第15話 がらくた(2)
沙羅はソファーに座ったまま部屋を見回した。正面の壁には大小様々な絵が飾られてあるが、ヤシの木や海が描かれたものが多い。下の方に目を移すと埃を被ったサーフボードが置かれていた。
額装されたもののうち一つの写真が沙羅の目に留まった。サーフボードを積んだ小型のワゴン車の前で、笑顔の男性二人が肩を組んで立っている。大柄の方は藤沢と立ち話をしている男の若かりし頃だろうか。もう一人の方は細身ながら引き締まった体で目を引くような金髪の美青年だ。
「お、目ざといね、沙羅ちゃん。あの写真がこの惨状の原因だよ」
背後から藤沢がそう声をかけながらソファーの前に回り込む。
「この建物の持ち主の田嶋力哉だ。俺達はリッキーって呼んでる」
藤沢にそう紹介された田嶋は、悠然と沙羅の前を通り過ぎ、向かいのソファーに積み上げられた書類を手で押しやると腰を下ろした。
「よろしく」
田嶋は無愛想な顔つきで沙羅を一瞥し、すぐに視線を右のステージに移した。
「あの、私、柏木沙羅って言います。えっと、素敵な空間ですね。熱帯魚がきれいで見惚れちゃいました。あと……猫がいる家の匂いがするんですけど、猫ちゃんいます?」
そう言ってきょろきょろと探す沙羅に田嶋は視線を戻すと、少しだけ表情を緩めた。
「ああ。黒猫がいるんだけど、人が来ているときは二階に上がって降りてこないんだ」
沙羅は田嶋の視線の先を追い、この空間が体育館のような構造になっている事に気づいた。ステージの横にある階段から二階部分に上がれるようになっている。
「二階は楽屋だったんだ。今は俺の寝床になっている。猫はともかく、犬があの状態だからマンションで飼えなくてね。もう少し人に慣れたらマンションに連れて帰るつもりだ」
「リッキー。お前、もう何カ月そんなこと言ってるんだ。アメリカから帰ってきてからもう何年も廃人みたいな生活してるだろ。親父さんが遺してくれたこの建物だってこれじゃゴミ屋敷だ。秋にはオープンするってハナシだっただろ。こっちは色々業者に手を回してたんだぞ」
やや怒気を帯びた声で話す藤沢を前にして、沙羅は緊迫した空気を肌で感じた。
田嶋は眉を寄せて藤沢を見据えた。
「亮が勝手に進めたハナシだろ。お前にとってはゴミでも俺には違う」
田嶋は低い声でそれだけ言うと、沙羅を見てステージを親指で指した。
「せっかく来たんだから歌って行けば」
表情が読み取りにくい人だなと沙羅は思った。藤沢は母親の京子より少し年下らしいから、田嶋もそうだとして三十代後半だろうか。若く見える藤沢に対し、田嶋は年相応だなと密かに思いながら、沙羅はステージを見た。
ドラムセットとキーボードの間にはスタンドマイクが置かれている。
あそこで生演奏で歌ったらさぞかし気持ちが良いだろうと沙羅は思った。
「はい、下手ですけど歌いたいです」
沙羅は目を輝かせながら田嶋を見つめた。
田嶋は口元だけわずかに緩めると立ち上がってステージライトを点け、ステージに上がり、ドラムスローンに腰かけた。
沙羅が田嶋から前方に視線を戻した時、壁の写真がまた視界に入った。沙羅はしばらくその写真を見つめてから田嶋に向かって話しかけた。
「あの……ゆっくりな曲でもいいですか。生演奏初めてなんで。『
そう言うと、沙羅はステージに歩み寄り壇上に上がった。
それを聞いた藤沢は笑いながらステージに上がり、キーボードの前に立った。
「渋いね。さすがにオリジナルの
沙羅は右斜め後ろを振り返って藤沢の言葉に頷く。
「はい。何年か前に再結成した時に聴いて好きになったんです。でも、ラップパートなしでも歌えます」
沙羅はそう言うと、前に向き直って深呼吸をした。雑然とした室内の奥にある大きな水槽が幻想的に沙羅の目に映った。
藤沢の奏でるイントロが心地よく沙羅の耳に響く。
この曲は最初に
私がなぜここに呼ばれたのか。田嶋さんの心は固く閉ざされているように感じた。そしてその原因があの写真の男性にあるなら。
沙羅は写真を見つめながらHookを歌い切った。
本当は英玲奈先生に恋愛経験の少なさを指摘されてからラブソングを歌うのが怖かった。私には恋愛感情がまだよく分からないから。でも、あの二人の関係がもう終わってしまったことは分かる。それが田嶋さんをこんな風にさせてしまったことも。
Hookが終わると同時に、田嶋がドラムを叩き始めた。そのグルーヴィーで卓越したリズム感と優しい叩き方が沙羅をより感傷的にさせた。
この歌に出てくる若い男性シンガーはあの写真の美青年のように魅力的なのだろう。私も歌声が聴く人の人生に重なるような歌手になりたい。
沙羅は目を閉じて写真の二人の出会いと別れを想像した。
まだ田嶋さんが暗闇の中にいるのだとしたら。この歌のシンガーのように聴き手の痛みに寄り添えたら。
そんな想いを歌に込めながら。
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