【三題噺 透明・参考・味】サイコパス
長い、長い待機時間のあと、ようやく通されたのは、中央に真っ白な立方体があるだけの殺風景な部屋だった。天井、壁、床も不気味なほど均質な白で統一されており、それぞれの境目に引かれた黒い線が無ければ、天地の区別すらままならない。
記憶は朧気だが、昔ネットで見た死刑執行の場はこんな空間ではなかったはずだ。それとも俺が刑務所に入っている間に、新しい死刑制度が導入されたのだろうか。
立方体の前まで連れてこられると、刑務官が持ってきた椅子に座らされた。手錠からは解放されたが、代わりに足首が椅子に固定されてしまう。見える範囲で確認した限り、電気椅子というわけでもなさそうだ。
ついに司法も毒ガスで犯罪者を殺すのを認めたのかい、おどけた調子でそう尋ねても、刑務官たちは淡々とした調子で作業を続けるだけだ。色とりどりの液体が入ったペットボトルを立方体の上に並べ、よく分からないパーツが随所に取り付けられた椅子らしきものを用意し、拘束が外れないかを確かめる。その間、見慣れぬ刑務官たちが言葉を発することは一度も無かった。
全ての作業が終わったのか、刑務官たちが背後の扉から出ていく音がする。そしてその直後、前方の壁の一部に静かに動き、科学者然とした出で立ちの男が部屋に入ってきた。
歳は30代前半といったところだろうか。短く刈り上げた髪は着ている白衣とミスマッチを起こしており、重量感のあるブーツも細身の体躯にはまるで似合っていなかった。柔和な笑みを浮かべているが、本心から出る表情ではないことは目を見ればわかる。
「その笑顔のお面はどこで買えるんだ? 詐欺で捕まった奴がよく持っているから、俺も欲しくなっちまったよ」
軽い挑発はあっさりと受け流され、男は持ってきた椅子——古ぼけて耳障りな音を立てる安っぽいパイプ椅子だ――に腰かけた。
「初めまして。君のことはよく聞いているよ、ロヴェール。今日は僕のテストに参加してくれてありがとう。僕のことはジェフと呼んでくれ」
「そりゃどうも、ジェフ。頼むから偉大なる主の御名においてどうのこうのとかは言わないでくれよ。残り少ない人生を説教に使われたくないんだ」
男は微笑んだまま、立方体の上に置かれたペットボトルを眺めている。
「大丈夫さ。なんてったって、僕は無神論者だからね。
……それより、少し喉が渇かないかい。ここには色々な飲み物がある。どれか1つを選んで飲んでみてくれ」
「……あ?」
訝しんでみせると同時、あぁ手が自由なのはそういう事かと理解する。
これは何かの実験なのだろう。パーソナリティがどうの、心理傾向がどうのとかいう下らないお遊び。まぁ、刑務官に小突かれながら神父の話を聞くよりよっぽどいい。
立方体の上には赤や黄色、青や緑や紫、黒や白まで様々な色の液体が20本ほど並んでいる。合成着色料をたんまり入れたであろう鮮やかな色合いの中、俺は迷わず無色透明の液体が入ったペットボトルに手を伸ばし、一息に飲み干してみせた。
「まっず……ほらよ。トイレに行きたくなったらちゃんと連れてってくれるんだろうな」
見た目からしてただの水だろうと思っていたが、飲んでみると独特の苦みがある。アパートの錆びついた蛇口から出る水の味によく似ていた。
「なるほど……君はその色の飲み物を選ぶんだね。よければ理由を聞いても?」
「一本だけ色が付いていなかった。透明ってのもいい。濁った飲み物はどうにも信用できねぇ」
男はいかにも興味ありげに頷きつつ、どこからか取り出したリモコンを操作する。すると立方体の上面が2つに割れ、残ったペットボトルを飲み込んだ。ペットボトル同士がぶつかる鈍い音はすぐに聞こえなくなる。
「じゃあ次のテストをしよう。といってもすることは簡単だ。今から2種類の飲み物が出てくるから、また同じようにどちらかを選んで飲んでほしい」
