第2話 薫の名刺ホルダー

 薫の死はあまりに急であった。

 山から乾いた冷たい木枯らしが吹き始める頃に薫は倒れた。意識が戻ることなく、徳次郎と二度と言葉を交わすこともなく静かに旅立って行った。死を迎え入れる心の準備の時間を、薫は徳次郎に与えてくれなかった。

 徳次郎の頭の中は真っ白になっていた。

 葬儀は百合子と秀俊が全て取り仕切ってくれた。着せ替え人形の様に言われるままに服を着替え、葬儀に参加した。こんな時でも人前で話すのを嫌がる徳次郎の代わりに喪主になった百合子の弔辞を聞き、そしてそのまま自分の部屋に篭った。

 数日後には徳次郎は百合子の家で孫の明美と三人で暮らしていた。部屋に閉じ篭ったままの徳次郎を心配した百合子が有無を言わさず家に連れて来たのであった。夫の高史は別居中でいなかった。別居していたことを徳次郎は初めて知った。

 家にいても何もすることはなかった。何をする気も起きなかった。百合子の帰りはいつも遅かったので、一人で居る時はテレビばかり見ていた。大学生の明美が徳次郎のもっぱらの話し相手だった。おじいちゃんのボケ防止だからと半強制的にテレビゲームに付き合わされた。

 孫の明美はどことなく薫に似ていた。百合子は何事もてきぱきしていて、言いたいことがあれば躊躇なく口にする。仕事ではその性格が合っているのだろうが妻としては問題だったに違いない。徳次郎の方から別居の理由を聞くことはなかったが、なんとなくそう思っていた。

 明美は話し方も仕草もおっとりしている。おっとりしているが自分がこうと思うとコツコツとやりきる静かな頑固さを持っている。薫もそうであった。そう思うと急に薫が懐かしくなり、「家戻り」をしてしまうのであった。家に戻ったところで薫がいるわけでない。半日もすると百合子と秀俊が迎えに来て横浜に連れ戻される。そんなことを繰り返していた。

 ただ、今回の徳次郎は違っていた。薫と同じように自分も急に死ぬような気がした。気がするという以上の強い確信が湧いて、そして帰って来た。

 しかし、帰っては来たものの死に際に何をすればいいのか。徳次郎は考え込んでしまった。

 徳次郎は夫婦の書斎兼事務所に行った。そこには読書好きの薫が集めた本と徳次郎が集めた写真集が置いてある。仕事を抜け出しては写真集を見ていた。徳次郎が一番落ち着く部屋だった。死ぬ前に好きな写真集をもう一度見ようと取り出した時、こうした時普通は家族のアルバムを見るものなのではと思い浮かんだ。

 けれど、この家にアルバムはなかった。

 子供達の入学式や卒業式の大判の写真は部屋に飾ってあっても、世間の家庭にあるようなアルバムはない。年中無休の西村写真館であるから家族旅行をしたこともない。写真館が順調に回り始めた頃には、百合子も秀俊も成長し家族旅行の日程も合わなくなった。家族のアルバムを作る時間がなかった。それより仕事と趣味以外の写真は億劫がって撮らない徳次郎の性格が一番の原因だった。徳次郎は今になってそれに気づいた。

 隣の棚に数冊の名刺ホルダーが並んでいるのを見つけた。営業で交換した名刺がここに整理されている。

 東京から田舎に帰って来て親から借金して写真館を始めた。腕には自信があったので、一,二年もすれば写真で暮らしていけると思っていたが、それは甘かった。記念写真を撮りに来る人だけが写真館の客だった。記念写真というのは、たまに撮るから記念になる。いくら腕が良くてもそもそもニーズがなかった。都会では普通でもここでは写真を撮る人自体が少なった。カメラはまだ貴重品であった。現像の仕事もほとんどない。

 そんな先が見えない徳次郎の写真館を手伝わせて欲しいと薫がやってきた。地元の町工場で事務一切を任されていた薫は何事も要領よくこなした。休日の客が多い時に手伝ってもらっていたが、そのうち平日も退社後に手伝いに来るようになった。仕事らしい仕事がなくても夕方になると薫は写真館にやって来た。そして写真館の掃除や徳次郎の身の回りの世話をした。そうこうしているうちに二人は結婚した。二人分稼がなくてはいけなくなったが、結婚したからといって仕事が増えるわけではない。客が来なければしょうが無いと暇になると写真を撮りに出かけて行った。

 客が来るのを徳次郎は待っていたが薫は違った。客が来ないのであれば、探しに行きましょうと言って営業を始めた。

 それから営業担当は薫になった。名刺の管理も薫の仕事である。だから名刺ホルダーの中を見たこともない。年末には薫が名刺の整理を兼ね、お礼を添えた丁寧な年賀状を書いていた。

 結婚して薫が営業を始めた時から四十年分の名刺が棚のホルダーに入っている。最近のホルダーは市販品だが、最初の数冊は薫の手作りであった。「探しに行きましょう。私が営業します」と宣言するとすぐに名刺を注文し自分で名刺ホルダーを作った。今ではすっかり薄茶色に色褪せている。 

 一冊目の名刺ホルダーを開く。

 フリーの頃の徳次郎の名刺が最初にあった。名刺の下に小さく端正な文字で「徳次郎さんが実家に戻られた」と書かれていた。徳次郎の帰郷を喜んだ両親が近所の人を家に招いて祝宴を開いてくれた。疲れ切っていた徳次郎を元気づけるためでもあった。その時に、幼馴染の薫に渡した東京で最後の仕事だった怪しげな芸能プロダクションの名刺だった。

