められた」
そう回顧する翔太の横顔を沙羅は見つめたまま、小さく頷いた。
「ダンスやった後はさ、じっと座れるんだ。だから、学校行く前も休み時間も帰った後もいつも俺は踊ってた。朝と夕方はここで。スクールにも通ってたし、ジュニア大会で入賞もしたし、その頃が一番楽しかったよ」
沙羅はここで踊る小さな翔太を想像し、微笑ましく感じた。
「俺ん
中学受験。自分とは無縁の言葉を聞いて、沙羅は思わずそう呟く。
「ああ。ダンスは続けていいっていう約束だったんだ。俺さ、こう見えて頭は悪くなかった。特にダンスした後は二時間位スゲー集中できた。だけど、六年になったら辞めさせられたんだ。両立できないからって。そこからみるみる成績が落ちてった。結局、滑り止めにも落ちて近所の公立に行った」
翔太は顔を上げて肩で息を吐くと、しばらく虚空を見つめた。
「ダンスしてない俺に価値なんてないんだよ」
「そんなことないよ。それは絶対にない」
咄嗟に沙羅の口から言葉が飛び出した。
「何かができるとかできないとかそういうの関係ないよ。私なんて全然勉強できないし。歌もまだ下手だし。でも、価値あるもん」
真顔でそう励ます沙羅を見て、翔太の口からふっと笑い声が漏れる。
「沙羅見てるといいなぁって思うよ。いつも思った事口にできてさ。たまにびっくりするけど」
「……ごめん」
「いや、羨ましい。俺は怒られてばっかだったから、いつの間にか考えてから話すようになってたからさ。そんな風に生きてみたいよ。いや、沙羅がいろいろ苦労してんのは知ってる。でも、そういうのも正直に言えるとこ、すげえと思う」
翔太は優しい眼差しで沙羅をしばらく見つめた。恥ずかしさと嬉しさで沙羅の心は揺れた。
「そんなこと言われたのはじめてだから、何て言っていいか分からない」
沙羅はそう答えながら、翔太から視線を外してピレニーズを眺めた。
この前『
その時のような甘く切ない感情が沙羅の心の奥で疼いた。
黙り込む沙羅を翔太は見つめている。
「気づいたら好きになってた。あの後、話せなくなって辛かった。パルマで会うから忘れらんねぇしな」
そう言うとふっと笑って翔太は立ち上がり、ピレニーズに歩み寄るとしゃがんでその毛を撫でた。
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