今度は立方体の側面が開き、出てきたアームが上面に白い器を置く。一口分にも満たない小さな器には、赤色と青色の液体が入っていた。
ためらいなく青色の液体を飲み込むと、男の眉根がピクリと動く。
「……なぜそちらを選んだんだい?」
「赤は嫌いだ。血を思い出す」
「なるほど、そういう見方もあるんだね」
それからしばらく、2つの色の液体から1つを選んで飲む作業が繰り返された。緑と黄色、白と黒、紫とオレンジ……。味がしたのは最初の無色透明な液体だけで、他は全て無味無臭だった。液体を選ぶ度、男は興味深そうな顔でその理由を問いただす。大半は“何となく”で返したが、はっきりと理由を言えるものもあった。水色のものを見ていると心が晴れやかになる、肌色は吐き気がする、桃のジュースが好きだから桃色を選んだ、紫はビッチが好む色だ……。
そうして、胃袋の中で液体が揺れる感覚がおぼろげにし始めた頃、出てくる器の色が突然変わった。無機質な白色から、滑らかな黒色へと。
「……ありがとう。これで君がどういう人間なのかは大体理解できた。それじゃあまたこの2つから1つを選んで飲んでくれ。
―—ただし、2つのうちのどっちかは猛毒だけれども」
一瞬、男の言葉が理解できなかった。2択で毒の入っていない飲み物を選べと、そんな陳腐なデスゲームみたいなことを、本気で目の前の男は言っているのか?
「どっちかの器に触った時点で、そっちを選んだと見なすから注意して。選んだ方は強制的にでも飲んでもらうよ。もちろん選ばない場合もそのつもりで」
いつの間にか、左右に先ほどの刑務官が控えている。強制的に、という言葉の意味はなんとなく察せられた。
「……その猛毒とやらで俺が死んだら、獄中死ってことになるのかい」
「おそらくそうだね。書類もすでに作ってあると思うよ」
変わらぬ笑顔で、淡々と、そう返される。
「そろそろ30分か。薬の効果も出てくる頃かな?」
「薬……何の話だ」
「なぁロヴェール。僕は君にギャンブルをさせたいわけじゃないんだ。あくまで見たいのは君の心理、パーソナリティだ。だから君が器を選ぶ参考になるよう、最初の透明な飲み物にある薬を入れておいた。さぁ、目を閉じて、耳を澄ませて……」
その声に従うまま、目をつぶってみる。すると、右の方から誰かの呟き声が聞こえてきた。
「声が聞こえたかい。それじゃあ目を開けてくれ」
目を開けて、声がした方を見る。
目を閉じる前、そこにあったのは、刑務官の1人が持ってきた椅子らしきものだけだった。今、それに見慣れた人物が座っている。
"寡婦殺しの悪魔"として知られたサイモン・テリート。同じ死刑囚のよしみで交友のあった男であり、すでにこの世にいないはずの人間だった。
「君に与えたのは幽霊が見える薬。そこにいるサイモンの姿は見えるかい?」
「……あんた、無神論者じゃなかったのかよ」
「もちろん。だからこそ、死んだ人間は魂となって天国か地獄に行くなんて与太は信じていない。人間が蓄積していた情報や感情、すなわち電気信号を適切に捕集できればその人物を再現できる。それが世間一般で言う幽霊なのかはまた別の話だけれどね」
生憎哲学を論じる趣味は無いんだ、と男は笑う。
「サイモンも今の君と同じように"テスト"に協力してもらったんだ。その時と飲み物の配置は同じだから、彼はどちらが毒入りの器なのかを知っているのさ。さぁ、彼はなんと言っているんだい?」
"お前から見て左が毒入りの器だ、兄弟"
生前と同じ、低く聞き取りにくい声だったが、サイモンの幽霊はたしかにそう言っていた。
「なるほど。了解だ、兄弟」
迷わず、ためらわず、左の器を取って一気に飲み干す。先ほどまでと同様に味はしなかったが、逆にそれが心を落ち着かせた。
「豪快な飲みっぷりだ。よほどサイモンを信頼してたみたいだね」
「あぁ。あいつに誰かを助けようなんて心がこれっぽっちもないのはよく知っている。まして自分が死んでるんだ。俺が生きているのがよほど面白くないだろうよ」
