オペラ座より愛を込めて✲後編✲
『オペラ座の怪人』において、5番BOXは重要な役割を果たす。殺人動機となった席に座っていた事実に天宮は気味悪さを感じた。昏は役者が揃うのを待つ様に、手摺に腰を預けた。
「全く如何して、人間は最適解を選ばず苦悩するのだろうか」
美しい唇から零れた呟きはドアの音で掻き消された。そして、五人の男女が入ってくる。演出家、脚本家、ファントム、ラウル、クリスティーヌ、各々が不安気な顔をしていた。
「呼び立てて済まないね。まぁ座り給え」
「昏。これは事故だろう。警察が来るまで」
「否、殺人だ」
全員がその言葉に肩を震わせた。昏は天宮に目配せをする。
「先程、鉄板を確認したら腹部のフックを掛ける金具が消えていました。今回の事件には、問題が二つあります。一つは、関係者全員にアリバイがある事。そしてもう一つは、鉄板のフックをタイミング良く破損させる事です」
「全員にアリバイがあるなら関係ないだろ」
維生の言葉に天宮が口を閉ざす。訪れた沈黙に昏が溜息をついた。
「失礼。助手が阿呆なので、僕が代わりに説明しよう。今回の犯行を可能にするためには、被害者に直接手を掛けず、且つ鉄板の金具を丁度良く壊す必要がある」
紙を裏返すように天宮の言葉を換言するが、五人には理解出来なかった。
「
「待ってくれ。私が上で安全確認をした時には、何も問題無かった。その後、誰もフックには近づいていない」
永瀬は首を振って否定した。二人の様子を見ていたスタッフの証言もある。だが昏は気にも留めず言葉を続けた。
「否、細工は初めからして在ったのだよ。渕野、この劇場は関係者なら入れるようになっているのだろう」
「ああ。ここ五日間は舞台練習だったから誰でも入れた。鉄板の加工は六日前の夜、業者に頼んだんだ」
「舞台稽古初日から細工された物を使っていたということですね」
「だが、どうしてあのタイミングで折れたんだ。鉄を突然折るなんて不可能だろう」
「天宮君、映像を」
天宮は先程、スタッフから借りたビデオカメラを簡易画面に繋いだ。音量を上げ、『イルムート』の場面を流す。ブケーが降ってくる瞬間、天宮と綺川は目を閉じた。
「これが何なんだよ? 別に変な所なんて無いだろ」
「そうだ。無いのだよ、必要な物までが」
もう一度巻き戻すように紀生に言われ、何度も再生するが昏以外には足りない物が見当たらない。
「……音だ、鉄の音。通常機材が壊れた場合、何かしら雑音が混ざるものだ。殊、今日は広報用の高性能集音器を使っている。だが、君達一流歌手が聞き分けられないということは、抑々音も何も無いのだよ」
「じゃあ、どうやって折ったんだよ」
「折れたのでは無い、剥がれたのだ。鉄板には傷一つ無かった。君達は『磁石工具』を知っているかい?」
磁石工具とは、磁力を利用した工具である。工事現場でも使用されるほど強力の為、人間一人ならポケットサイズの磁石工具で十分支えられる。
「でも人を支えられない程度の磁石なら、永瀬さんが引っ張ったら外れてしまいます。タイミング良く磁力が無くなることなんてあるんですか?」
「磁石工具には磁力を調節出来るものがある。落下時に磁力を弱めれば鉄板の腹部金具が取れ、首だけで吊る事が可能だ。携帯等なら他人から不審がられずに遠隔操作出来るだろうね。大方、磁石工具は遺体落下の混乱に乗じて犯人が持ち去ったのだろう」
つまり、犯人は平が落下する瞬間に磁力をOFFにした。只の鉄屑となった其れは支えの役割を放棄し、平は首だけで全体重を受け窒息した。
「犯人は平氏が落下する瞬間に、誰にも不審がられず釦を押せた者。……君だよ」
昏は憂に染まる瞳を、一人に向けた。
「脚本家、進藤 亘。君が彼を殺した」
全員の視線が進藤に注がれる。
「役者の衣装には携帯を隠す場所は無かった。それに、舞台袖であろうと携帯や釦を触るのは怪しまれる。だが、客席に居た君なら携帯を上着に忍ばせて弄ろうと誰も気づかない」
