第2話 女王

「海に行くならこの道だ。まぁまぁ回り道にはなるが、近道しようとすると面倒な奴らの根城の脇を通らなくちゃあならん。俺も訓練の一環でこの辺りまで先輩たちについていったことがあるが、もう昔の面影はなかったな。そこら中にバリケードが設置されていた」

「この道は安全なのか?」

「比較的に、な」

 ハトホーから要請された“協力”。ウィニーちゃんという存在を生き返らせること。そのためにはハトホーを海に連れていかなくてはならないという。ハトホーはさも「簡単でしょ?」みたいな感じで言ったが、今は様々な勢力が各地の港や浜辺を巡って争いを起こしている。港を押さえておけば船を使って物資の運搬ができるし、魚が獲れる。流通の面でも食料の面でも重要な場所であるため、当然ながらどこの港の警備もかなり強固であるらしく、漁業を許可された漁師とかでなければ容易に入ることはできないと聞いている。更に運が悪いことに私の住む地域から一番近い港は臨時政府には属していない組織が支配しており、その周囲は常に緊張状態であるそうだ。このような状態なので、一人で海に向かうのは骨が折れる。だから、私は古くから親交があり信頼できる友人の一人に助けを請うことにした。彼の名前は小日向永生こひなたえいせい。臨時政府の軍事訓練には毎回欠かさず参加し、臨時政府の軍(緊急治安維持部隊もしくは治安維持軍と呼ばれる)には正式に所属していないものの軍事作戦に何度か同行した経験もある人間だ。つまり、さっき言っていた先輩は治安維持軍の軍人のことである。本当は私がハトホーを海まで連れていくという面倒な真似をせずに、彼のように臨時政府や治安維持軍と関係を持つ人間に任せられたら良かったのだが、彼はハトホーを見ることはできても声を聞くことはできないらしい。初めてハトホーを紹介した時はよくできたホログラムだと感心していた。

 そんなハトホーは永生が広げている地図を覗き込みながら、私の胸ぐらいの高さをふよふよ飛んでいる。

「うーん。彼にもっと水を飲んでもらえればボクの声も届くのかなぁ」

「ん? ハトホーの口が動いたな。なんか言ったのか?」

「頼もしいってさ」

「そりゃいい。極秘任務みたいでわくわくする」

「もー! 嘘はいけないんだよフミト!」

「……本当に頼もしいって言ってくれたのか? なんか怒ってるっぽいぞ」

「自分の言葉で伝えられないのにムカついてるらしい」

「ははは。可愛いな」

「もー!!!」

 ハトホーは言葉を適当に誤魔化されていることが不服なようで、ぷんぷん頬を膨らませる。とはいえ、私も意地悪で適当を言っているわけではない。その理由の一つはこの友人のどうしようもない性癖にある。彼は重度の体液フェチで、初めてできた彼女に「唾を溜めたコップを用意して欲しい。それを飲みたい」と言ってドン引かれ、振られてしまった過去を持つ。もしそんな彼がハトホーの言葉を聞いて現在の地球上にある水が全てある少女の一部であるなんて知ってしまったら、死ぬまで水を飲み続けてしまう。最初にハトホーと彼を会わせたときはそれを忘れていて、後で冷や汗をかいた。あと、彼はかなり調子のいい性格をしているので、たまに人間的な倫理観から逸脱したことを言うハトホーの言葉をそのまま伝えるよりも表情や動きからそう読み取れなくもない程度に歪曲させた言葉で彼をおだてた方がテンションを上げて頑張ってくれる。騙すようで悪いが、まぁ、いつか許してもらおう。

「それにしても、この歌の原因を取り除くためには魔法少女を復活させなくちゃならないなんてな。俺たちが知らなかっただけで現実は意外とファンタジーに寛容だったんだな」

 永生が自身のこめかみの部分を指先で叩きながら、そんなことを言う。水が魔法少女の一部であるということを伝えないことと同様に、この頭の中で響く歌の原因についても彼には少し歪曲して伝えてある。この歌は魔法少女による防御魔法で、歌によって人類を守っているけれども強力過ぎて人々を狂わせている。それは伝えてある。どうやって人々に魔法をかけてのかは隠した。また、何から人々を守るためだったのかについて、彼には適当に宇宙からの侵略だとは言ったが、実は私もハトホーから敵の正体についてはまだ教えて貰っていなかった。宇宙からの侵略の線は中らずと雖も遠からず、といった感じらしい。