 そして薫が営業、徳次郎が社長兼撮影技師と印刷された西村写真館の名刺が始まる。その名刺には「昭和三十九年十月九日結婚。これから一緒に写真館を大きくしていきます」と書かれていた。

 薫の営業は記念写真の御用聞きから始まった。二人が卒業した小学校の校長の名刺が次にあった。自分達の頃から代替わりはしていたが、営業の素人の自分が行ける所として、最初に選んだのが母校であった。学校に直接乗り込み記念写真の契約を取ってきた。おっとりした薫が仕事を取ってきたので、とても驚いたことを思い出す。

 そこには「私の最初の仕事。私と徳次郎さんの最初の仕事」と小さな文字で書かれていた。それから市内の小学校、中学校校長の名刺がいくつも並んでいく。「時間を守らせること。朝は気分良く起こしてあげること」と書いた名刺もある。外回りの仕事は信用第一である。時間にルーズな徳次郎は外回りの仕事に文句ばかり言っていたが、何を言おうと淡々と薫は徳次郎を現場に連れて行った。写真を撮る段になると徳次郎は夢中になった。夢中になって撮り続けようとする徳次郎をさりげなく止めるのも薫の仕事であった。 

 学校から地元の企業や商店街の宣伝写真と仕事が増えていった。一年毎にまとめられた名刺ホルダーも少しずつ厚みを増していく。カラー現像機を買った時の営業担当者の名刺には「徳次郎さんの写真がカラーでも生きますように」と書かれていた。

 モノクロ写真に拘っていた徳次郎にカラー写真を撮るように勧めたのも薫であった。カラー写真を始めると地元の大和百貨店から店舗紹介の大きな仕事が入った。その時の名刺には「昭和四十一年八月七日百合子誕生 大和百貨店の広報を受ける。徳次郎さん、見違えるよう」と書かれていた。どんな仕事も文句を言わずがんばろう。百合子が生まれた時、徳次郎なりに決意した。薫からすれば、当時の自分は「見違えるよう」ということだったらしい。徳次郎は思わず微笑んだ。

 「昭和四十六年九月十七日秀俊誕生」とインスタントカメラ販売会社の名刺に書かれている。モノクロからカラーに、そして誰もがカメラを持つ時代になり現象、焼き増しの収入が一気に増えた。

 百合子、秀俊の小、中、高の入学式、卒業式の様子が書かれた名刺が交互に出てくる。入学式や卒業式はどうしても仕事と重なった。家に飾ってある写真も学校から貰ったものがほとんどであった。自分の子供の写真を撮るどころか式に出席することも徳次郎はできなかった。

 名刺には薫がお客から聞いた話しが事細かに書かれていた。徳次郎はあまりお客と話さない。しかし、撮影の前に「吉田さんは初孫との記念写真ですって。北海道から息子さん達わざわざ帰って来られたんですって」「多摩水産さんこの三年赤字だったんだけど今年は黒字になってね、それで社員全員と記念写真を撮るんですって」と薫が話してくれる。徳次郎は薫の話しを聞くと写真のイメージが浮かんできた。そのイメージに近い写真が写せたと思うまでシャッターを押した。撮る人達の気持ちを写真に映す、それが徳次郎の拘りだった。

 四冊目からは百合子や秀俊の名刺が出て来る。二人が実家に戻ってきた時、結婚した時、孫が生まれた時、薫は必ず名刺をもらっていた。その理由が分かった。

 子供達の名刺は増えていった。そして仕事の名刺は減っていった。

 百合子が結婚した頃からデジタルカメラが普及し始め現像の仕事は減っていった。薫はすぐに写真館でもデジタルカメラ販売を始めた。けれど、大手百貨店の安売りと品揃えに勝てる筈はなく、贔屓客に細々と売れる程度であった。写真撮影に関係がないこの商売に徳次郎が興味を持つことはなかった。

 デジタルカメラ卸業者の名刺には「平成三年秀俊久美子さんと挙式。もうデジタルカメラが普通。これからは徳次郎さんには好きな写真を撮ってもらう」と書いてあった。

「田舎の片隅の写真館」の時代は終わりに近づいていた。子供達も自分の家庭を持ち、もうあくせく稼ぐこともない。この頃から薫が営業に出ることも少なくなった。二人が一緒に過ごす時間が増えるはずだったが、徳次郎は趣味の写真撮影に時間を割いた。泊りがけで写真を撮りに行くこともあった。店番は私がやるからと徳次郎の好きにさせてくれた。百合子が生まれた頃から仕事の写真ばかりを撮ってきた。これからは自由に写真を撮らせてあげようと薫は考えていたのだった。

「平成八年秀俊、久美子さん長男俊之誕生。徳次郎さんのモノクロ写真はやはり綺麗。色がないのに綺麗」

 秀俊が主任技師に昇格した名刺に書かれていた。百合子の長女明美が生まれた時から徳次郎は孫達の写真をプレゼントしていた。若い時から使っているニコンで撮ったものである。しかし、百合子も秀俊も徳次郎の写真を気に入る様子はなかった。口には出さなかったが寂しい思いをしていた。薫だけは分かっていてくれた。これが最期の名刺だった。

 翌年に薫は旅立った。

 名刺ホルダーの中に家族の思い出が詰まっていた。

「いつか名刺を見ながら二人でゆっくり昔話を楽しむつもりだったんだけど、先に逝ってしまってごめんね」

 そんな声が聞こえた気がした。

 薫が写真を撮ることはなかった。けれど名刺ホルダーの中は、薫が心のカメラで撮った家族の思い出に溢れていた。

 薫がいないこと。かけがえのない人がいなくなったことの悲しみが徳次郎を一気に襲ってきた。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」

 そう何度も言い、徳次郎はこれまで溜めてきた涙を全て掃きだすように泣き続けた。

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