当の進藤は肩を飛び上がらせ、吃音を交えながらも違うと首を振った。綺川も彼の隣に立って、目を吊り上げる。
「……シンさんがそんな!」
「ぼ、僕じゃありません‼」
「天宮君、此方に」
もう一度動画を再生した。平が首を吊った後、踊り子の悲鳴が響く。そして客席で観ていた進藤が立ち上がり、舞台に駆け寄った。追いかけるように渕野が舞台に行き、昏と天宮が舞台に上った。
「臆病な渕野は遺体には近づかず、終始僕の側にいた。遺体に付いた工具を回収できるのは、君だけだ」
「待ってください! 僕が工具を拾ったかなんて映像では判断できません。何処かに落ちているだけで見つかっていないだけかも」
「嗚呼、もう何処かに捨てたか隠しただろうね」
確かに画面にいる進藤は混乱するスタッフに紛れていて、工具を回収しているのかは定かではない。進藤の顔に安堵が広がる。
「では……」
「そういえば、ICカードを壊していたね」
「これが何か?」
息を吐いた進藤は、言葉の意味が理解出来ず携帯カバーからICカードを取り出した。
「言わずもがな、中身はICチップだが、此れは水没や外的衝撃以外では中々に壊れない。だが、稀に強力な磁力で壊れるのだよ。ネオジム磁石の様な磁石工具ならね。磁力は切ったとて、零にならない。其れか、混乱する人に押され磁力が入ったのか。大方、携帯と共にポケットに忍ばせていたのだろう。……他に質問は在るか」
昏は言い切ると座席に腰掛け、腕を組んだ。まるで最適解は出されたかというように。
進藤は膝を震わせ、崩れ落ちた。
「……貴方の仰る通りです。磁石は自販機の下に投げ入れました。綺川さんに近づく彼が憎くて」
「どうして、……嘘、嘘よ!」
綺川が青褪めた顔で男に縋る。年齢の離れた二人を気持ち悪そうに、紀生は見下ろした。
「オッサン。詩織をそういう目で見てたのかよ」
昏は其の視線を見て薄く笑う。
「君達二人は疑似恋愛の関係に在った。当事者は役者だからと割り切っていても、傍から見れば嫉妬に駆られるものだ。平氏は君から彼女を奪う為、躍起になった」
「ハァ? それが何だよ」
「狂気に焦がれる彼を進藤君は疎ましく思い、彼女に害が及ぶ事を恐れ、罪を犯した。さて事の発端は何処に在るのだろうか」
昏の言葉が自身の行動に向けられていると気づいた紀生は、逃げる様に視線を逸らした。
「それに君達は恋仲だろう? 雰囲気は違うが、二人の時計は揃い物だね」
シャンパンピンクの細身の時計と銀の重厚な時計。
「この助手にも乙女なところがあってね。そのブランドに興味があったらしい」
「失礼です。先程、そちらの商品を確認しました」
規則正しく時を刻む其れを隠すように、進藤は手をかざした。
「恋慕は論理性を歪ませる」
「……ち、違う‼ 僕と綺川さんは何も」
「やめて。もういいのよ」
腕を絡め合う二人の頬は透明に濡れていた。
「どの様な理由であれ『殺人』だけは最適解に成り得ない」
昏がそっと目を閉じた時、劇場にパトカーのサイレンが響いた。
*
劇場を出ると、雨は止んでいた。深夜にも関わらずパトカーの赤が道を照らす。
「昏さんは何時も、そんな顔をしますね」
「そんなとは、何だい?」
男の瞳に女は真っ直ぐ映っていた。感じるのは寂寥に苦痛の混沌。だが、彼女は自分の言葉を具現化する術を持たなかった。
「いいえ、別に。早く帰り――」
二人の間を甘い雨香を纏った風が吹き抜ける。空に在った雨粒が零れるのを避ける様に天宮はショールを強く握った。だが、昏はまるで祝福を受ける様に首を反らし肺一杯に吸い込んだ。
「……嗚呼、まるでラプラスの吐息だ」
それが事件を解決した人間の声ではないと思いながらも、天宮は口を閉ざした。空を見上げた昏の瞳は凪いだ海の様だった。海は何処までも深く、暗く、冷たく、そして一等寂し気に見えた。
終
昏龍之介の黄昏事件簿 涼風 弦音 @tsurune
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