第3話 廃墟の街

「おはよう永生。よろしく頼む」

「おう。おはよう史人ふみと。先輩に今回のルート周辺のことを教えて貰った。最近は港の奴らが不気味なほど静からしい。遠回りするとはいえもしかすれば隠れて進出しているかもしれん。ここまでは自転車でさっさと行って、後は人目を避けながら行く」

「その先輩には怪しまれなかったか? どうしてそんなこと聞くんだって」

「そりゃあ尋ねられたさ。だから友人が昔住んでた場所の様子を知りたいって言ってたんです、とか言って誤魔化しといた」

「助かる」

「万が一誰かに見つかっても堂々とするんだ。向こうもいきなり殺しにかかるなんてことはしないはずだ。何をしてるか聞かれたら、食べられる草を探してるとでも言おう」

「わかった」

「食料と荷物はこれか? うん。このくらいの量があれば十分だろうな。ハトホーはどこにいるんだ?」

「この上着のポケットの中に納まってるよ。ほら」

「ちっちゃいのは便利だな。よし、じゃあ行こうか」

「出発だ」

 結局、実際に持っていくことにした食料は三日ぶんになった。実を言うと、ここから海まで歩いていくのには丸一日あれば十分だ。だが今はこんなご時世なので、何があるかわからない。食料には余裕を持ちたいが、荷物は減らしておきたい。さんざん悩んだ末に、行きと帰りで二日、そして予備としてもう一日ぶん持っていくことに決めたのだ。

「ポケットは窮屈じゃないか?」

「平気! ウィニーちゃんといた時は学校かばんに潜り込んでいたこともあったしね。狭いところは得意なんだ!」

 やっぱりハトホーは異世界ハムスターなんじゃないだろうか。

 自転車に乗って安全に行ける場所は、この街に住んでる人間であればだいたい把握している。その自転車も今はそこかしこで捨てられているので、ひとつやふたつ無くなったって誰も気にしない。それに、自転車を盗んだところでそれが何かの足しになるわけでもない。私の家には自転車のタイヤの空気入れがあるのでいいが、それを持ってない人は満足に自転車を使うこともできない。

 自転車で走っていると、道脇にこちらをじぃっと眺める子どもたちがいる。

「あまり気にすんなよ。付きまとわれるぞ」

「わかってる」

 彼らの多くは害のない子たちだ。片方、もしくは両方の親が狂ってしまっても挫けずに生きている。そういう子どもたちもやはり臨時政府の機関が見回りを行うなどして面倒を見ているが、中には臨時政府を嫌ったり自分の意思でコミュニティから抜け出して社会の外で暮らしだした子どもたちもいる。子どもと言っても中学生ぐらいになれば殴って人を殺すことができる。治安維持軍が鎮圧した反乱組織の一部には、十八歳以下の構成員も無視できないほどに含まれていたと聞く。子どもだからと警戒を怠るわけにはいかないものの、刺激してもいけない。その点、永生は自然体を保てていて、私には到底真似できそうになかった。

 バリケードが設置されている場所に着く。ここまでが自転車で行ける場所。ここより先は治安維持軍の簡易基地がぽつぽつと点在している。

「最悪、危なくなったら簡易基地に逃げ込めばいい。ただ、その時はハトホーの存在も知られてしまう時だ。わかってるな?」

「ああ。そうならないように祈ってるよ」

 バリケードの外は危険だ。安全が確保されていないだけではなく、人々の死体も放置されたままになっているため、病気が蔓延している可能性も考えられる。世界がこうなってしまってからもう何年も経っているので白骨化しているかもしれないが……。

 廃墟となった街。窓ガラスは割れ、屋根の瓦が崩れている家など、寂れてしまった家屋が並ぶ。人間社会が崩れても、自然災害は容赦なく襲い掛かってきた。台風、洪水、地震。熱波に見舞われる夏では動くエアコンが限られ、寒波が襲来する冬では雪が道路を塞いだ。放置されている死体は狂って死んでしまった者だけではなく、そうした災害によって死んでしまった者たちのものもある。

「知ってるか? 世界がこんなになっちまったってのに、結構初めの頃は転売目的で店の物を盗でいく奴らも多かったらしい。配送サービスは止まっていたのにな」

 扉が壊され店内が外からでもわかるほどぐちゃぐちゃになっている電気家具店を指して、彼は言った。

「腕時計とかはまだわかる。だが、まるで役に立たないプレミアのついたオモチャやカードとかも盗まれていたそうだ。現代社会が生んだ価値観のバグだよ」

 彼はそう言って笑っていたが、私は子どもたちがカードゲームで遊んでいる様子を見たことがあった。子どもが娯楽を求めてゲームショップから物を盗むこともあるだろう。とはいえプレミアがついているものであれば相応のケースに保管されていたはずなので、やはり転売目的で盗んでいったのかもしれない。

 ある家の庭には首輪が繋がれた犬の死体らしきものがあった。飼い主がまともであれば逃がすか連れて避難している。そうでないということは見捨てたのか、それとも……。

地図を見て、道を確認する。人間がいなくなっても、街はかつての姿を未だに保っている。それなのに久しぶりに訪れた人のことを拒絶しているようでもある。明らかに人工物であるのに生きている気配がしない。死骸に囲まれているような気さえする。灰色の街。色が抜けてしまった街。