「嘘だファンタジーだと言ったところで、頭の中に歌が流れているんだ。ハトホーに騙されているのだとしても、こいつを海に連れていく」

「俺もそのつもりだ。やるんなら全力でやんなきゃな。道中の食料は当てがあるのか?」

「缶詰とカップ麵がある。いつ配給が止まってもいいように溜めていたものが」

「悪いが俺の家にはそんなものないぞ」

「こっちが負担する。そのぶん働いてもらうぞ」

「わかった。任せとけ」

 海に行くルートは永生に任せておいていいだろう。私は今のうちに荷物を纏めておこう。この辺りの地域は臨時政府が統治しているおかげである程度の治安が維持されているものの、それでも空き巣や強盗がなくなったわけではない。貴重品は隠しておく。テントを持ち運ばなくても廃墟には困らないので寝る場所はどうとでもなるとは思うが、荷物はできるだけ減らしておきたい。食料は必要最低限の量から少し余裕を持たせておくのが無難か。

「いつ出発できる?」

「そうだなぁ。先輩に聞いておきたいこともあるし、三日後はどうだ?」

「二十五日か。ハトホーもそれでいいか?」

「うん!」

「ハトホーもそれでいいそうだ。二十五日に出発しよう。集合はこの家。出発は……」

「朝だ。太陽が昇り始め次第、出る」

「それでいこう」


 彼との作戦会議を終え、私は配給されたもので夕食を作っていた。ハトホーにはレーズンを渡す。この妖精は果物以外のものも食べられるが、果物でないと調子を悪くする。ウィニーちゃんといた頃には散々甘やかされていたようだ。まだ見ぬ魔法少女のことを思うと、なんとなく頭の中で流れる歌が強くなる気がする。私にはハトホーの声を聞けて、永生には聞こえない理由を考える。別に水を沢山飲むたちでもないのに、なぜ? たまたまかもしれない。それともハトホーの血に触れたからか。あの時ハトホーの身体を包んだハンカチには、まだ血の跡が残っている。いくら洗っても落ちなかった。そのハンカチは今はハトホーがタオルのようにして使っている。自分の血の跡が残っている布を普段づかいしている神経は少しどうかとは思うが、安心できるらしい。人間にはわからない匂いでも付いているのだろう。そう考えると納得できた。

 ラジオをつけると、曲が流れる。世界が明確に狂い始める年の二年前くらいに流行ったアニメの主題歌だ。懐かしい気分に浸っていると、浮かんでいるハトホーが私の耳元で「ウィニーちゃんが好きだった曲だ」と言った。

「でも、不思議。みんな歌が聞こえているはずなのに、ラジオでも曲を流すなんてね」

「歌だと何となくわかっているとはいえ意味のある言葉としては聞き取れないから、環境音のように感じている部分はあるかもな。それで意味を聞き取れる他の曲を流すことで気を紛らわすことができる」

「へぇー」

「ハトホーにもウィニーちゃんの歌は聴こえているんだろう?」

「もちろん! ボクとキミとでは、聴こえている歌の感じ方がちょっと違うかも知れないけどね」

「そうか」

「えっ! 気にならないの⁉」

「今はラジオの歌を聴いてる。それに……」

 ハトホーを見つめる。興味津々な瞳で私のことを覗き込んでいる。

「その違いに心当たりがある」

 ハトホーと暮らし始めてから、少女の歌に変化があった。これまでは少女の歌声から意味のある言葉を聞き取ることができなかった。どれもあやふやで、何か祝詞のようなものなのだとは薄々感じ取れるものの、書き留めることなどできなかった。しかし、ハトホーが我が家に来てからというもの、歌声がやや鮮明になっていた。そして、歌の言語が全く聞き覚えのないものであることもはっきりとわかった。


 ハ ヤソ―ラッヘ ダ セイーヘロウ ハッヘ ダリュオング ソーヤカタ ミュジュウォンロウ フォウイクォ メゾキンムゥ ル トゥトゥ ガンナギホ ソーヤカタ


 一部を抜粋して書き起こすと、このようになる。しかも、字だけではわからないが、例えば『トゥトゥ』とトゥが二回続いている箇所があるが、書き起こそうとするとどちらもトゥに聞こえなくもないが実際にはこの二つでは微妙に言い方が異なるといった、発音の違いもある。

