第13話 帰路(2)

 翔太は沙羅の目をじっと見つめた。

「この一年って言ってもさ、もう八月だろ。そもそもさ、親にちゃんと聞いたんだよな? 学費出してもらえるかどうか」

 沙羅は翔太から目を逸らし少し俯いた。

「はっきりは聞いてない。聞いたら少しは出してくれるかもしれないけれど……。ママ……うちの親、あんまり体強くないんだよね。だからそんなに無理させたくないっていうか。プロになれるかどうか分かんないし」

 

 翔太は小さくため息をつく。

「そっか。俺はその辺のことは分かんねぇけど、一緒に暮らしてんならクラブで働いたらすぐバレるんじゃねぇの? 沙羅のお母さんはそういうのオッケーな人なの?」

 沙羅は首を振る。

「超真面目。でも、働き始めちゃえば押し切れるかなって」

「あのさぁ。お金のことよりそっちの方がショック受けるかもよ。俺だって……」

 そう言いかけて翔太は口をつぐむ。

「とにかくさ。独りよがりなんだよ、沙羅は。全額じゃなくてもどこまでなら出してもらえるかとか、一回ちゃんと話し合えよ」


 沙羅はまだ何か言いたそうにしていたがしばらく黙り込んだ後、口を開いた。

「うん……。なんか、親に迷惑かけたくないけど専門は行きたいし、どうしていいか分かんなくなってた」

 少しだけ目尻に涙が滲んだ沙羅を見て、翔太は静かに頷く。

「なんか翔太さんっていいお父さんになりそう」

 両手の人差し指で目尻を拭き、ちょっと笑いながら沙羅がそう言うと、翔太は複雑な表情を浮かべた。

「は!? 俺まだ二十歳だし。オヤジ扱いすんなよ」

 

 その言葉に二人は顔を見合わせて笑うと、また駅へと歩き出した。

 寂れた繁華街は駅に近づくにつれて電灯も増え、コンビニの灯りが夜道を照らす。

「もうすぐパルマだけど、翔太さんってパルマのすぐ後ろなんでしょ? どこ?」

 不意にそう尋ねた沙羅に、翔太は前を向いたまま気まずそうに答えた。

「ああ。もう近くだけど、俺、高校出てから友達にいえ教えてなくて」

 翔太の翳った表情を見て、沙羅は何かを悟ったように頷いた。

「分かる。うちもボロアパートだから、中学出てから友達呼んだことない。だから全然大丈夫。教えて」

 沙羅の言葉に翔太は表情を硬くしたが、何度もせがむ沙羅に根負けし、翔太は近くの家を指差した。


 その指の先を目で追った沙羅は、言葉を失った。

 「トラットリア・パルマ」の駐車場の先にあったその家は、ガレージ付きの豪邸で塀の向こうには背の高い松が街灯に照らされていた。

 翔太は愕然として立ち止まる沙羅を見て、後悔の表情を覗かせたが、沙羅はまだ言葉を継げないでいた。

 たった数十秒がお互いに長く感じられた。沙羅は掠れたような声で呟く。

「すごいじゃん。そっか。お金持ちなんだ」

 沙羅の心の扉が静かに閉じる音が翔太には聞こえたような気がした。


「沙羅。歩かないと終電間に合わなくなる」

 ほんの数分前までは優しさに感じていた翔太の口調が、沙羅の感情を逆撫でした。

「なんで隠してたの?」

「別に隠してない」

「うちのビンボー話聞いてるときに、話すタイミングいくらでもあったじゃん。そうなんだー、うちはお金あるからよく分からないって正直に言えば良かったじゃん」

 沙羅は自嘲気味に笑うと、翔太の目を探るようにじっと見つめた。

「お金持ちの子どもでヒップホップとかやる人いるんだね。知らなかった。あの家だったらニューヨークだって余裕なんじゃない?」

 そう言って作り笑顔を向けると、何かを言おうとする翔太を制し沙羅は言葉を続けた。


「翔太さんには分かんないよ。子供ん時、お金がなくて色々したくても我慢してた事とか。学費の事もそんな簡単に言い出せない気持ちとか」

 やや感情的になる沙羅を前に翔太は何も言えず、立ち尽くしていた。

「なんだ。勝手におんなじだと思ってた」

 沙羅は小さな声で呟いた。


「沙羅。俺んにも色々事情があってさ、ニューヨークのお金は俺が貯めてる。それに……」

「でも、専門のお金はフツーに出してもらったんでしょ?」

 沙羅は翔太の声を遮って詰問するようにそう言うと、翔太の目を凝視した。

 翔太は黙って頷く。

「なんか、もういいや。送ってくれてありがと。もうすぐ駅だし、こっから先は一人で帰るね」

 そう言って右手を振ると、沙羅は翔太に背を向けて駅に向かって歩き出した。

 翔太はその場にしばらく立ち尽くしていたが、舌打ちをすると俯きがちに自宅に帰って行った。


 駅へと急ぐ沙羅の頭には帰りがけに聴いた『Lose Yourselfルーズ・ユアセルフ』が流れていた。

映画『8 Mileエイトマイル』で主人公扮するEminemエミネムが、MCバトルで黒人ラッパーに打ちのめされるシーンが頭をよぎる。「ラップは黒人のもの」そんな既成概念を妄信する観客も、白人の主人公にはブーイングの嵐だ。そんな中、映画終盤のバトルで主人公は対戦相手の秘密を暴くのだ。

 ――お前は確かに黒人だけど、私立高校出身の金持ちのボンボンでお前の両親は最高に仲良しだ、と――

 その瞬間、バトル会場の観客は一斉に主人公の味方に付く。デトロイトのトレーラーハウスでアル中のシングルマザーに育てられ、プレス工場で働く主人公に。


 沙羅は自分の昂る感情を自覚しながら、一方で行き場のないやりきれなさも感じ、ハイヒールの音を響かせながらロータリーを通り抜け、長い階段を駆け上がった。


 




 

 

 


 


 


 




 

 



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