ざまぁみろ、と呟き、凄まじい形相をしたサイモンに唾を吐きかける。刑務官が椅子から小さなパーツを取り外すと、その体は煙のように揺らいで消えてしまった。
「で、テストはこれで終わりかい。そろそろ虹色のションベンが漏れ出しそうなんだが」
「まぁ待ってくれよ。最後にもう1つだけテストに付き合ってくれ。なに、君にとっても悪い話じゃないはずだ」
またも黒い器が2つ用意され、椅子に小さなパーツがはめ込まれる。
「ロヴェール、君のお母さんは、君にとってはまさに聖母だったんだろう。常に笑顔を絶やさず、慈愛に満ち、公正公平で、誰からも好かれ、女手一つで君を立派に育て上げた、自慢の母親だった。だから、そんな彼女が嬌声を上げて男のモノを受け入れているのが許せなかったのかい? しかし相手の男を殴り殺して、お母さんも殺しかけたのはやり過ぎだったね。結果、君は15歳になる前に人殺しの咎を背負い、お母さんと遠く離れた場所で暮らすことになった」
こちらの反応を気にする素振りもなく、男は語り続ける。
「しかし性に対する歪んだ嫌悪感を抱いた君は、20代半ばにしてそれを爆発させてしまった。8人もの少女を攫い、熱した火かき棒を差し込む事で生殖器を破壊した。そのうち2人は、それが原因で亡くなっている」
「……それは悪かったと思っている。あの子たちは、とても優しかったから」
「そうだ。君は長い時間をかけて相手を見定め、周りに溶け込み、そして誰からも疑われないように連れ去った。全ては、非の打ちどころがなかった君のお母さんが"性"によって狂ってしまったと思ったためだ。お母さんによく似た彼女たちが同じ過ちを犯さないようにという独善的な考えで君は凶行に及んだ」
「……」
「君がお母さんから引き離されてもう20年近くが経つ。だから、君は知らないだろう。数週間前、流行り風邪でお母さんが亡くなったことを」
気づけば、刑務官たちに両肩を押さえられていた。あぁ、いつもこうなるんだ。母親を馬鹿にされたり軽んじられたりすると記憶が飛んで、こうして捕まっている。
「そう怒らないでくれ。君のお母さんが亡くなったのは事実だ。だがさっきも言ったように、適切な捕集さえできれば"幽霊"として再会することもできるのさ」
「まさか」
「そう、そのまさかだ。君にはまた2つのうちのどちらかを選んで飲んでもらう。けど、どちらが毒入りかはお母さんの幽霊に伝えてある」
男の指示を待たず、俺は再び目を閉じた。
「これはボーナスゲームさ。テストが終われば、好きなだけお母さんと話していい。……さぁ、目を開けて」
自分が満面の笑みを浮かべていることは容易に想像が出来る。瞳を輝かせ、期待に胸を膨らませながら、俺はゆっくりと目を開けた。
……
誰もいなくなった室内で、ジェフリー・ハーソンは通話ボタンを押した。
『ようジェフ、研究の進捗はどうだい?』
「たった今12人目の被験者が死亡したとこさ。ある程度いい線は行ってたんだけどね。最後の最後で自分の母親の言葉を疑っちゃったのさ」
『まじか。それにしても"本当のサイコパスを見つけたい"なんてお前も変なこと考えるよな。わざわざ人格を再現するAIまで作って』
「AIをより高度に発展させていくためには、エラーデータの読み込みも大事なんだよ。真正のサイコパスや天才みたいな"外れ値"を取り込ませることで、AI単独でもより豊かな表現や発想をできるようにしたいんだ」
『ふぅん。俺みたいな平均値には、賢い奴の発想はよく分からんね。まぁ電話して来たってことは次の素材の補充だろ?』
「あぁ。注文もいつも通り」
『分かってる。なるべく頭がイカれた、サイコパスっぽいやつ……だろ』
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