第17話 ロッキー(1)

 沙羅は朝から台所でフライパンを揺すりながら、ウインナーを炒めていた。パチパチッと皮が破れる音がして沙羅は慌てて調理の火を止める。

「あら。最近どうしたの? 今日も朝ご飯作ってくれたの?」

 洗った洗濯物が入ったかごを両手に抱え込んだ京子が、通り過ぎがてら沙羅の手元を覗いて微笑んだ。

「うん。なんか、小学生の頃のこと思い出すね。学校帰ってからお米研いだり、土曜日の朝ご飯は私が作ったりしてたじゃん」


 沙羅の言葉を聞いて、京子は少し目を細めて昔を懐かしむように頷いた。

「そうね。あの頃は本当に助かったわ。平日はくたくただったもの、私。土曜日の朝なんて起きられなかったものね」

 沙羅はウインナーを皿の上のスクランブルエッグの隣に添えると、頷きながらその皿を食卓に置いた。

「中学入ってからは部活が忙しくなったから、やらなくなっちゃったけどね」

 照れくさそうに笑いながら沙羅がそう言うと、京子は洗濯籠を置いて穏やかな表情で沙羅の顔を見つめた。


「沙羅、今日もまたあそこに行くんでしょ? 懐かしいわ。私も、短大時代によく行ったもの。パパとも……」

 そう言いかけて京子は口をつぐむと、冷蔵庫から牛乳を取り出してテーブルの上のグラスに注いだ。

 沙羅は焼き上がったトーストを取り出しながら、京子の顔色を窺う。

「亮先生、パパの事知ってるって言ってた。パパの事、私ほとんど知らないんだけど、音響の仕事してたんでしょ?」

 トーストを二人分の皿に乗せて食卓に運ぶと、沙羅は椅子に腰かけた。


 京子も沙羅の対面の椅子に腰を下ろすと、トーストにウインナーとスクランブルエッグを乗せて口に入れた。

「うん。おいしい」

 にっこりと沙羅に微笑みかけてから、京子は視線をトーストに戻した。

「そう。パパはロサンゼルスで音響の仕事をしてたの。ロックバンドのコンサートが日本であってね、3カ月くらい日本にいたの。パパの同僚が田嶋さんのお父さんと知り合いで、それでパパもあのライブバーによく行ってたみたい」

 京子は昔を懐かしむようにそう言うと、またトーストを口に入れた。


「ママとパパはあそこで知り合ったの?」

 沙羅が京子をまっすぐに見つめてそう問いかけると、京子は少し恥ずかしそうに頷いた。

「そうよ。亮君に教えてもらった場所でね、よく短大の時の友達と行ってたの。恥ずかしいわね、子どもにこんな話をするの。それより、沙羅はその犬には近づけるようになったの?」

 京子は話を変えるようにそう言うと、沙羅の目を覗き込むように見つめた。


「うーん。近づけはしないけど、最初の時よりは吠えなくなったかな。まだ三回しか会ってないから少しずつかなって思ってるけど」

 グラスの牛乳を飲み干してから沙羅がそう答えると、京子は沙羅の目を見つめたまま口を開いた。

「沙羅は小さい頃、犬か猫が飼いたいってひどく泣いたものね。アパートだから飼えなくて可哀想な事したわね。でも、このお家でも飼える生き物、いろいろ飼ってきたわよね。カエルに熱帯魚に、ハムスターにフェレットに……」

 沙羅も昔を懐かしむように頷くと、

「うん、いろいろ飼った。死んじゃう度に私、号泣してたね」

 そう言って京子を見つめ返した。


「ママね、沙羅が小学生の時に動物看護師になりたいって言い出してから、ずっと応援してたのよ。お金も少しずつ貯めてきたの。今は国家資格を取らないとなれないけれど、その分重要なお仕事も任されるようになったでしょ。やりがいがある素敵なお仕事だなって思ってるのよ。大学じゃなくても短大や専門学校からでもなれるしね」

 熱心にそう話す京子を前にして、沙羅は心に影が差すのを感じた。

「ママ、その話は去年したでしょ。私、やっぱりどうしても歌がやりたいの。動物看護師のことなんて高校に入ってから口にしてないじゃない」

 沙羅は食べかけのトーストを皿に置くと、京子の話を遮るようにそう言った。


「沙羅、ママが普通の公立高校から音楽短大に行ったこと知ってるでしょ? もちろん四大のピアノ科なんてお金がかかるから行かせてもらえなかったし、ママの短大だって付属の私立高校から上がってきた子がほとんどだったのよ。お金持ちの子は卒業した後、編入したり留学したりしてたけれど、音楽とは関係のない仕事に就く子も多かったの」

 畳みかけるようにそう話す京子を前にして、沙羅はため息をついた。

「ママ、その話なら何回も聞いた。あれでしょ? 結婚すれば大丈夫って考えは甘いってやつでしょ? 離婚したり相手が死んじゃったらどうするのって。もう分かってるから! ママが頑張って貯めたお金には手を付けないから安心して。ホステスでもなんでもやってお金貯めるからご心配なく」


 沙羅は顔を引きらせながらそう言うと、食べかけのトーストが乗ったお皿を持って席を立った。

「ホステスってなに? ちょっと沙羅、何の話なの、それ」

 京子は困惑の表情を浮かべて立ち上がると、洗面所で出かける支度をする沙羅に歩み寄った。

「別に。例えばの話。もともと奨学金借りるつもりだったけど、返すの大変そうだから、ちょっと考えてただけ」

 苛立ちの中に見え隠れする切羽詰まったような沙羅の表情に気づいた京子は、胸に手を当てながら呟いた。

「そう。そこまでして歌の道に進みたいのね……。分かった。この話はまた今度、しましょう」

 沙羅は鏡に映る京子の顔を見て、自分の目指す道が母親を失望させている現状にやりきれない気持ちを抱いた。


  

 

 

 

 

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