第10話 Club Cave(1)

 沙羅は「Club Cave」の壁に寄りかかりながら、爆音のヒップホップに身を委ねていた。右手にはアルバイト先の料理長である田村から渡されたジントニックが、ブラックライトに照らされて光っている。

 沙羅の年齢ではこのクラブに入場はできるものの、お酒は買えない。今夜DJを回す田村がバーテンに注文し、こっそり手渡してくれたのだ。

「楽しんで」

 口髭を生やし、小太りで陽気な田村はそう言うと、DJブースに戻って行った。


 ヒップホップに詳しくない沙羅は、場違いに感じる自分をアルコールでリラックスさせていた。

 中央に配置された円状のステージでは、アマチュアダンサー達が次々と現れては、思い思いのスタイルで踊っている。

 その中でも翔太の姿は一際目立っていた。上半身と下半身がまるで別々の生き物かのように違う動きをし、ステージ上を自由自在に移動する。滑らかな動きをしたかと思うと、次の瞬間には素早いステップをし、バランスの取りづらい恰好でピタリと止まる。静と動、剛と柔の表現が見事で、次々に繰り出すテクニックに客の目は奪われていた。


 さっきまでの居心地の悪さを忘れ、沙羅の視線は翔太に釘付けになっていた。

 ふいに、翔太がDJブースに向けて右手を挙げた。田村はそれを見て頷くと沙羅をちらりと見た。サウンドの音量が下がっていき、田村が繋げた曲のイントロが流れると沙羅ははっと驚いた。

 この曲……ダイアナ・ロスの『I'm Coming Out』だ!


 ダイアナ・ロスとマイケルジャクソンは繋がりが深い。マイケルが幼少期に兄弟達と『The Jackson 5ジャクソン・ファイブ』としてモータウンレコードからデビューした時、ダイアナ・ロスが発掘した事にして売り出されたのだ。

 沙羅はマイケルの曲を聴き始めた頃にネットでそのことを知ると、ダイアナ・ロスの曲も聴くようになった。マイケルの初恋の女性にして生涯を通じて最愛の女性だったのではないかと沙羅は思っている。

 パワフルさには今一つ欠けるものの、艶のあるシルキーボイスを持つダイアナ・ロスも沙羅にとっては特別な歌手なのだ。


 沙羅はお気に入りの曲に引き寄せられるように壁から体を離し、ステージ上の翔太を見つめた。

 『I'm Coming Out』はイントロが長い。その中に散りばめられた弾むようなドラムパートが印象的だ。翔太はドラムパートの度に両腕と両脚をクラゲのように自在に動かし、音に合わせて完璧に動作を合わせる。まるで全身がドラムのようだ。


「これ、あれじゃね? ほら、あのレットブル世界ダンス大会で優勝した日本人の……」

「ああ、SoraHi?」

「それそれ。SoraHiのダンス、再現してる。スゲー」

 沙羅の隣りに立っていた二人が興奮気味に話し出した。

「SoraHiってヒップホップだけじゃなくて、ジャズとかソウルとかパンクとか色んなダンスできるんだろ?」

「おう。じゃなきゃ、フリースタイルで世界一になれねーだろ、日本人が」

「SoraHiのダンス、まんまじゃん。あいつ誰なの?」

 二人は食い入るように翔太を見つめた。


 イントロが終わりAメロに入った瞬間、翔太は右手の拳を振りかざすと、全身を躍動させて喜びを体で表した。

 本当の自分を知ってもらいたい。誰の目を恐れることなく、誰に何と言われようと自分らしくありたい。

 この曲のメッセージを翔太は全身で表現しているように沙羅の目に映った。今の自分の葛藤を体現するようなダンスに心奪われ、沙羅は翔太に魅せられていた。

「おお、後半部分はオリジナルだな」

「ヒップホップ!って感じだけど、これもいい」

 隣りの男はそう言うと、手にしていたグラスを口にして満足そうに頷いた。


 翔太は自分の出番が終わりステージを降りると、ゆっくりと沙羅の方に歩み寄った。

「すごいね、翔太さん」

「翔太でいいよ、外では。2つしか年違わないし。俺も沙羅って呼んでいい?」

 翔太はそう言うと、沙羅の手からジントニックを取って口をつけた。

「喉カラカラだったからうまい。沙羅、酔ってる? 十八歳は飲んじゃだめだろ」

 沙羅の様子を見て心配そうな顔をすると、翔太はジントニックを飲み干した。


「私は沙羅でもいいけど、そっちは一応年上だから呼び捨てしづらい。やっぱ翔太さんって呼ぶ。バイトで間違えて呼びそうだし」

「真面目だな。沙羅は」

 翔太は沙羅のタンクトップから零れ落ちそうな胸を見て、目のやり場に困るようにステージの方を見た。ヒールを履いている沙羅は、少しだけ翔太を見下ろすことになる。

 翔太の視線の先には体を揺らしながらラップをするMCと、それに合わせて踊るダンサーがステージを盛り上げていた。


「いつか私が歌って、翔太さんがダンスできたらいいね。私はまだ人前で歌えるレベルじゃないけど。ステージ出てる人、キラキラしてていいなって思った」

 沙羅がステージを見ながら呟くと、翔太は沙羅に視線を戻し頷いた。

「沙羅さ、16ビートのリズムの取り方、知りたいんだろ」

「あ、うん。歌えるんだけど、もっと体でもうまくリズムを取れたらいいなって」

「イイ感じの曲かかったら、ここで見せるから」

 翔太は口元に笑みを浮かべて沙羅を見つめた。







※歌手と曲名は実在のものですが、日本人ダンサー名は……架空の人物です(モデルはおります)。

 


 

 



 

 

 




 


 


 



 

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