ある次郎の物語 円空仏

牧太 十里

一 新年のあいさつ

 ある次郎の想い出、昭和の事である。


 小学四年のころ。

「じろう。しっかり正座しろ」

 四つちがいの兄がえらそうに、正座をくずしたぼくをにらんだ。

 今日は六時に起きて冷たい水道の水で顔を洗い、大きな火鉢が三個もすえられた十五畳の茶の間で雑煮を食べた。そのあと、こざっぱりした衣服に着がえ、座卓などを全て隣の中の間へかたづけ、茶の間の西側に、南から北へ歳の順番で我家の祖父母、両親、子どもたちの八人が正座している。

 ぼくには兄姉妹がいる。兄姉妹とはほとんど話したことがない。ぼくの家族は横のつながりより縦のつながりが強い。新年のあいさつの習わしにそれがはっきりしている。


「おめでとうございます」

 八時をすぎたころ、玄関の引き戸があく音がして声が聞える。引き戸がしまり、畳三畳を縦に並べたほどのコンクリートの土間から足音が聞え、二十畳の板の間に足音がして、茶の間の北側の障子があき、来客が茶間にあがって障子をしめた。

 来客はその場で正座して、

「新年、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 我家の家族にあいさつし、

「では、仏さまにも、ごあいさつを・・・」

 茶の間の南、帯戸があけられた十二畳の仏間に移動し、仏壇に新年のあいさつをしている。


 客が仏間へ移動すると母は茶菓を用意し、仏間から茶の間にもどった客に、茶の間の東側に並べられている座布団に座るよう勧め、

「新年、おめでとうございます。

 仏さまにごあいさつ、ありがとうございます。

 今年は雪が少なくて、よい新年になりました」

あらためて新年のあいさつをし、仏壇への新年のあいさつに礼をのべた。


 元旦、我家に新年恒例のあいさつに来るのは、我家の分家の家長や親戚関係の家長だ。

 早めにあいさつに来た客は、祖父や父と話してるが、ほかのぼくたち家族はずっとだまったまま、あいさつのために茶の間に正座している。とってもたいくつでひまな時間だ。大人たちは、ぼくがこんなことを考えているのを知らないと思う

 ぼくは、元旦の客があいさつに来て帰るまで、年末のテレビで放送していた円空の特集が気になっていた。放送された円空の生立ちや業績は憶えていなかったが、鉈などで荒削りの仏像を彫ったことと、彫られた仏像が、寺の仏像や地蔵やうちの仏壇の仏像とはちがい、ぼくに何かを話したいような感じがしたことに、とても驚いていた。


 十時ちかくまで、新年のあいさつの客が我家に来た。十時になると、客と父と祖父は公民館へ出かけていった。公民館で村の新年の行事がある。どんな行事があるのか、ぼくはわからなかった。わかるのは、大人同士で新年のあいさつをして、お昼近くに酔っぱらって帰ってくることだけだった。

 こうして元旦の公民館の行事が終っても、我家に新年のあいさつにくる客は、元旦ほどではないが二日、三日もつづいた。元旦とちがい、客は女の人ばかりだ。二日や三日は女の人があいさつに来る日なのだとぼくは思っていた。

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