7、終の階段

 玄関を出て、外の空気を浴びると想像以上の冷たさで凍えそうな心地になった。

 寒いと思いながら横を向くと、先生と同じ二十代くらいの知らない女性が私を見つめてそこに立っていた。

 真っ赤な口紅をしたスーツ姿の女性。職業は分からないが仕事帰りだということは見た目で判断できた。

 見つめ合ったまま引く様子はない、空気が張り詰めていくのを私は感じた。面識はないが視線は威圧的なものだった。


「何か御用ですか?」

「そこ、私の暮らしてる家なのよ、貴方こそ誰なのかしら?」


 私が聞くと、その女性は私のことを責めるように棘のある口調で言った。 

 血の気が引いていくのを私は感じた。


「ねぇ? 黙ってないで答えなさいよ。あなた私の家の中で何をしてたの?」

「私は……先生に誘われて家の中で……」


 私はとてもさっきまで先生と性行為をしていたとは言えなかった。


「またあの人は生徒を家に入れて遊んでいたのね……はぁ、まぁいいわ。貴方、早く出ていきなさい。二度とあの人には近づかないで」


 怒気を強めて女性が言葉を浴びせてくる。突然のことで頭が混乱して整理が追い付かない。それでも、何か言い返さなければと私は頭を振り絞った。


「貴方も先生に騙されているんじゃないんですか?」

 

 女性が動き出す前に、私は何とかそう言い放った。

 そんな私に女性は呆れたような表情を浮かべた。


「あの人が歪んだ性癖を持ってることぐらいとっくに知ってるわよ。

 それは貴方のような子どもからすればショックは大きいでしょうけど、私はあの人にはこれからも働いてもらわないと困るのよ。

 まさかあなた、あの人を訴えて失業させるつもりじゃないでしょうね?」


「何を言ってるんですか……犯罪ですよ、先生がやっていることは。許されることじゃないです!!」


「感情的にならないでよ……言ってるじゃない。あの人は教員なのよ。

 一度こんなことで失業したら再就職なんて難しいのよ。

 私は妊娠六カ月なんだから、困るでしょう? 突然失業なんてされたら」


「そんな……おかしいですよ……」


「おかしくなんてないわよ。大人の世界は時に寛容でないといけない時だってあるわ。私はあの人と大学時代から付き合っていて、子どもが出来たから籍を入れたのよ。今更、簡単に別れるなんてことは難しいのよ。

 だから、不満はあってもあの人が仕事を続けてくれる以上は別れるつもりはないわ。あなたが邪魔をするっていうなら、容赦はしないけど」


 私は女性からそこまで話しを聞くと、耐え切れず走って逃げ出した。

 知りたくなかったことで頭がいっぱいになり、意識がショートしかけていた。

 

 息を切らしながら白い息を吐き、街中をただひたすらに走った。


 そして、何の救いのないまま人の気配のない古びた廃ビルへと辿り着いた。


 遠くから見れば、こんなに真っ暗で何も見えないのに、近づけば見たくないものまで見えてしまう。


 この世界の醜さは、私が生きていくには相応しくなかったのだ。


 ついへと続く階段を一段一段昇っていく。


 先生は二年前にデートをしたあの頃からあの人と付き合っていたのだ。


 きっと、あの日私と先生が別れた後もあの女性と会っていたのだろう。


 そう考えれば、都合よく先生に私は好かれていると解釈して浮かれていたに過ぎなかったのだとよく分かった。


 廃ビルの屋上まで息を切らしながら昇りきると、夜風で長い髪が激しく靡いた。


 この世界にさよならをする。

 もう一度ここから人生をやり直そうと思えるだけの気力は私の中にはもうなかった。


 空が呼んでいる、私は全てを忘れるために身を投げた。

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鏡の中の錬金術 shiori @shiori112

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