「そろそろ食べるか」

 永生の提案で、昼食を取ることにした。私たちはカップラーメンで、ハトホーはパンの欠片をチビチビ食べる。ハトホーがこっちが食べているカップラーメンを羨ましがるので、少しわけてやる。そういえば、ハトホーに聞いていないことがあった。

「なぁ、ハトホーはどうしてあの街にいたんだ? 世界がこんなになってもう何年も経っている」

「そういやそうだな。道を知らなくても川に沿って行けば自分で海に向かうこともできたはずだ」

 私がハトホーを問い詰めるように見つめれば、ハトホーはちょっと困った顔をしてから、観念したのかそのわけを話し始めた。

「ウィニーちゃんが魔法『少女融解』を使ったのはどこともわからない海上で、ボクはその余波に巻き込まれて山の方に飛ばされたんだ。それから暫くはボクは誰にも見つからないで過ごせてきた。けど、魔法が世界に浸透していくに連れてボクの姿や匂いに気づける存在が出始めて、逃げていたところでキミと出会ったんだ」

「じゃあなぜ自分で海に向かわなかった?」

「…………海には魔物がいるんだ」

「魔物?」

「おい、史人。魔物ってなんだ? ハトホーは何を言ってる?」

「ウィニーちゃんは今もその魔物と戦ってる。キミたちの、その意識の底で。海までボクを連れて行ってくれたなら、あとはボクだけで何とかする。だから、キミたちは気にしなくていい」

「答えたくないのか? それでは海に行かなかった理由にはならないだろ? 魔物がいるからなんだ? お前は何を隠している?」

「…………」

「騙していたのか?」

「違うよ! でも…………キミたちには見えないけどボクには見える敵がいるって言って、信じてくれる? しかもそいつらはそこら中にいるし、特に海には多くいるせいでボクだけでは近づけない」

 目の前に浮かんでいるのは緑色のモフモフした妖精。付き合いは短いし、謎だらけの相手。しかし、その目は真剣だった。嘘を吐いているようには見えない。

「信じるも信じないもないだろう。ここまで来たのはお前を信じたからだ。私はハトホーを信じるよ」

 そう言うと、ハトホーは安心したのかちょっと微笑んだ。

「史人、教えてくれ。どんな話をしているんだ?」

「どうやら人間には見えないがハトホーには見える敵がそこら中にいるらしい」

「なんだそれ。やべぇな。俺たちは見えない何かに囲まれて生きてるってことかよ」

「うん。そのとおりなんだ。ウィニーちゃんの歌によって守られているけど、人類だけじゃなくてこの世界そのものがあいつらに狙われている。幽霊みたいなものだけど、その本質は幽霊とはまるで違う。ボクたちの根底にあるものが『創造』であれば、あいつらは『消滅』。しかも、その『消滅』は次に新しいものを作るためのものじゃなくて、ホントに存在がそこに存在していたという枠ごと消し去ってしまう」

「じゃあなぜそいつらは存在できるんだ? それならまず先に自分を消滅させてしまうだろう」

「ええっと、説明が難しいんだけど、人間の意識とか例外なく、この世界のあらゆる現象は常に前に進もうとしているんだ。そして、前に進んでいる限り存在できている。でもあいつらは停滞することで存在している。だから、あいつらに侵食されて存在として前に進むことができなくなると、この世界のものは消滅してしまう。消滅したぶん世界は小さくなるけど、それこそがあいつらの目的。あいつらの最終的な目的は、全てが消え去り何事も起きない無をもたらすことだから」

 正直、よくわからない。一生理解できないかもしれない。ただ、私はこの妖精を信じることにしたのだ。ハトホーの話が陰謀論やカルトの教義とそれほど変わらないぐらいに突飛な内容であったとしても、私がするべきことは変わらない。

 ふと、公園で見かけた男の子のことを思い出した。確か、父親から世界の現状を最後の審判だと吹き込まれ、自信満々でそれを他の子たちに話したら反感を買ってしまった子。あの子はまだ父親を信じているだろうか。

「今もその魔物はいるのか?」

「いるよ。キミたちの中で響く歌のおかげであんまり近づいて来れないから、離れたところで群れてる。海に近づけばその数は増える。ボクを海に近づけさせたくないから、そのうち無理やりにでも迫ってくると思う。そうなる前にキミたちは逃げて」

「永生。海に行くと魔物が襲ってくるから、海に着くなり私たちだけでも逃げろってさ」

「ここまで来てか?」

「だよな」

「え?」

「逃げないよ。最後まで見届ける。ハトホー。私たちはもうお前の仲間だ」

「え? えぇ? えっと、えへ、えへへ……どうしよ、笑っちゃう。嬉しくて、つい。ふへへ。そっか。もうフミトもエイセイも仲間なんだよね。そっか。そっか……」

 ハトホーの声が聞こえなくても、永生も微笑んでいた。ハトホーは涙を流しながら、何度も仲間という言葉を嚙みしめていた。長いこと、ハトホーは寂しく怖い思いをしてきたのだろう。自分のパートナーである魔法少女さえ失って。けれど、ハトホーは諦めて自暴自棄にならなかった。何年も魔物や動物から逃げ続け、私と出会った。彼女が女王様に選ばれた理由が、なんとなくわかった気がした。

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