「彼女の歌はハトホーの故郷の世界の言語により歌われている。違うか?」

「ううん。当たり」

「人類にはなんだかよくわかない不可解で曖昧な音節の連なりに聴こえるが、お前にはしっかり意味の通るものとして感じ取れる。私とハトホーの聴こえる歌の感じ方の違いっていうのは、そのことなんだろう?」

「…………九十点! でも、それだけじゃないんだよ? 人類の可聴領域には無い部分もこの歌には含まれている。だから、ボクとキミとではそもそも聴こえている歌が違うんだ」

 ちょっと悪戯っぽくハトホーは笑った。

「そもそもウィニーちゃんはこの世界の人間なのか? お前が連れてきた異世界人とかじゃなくて」

「ウィニーちゃんは正真正銘、この世界で生まれてこの世界で暮らしていた女の子だよ。けど……うん。今日はもうちょっと教えてあげる」

 ことり、と私が出来上がった料理をテーブルの上に置くと、ハトホーもテーブルの上に乗った。いつまでも飛んでいたら疲れるのだろう。レーズンは食べ終わったようなので一口大に切ったトマトを渡せば、顔を真っ赤に濡らしてトマトに齧りついた。溜めてある雨水を沸かして久しぶりにお湯でも浴びようかと考えていると、トマトを食べながらハトホーが話を続けた。

「量子もつれって知ってる?」

 ハトホーの口からでた単語は、おおよそ魔法少女のマスコットが出す単語ではないと思われる、難解な物理学用語だった。

「聞いたことはある。内容は知らない」

「どんなに離れていても強い相関を示す二つの物体。これが異世界にも通じていたら?」

「…………異世界に? どういうことだ」

「ウィニーちゃん。本名『宇野依乙那うのいいな』。彼女はボクたちの世界と通じている。もっと言えば、ボクたちの女王様と繋がっているんだ。これはもう一卵性双生児とかクローンとか、そういう領域じゃない。彼女はもはやボクたちの女王様と同一存在であるとさえ言える。女王様の振る舞い、あるいはウィニーちゃんの振る舞い、それらは全て密接に関わっていて、裂くこともできない。そしてウィニーちゃんがいる世界が壊れれば、ボクたちの世界も全壊は免れたとしてもほぼ壊滅してしまう。だからボクは女王様に選ばれた者として彼女に世界を守る力を与えるためにこの世界に来た」

「なんだ? どういうことなんだ? 何を言っているのかさっぱりわからない。その女王っていうのは何者なんだ? お前たちは異世界から来たのか?」

「そうだよ。異世界。別世界の地球様惑星から来た。そしてボクたちの女王様のことを表現するときにキミの知っている言葉の中で最も適する言葉を教えてあげる」

 せっかくの食事に手が付かない。私は完全にハトホーの話に飲まれていた。ごくり、と唾を飲み込む。ハトホーが何を言おうとしているのか想像する。予想は既にできていた。この世界を狂わせてしまう巨大な力を持つ魔法少女。それと同じ存在。となればもはや一つしか答えはないのではないか。手が震える。ハトホーから目を離せない。奴はにやりと微笑む。




「神だよ」




 ドッと重圧が押し寄せてきた。話を聞いていただけなのに、心臓が跳ね回っているような感覚に陥る。この世界はもう疾うに狂ってしまった。今更嘘だと笑うことなぞできやしない。

「ボクたちの女王様は現人神なんだよ。究極の力を持つ個人。それが女王様。ボクをこの世界に送ってくれたのも女王様。でも、世界を創造したわけじゃないよ。きっとできるんだろうけど」

「いや、待て。おかしい。それじゃあお前の世界では定期的に女王は入れ替わるのか?」

「そうだけど、その期間はとっても長い。人間の寿命じゃ遠く及ばないほどに。でも、この世界とボクたちの世界では時間の流れが違うから、女王様とウィニーちゃんが繋がるなんてことが起きたんだ」

「そう……いや、なんで繋がるなんてことが起きたんだ? その異世界ってのはこの世界とは違う物理法則で成り立っているのか?」

「早くご飯を食べなよ。冷めちゃうよ」

「ああああ、もう。そうだな。考えても仕方がない。ハトホーは海に行きたい。私はハトホーを海に連れていく。それで世界は救える。だな?」

「うん」

「よし。ならいただきますだ。お前はハンカチで顔を拭いておけ。あとで洗ってやる」

「やったー!」

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