第12話 帰路(1)

 MCは沙羅の腕を下ろし、満面の笑みで握手をすると、ステージへと戻って行った。

「沙羅、そろそろ出ないと終電間に合わないだろ?」

 翔太はワイドパンツのポケットから携帯電話を取り出して時間を確認する。沙羅もその画面を覗き込む。

「ほんとだ。パルマの前を通って帰るのが近いよね、十五分あれば着くから……まだあと十分は大丈夫かな」

「いや。ギリギリ過ぎだろ。そろそろ行った方がいい。送ってくよ。俺んもそっちだし」


 二人が出口に向かった時、Eminemエミネムの『Lose Yourselfルーズ・ユアセルフ』のイントロが流れ出した。思わず沙羅は足を止めて翔太の顔を見る。

「これ! 『8 Mileエイトマイル』の曲!」

 翔太は頷きながら、ステージ上のMCを見た。『8 Mileエイトマイル』とは貧困層の白人家庭に生まれ育ったEminemエミネムの半自伝的な映画だ。

「おう。やっぱEminemエミネムrhymeライムはエグいわ」

 rhymeライムとは韻を踏むことであり、Eminemエミネムlyricリリック(歌詞)は母音だけでなく子音でも一文の随所に押韻がある。他のラッパーの曲とは一線を画す多さなのだ。

「うん。あのMCのflowフロウも最高。流れるようで聞いてて気持ちいい」

 そう言って聴き入ろうとする沙羅の肩をポンポンと翔太は叩き、出口を親指で指す。

「間に合わなくなる。行こうぜ」


 やや寂れたこの繁華街では他に深夜営業の店はなく、街は静まり返っていた。沙羅のハイヒールの音が反響する。

「なんかごめんね、私のために。家近いから最後までいるつもりだったんでしょ?」

 翔太はチラッと横目で沙羅を見た。

「いや、明日早番だから帰って寝ようかなって思ってたし」

「そう? それなら良かった。翔太さんのダンス、すごかった。ダンスのことよく分かんないけど、一人だけ全然違ったもん」

 翔太は口元だけ綻ばせて、小さく頷く。

「まだまだだけどね。俺がやりたい事、全然できてないから」


「あれでも? ダンスの大会とか出ないの?」

「ガキん時は出てた。優勝はできなかったけど、入賞したことはある」

「すごいじゃん! やっぱ小さい頃からダンスやってたんだ。だよね、じゃなきゃ、あんなダンス出来ないよね。今は出てないの?」

 翔太は首を振ってしばし沈黙してから、口を開いた。

「中学からは出てない。それよりさ、沙羅の歌。いきなりであそこまで歌えんのはすげぇ。正直、あんなに上手いとは思ってなかった」

 少し照れながら沙羅の方を見て話す翔太に、沙羅もなんだか照れてしまう。

「あれね、自分でもびっくり。今でもなんか自分じゃないみたい。って言うか、田村さんも翔太さんも助けてくんないんだもん」

 そう言いながら沙羅は翔太の肩を叩いた。


「いてっ。でもさ、歌って良かっただろ?」

 沙羅はこくりと頷く。

「俺、あれ聞いてぜってぇニューヨーク行ってやるって思った。やる気に火がついた」

 翔太はそう言うと、横を歩く沙羅の顔をじっと見つめた。

「沙羅はさ、今、好きな人とかいんの?」

 想定外の質問に沙羅は驚いて翔太を見てから、ちょっと考え込む。ぼんやりと藤沢の顔が頭に浮かぶ。

「うーん。好きな人かどうかは分かんないけど、好きになっちゃいけない人はいる」

 翔太は困惑の表情を浮かべた。

「なんだよ、それ。沙羅は好きってこと?」

「好きかどうかはまだ分かんないけど、なんかその人といると変な気持ちになる。でも他の女の人もそうなのかもって思う。女好きっぽいし」


 翔太は複雑な感情を抑えきれずに歩みを止める。

「もしかしてあのボイトレの? 聞いててヤバい奴だなって思ってたから、俺」

 沙羅は少しむっとした顔をして立ち止まる。

「ヤバい奴ってどういう意味!? ママの知り合いだし、ヤバくなんてないけど」

 沙羅の表情を見て、翔太は少し焦ったように言葉を付け足した。

「いや、なんか、話聞いてて思っただけだから。同じ人間でもさ、女から見んのと男から見んので違うだろ? ほら、女だってそうだろ? なんであんな子が男に人気あんの? みたいな」

 確かにと沙羅は思う。

「まぁね、英玲奈先生も女好きって言ってたし。それはそうかもね。でもヤバい奴って言うのはやめて。会ったことないんだし」

 翔太は決まり悪そうに、ごめんと呟いた。


「まぁ、最近ずっと英玲奈先生に教わってるから、私も亮先生には会ってないんだけどね。英玲奈先生には会う度にクラブで働かないって誘われててさ、ちょっと私も迷ってる。お金欲しいし」

「は!?  クラブってキャバみたいな方のクラブ?」

 翔太は声を少し荒げた。

「うん。だってパルマで働いてても学費分なんて貯められないもん」

 翔太は少しの間視線を下ろして考え込んでから、顔を上げて沙羅を見た。

「俺、高校卒業してから二年間ダンスの専門学校行ってただろ? 春からパルマで働く前。その時もさ、夜はキャバやってる子けっこういた。やっぱ上京して一人暮らししてる子達は生活費かかるしね。親が学費とか生活費とか全部払ってくれんならダンスだけしてればいいけど」

 沙羅は立ち止まったまま、翔太の話に頷いた。


「その子達どうなったと思う? 朝、起きられなくてレッスンに来なくなったり、自主練に全然出なくなったり。グループで一人だけ振りが覚えらんないから、どんどん来づらくなるんだよ。学校辞めちゃった子もいたな」

 翔太はそこまで言うと、沙羅の表情を窺うように見つめた。

「でも……私、まだ学校行ってないから。この一年だけやって、できるだけ貯めたら辞めようかなって」

 沙羅は迷いの表情を浮かべたまま、そう言った。



 


 

 

 

 




 



 

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