第18話
「紛失していた答案用紙が見つかった。というわけで、答案を今から返却する」
HRの時間のこと、紙の束を持った楓原先生が教室に入ってきた。ポニーテールを優雅に揺らし、猫の気まぐれのように教壇に立ちそう告げる。動揺のどよめきが起こる。むろん、その中には歓喜の声も起こる。この学園は、県では随一と言っていいほどの進学校。学生は皆、真面目なのだ。
誰かが呟いた。
「先生、結局誰が持ち去ったのでしょうか」
楓原先生の目が曇る。視界の端で、和泉が俯くのを確認する。
「紛失だと言っているだろう」
「ですが……」
誰もそれで納得しない。不満の声が上がる。そう、俺が初めから危惧していたことが起こった。この教室の生徒の大半は、紛失に対して疑問を呈している。俺程度が思いつくことなんか、誰でも思いつくのだ。先生の煮え切らない態度に、怒りを露わにする生徒もいるようだ。この学園の生徒は、勉学にたいして真面目な人が多い。受けたテストの結果が予定通り、返却されなかったことに対して、不満が募っていた。今それが爆発しようとしている。
そしてまた別の誰かが呟く。
「そういえば、……最近、答案用紙を持って職員室から出てくるの、見た気がします」
今度は動揺が隠せない楓原先生。和泉の顔が青ざめる。その声に同調するかのように、我も、私もと、証言を吐く生徒たち。目撃証言はどうやら一人ではないようだ。
「確かか?」
「はい、確か、ええと、そこの……相田くんだったと思います」
その人は俺を指さす。ズコォッ。……俺は相田じゃなくて相場ね。周りの視線が一斉に俺に向く。目立ちたくなかったのに……だが今日は許そう。そもそも俺が蒔いた種だしな。そう、蒔いたのだ、種を……
高色から偽の答案用紙を受け取った俺は、職員室の周りをウロウロした。人に見られるように。そしてそのまま校内を歩き回った。確実に目撃されるために。こうなることは予期していたからだ。良心の呵責に苛まれた人は、周りからの批判に耐えられない。和泉の精神は平静を保てなくなるだろう。俺には良心なんてものはない。俺は善人じゃない。
やれやれ仕方ない。俺は観念したような表情で、立ち上がろうとした。……だが、俺よりも早く、立ち上がった人がいた。この光景に俺はデジャブを感じた。
「相場は俺に勉強を教えてくれたんだ。そんな奴が、そんなことするわけないだろう!」
来栖だった。思わずポカンとしてしまう。来栖は周囲を一瞥した後、楓原先生を睨みつける。
「先生も、相場のこと疑ってんすか」
「そんなこと言っていないだろう。私は紛失だと言ったはずだ」
「だったら、相場が
周囲を睨みつける。周囲が困惑しだす。来栖さん何してんすか……。彼はずっと前から、何を怒っているのだろうか。くそ、頭が痛くなってきた。それに続いて、また誰かが立ち上がった。それは速水だ。彼は突然、眩暈を起こすようなことを言い出す。
「来栖くんを疑うってことは、僕のことも疑うってことだよね」
速水は爽やかな笑顔であった。であったが、なぜか反論を許さないような凄みがあった。だれも何も言わなくなった。いやでも、あんたは違うだろう。
「何度も言うが、これは紛失だ。この話はこれで仕舞い。用紙を返却する」
答案は返却され、なし崩し的にこの騒動は終わりを迎えた。時間とともに、この件が人々の記憶からなくなることを願うばかりだ。
※※※
ある日の昼休み。
この前の騒動なんかどこ吹く風で、最初からなかったかのように、穏やかな
目の前には、来栖と高色が並んで立っていた。お目々パチパチ、パチリンコ……なんか言ってくださいよ。
高色が来栖の肩を優しく叩く。
「ほら、来栖くん……」
「うん……」
来栖が俺に向き直る。突然頭を下げる。
「ごめん」
「はい……?」
意味がわからなかった。来栖は俺に構わず続ける。
「俺、相場のこと、助けられなかった」
思えばそれは1年生のときのこと、俺と来栖は同じクラスだった。とある出来事のせいで、周囲からの批判と罵声を受けている中、来栖だけが俺の味方をしようとした。この前のHRのときのように。だが、それを俺が拒絶したのだ。
『お前に出来ることがあると思ってんのか? 身の程を知れよバカが』
『なんだとお前!!』
そう言うしかなかった。俺の味方をして、そのせいで批判の矛先が来栖に向かうのが怖かった。何もできない俺ができる最大の抵抗だった―――
来栖の横にいた高色が口を開く。
「来栖くんね、あたしと相場くんが仲良さそうにしてるのを偶然見たんだって。だからどうしたら来栖くんも、相場くんと仲良くなれるかって、あたしに相談しに来たの」
「それが勉強会ですかー……」
そうか、来栖は勉強がしたいってことを口実に、俺と接触したかったわけですか。部活まで休んで。そうですか。まじで良い奴じゃん。来栖に向き直る。
「ごめん。あのとき、ひでぇこと言ったわ」
「別に気にしてない。俺こそごめん。何もできなかった」
「別に、いい。あの状況じゃ仕方なかった」
そしてお互いに笑いあう。長年の
「ぐっ……! ってぇ! 何しやがる!」
「お前のそういうこと、本当嫌い!!」
来栖が喚く。
「何も言わないし、何でも自分でやっちまうし! 俺に出来ること何もないのかよ!!」
胸に鈍い痛みがこみ上げる。俺は無言でそこをさする。
「あのときだって、俺は相場の味方でいたかった。たとえそれで俺が非難されることになっても、それでも良かった。それが親友ってもんだろ。だからそれができなかった自分が許せなかった」
誰よりも自分に正直で、誰よりも正義的な俺の友人は、だからこそ自分に憤っていた。何もかもに憤慨していた。
「そうか。でもその友人にひとつ言っておくがな、」
俺は高色を一瞥する。俺と目を合わせると、高色は何のことかと、小首を傾げた。あら、かわいらしい(何回目?)
「俺と高色は、そもそも仲良くしていない。それはお前の見間違えだ」
「いやなんでそうなるの。え……ちょっとまって、相場くん待って……」
高色の能天気な表情が、さながら学園ヒエラルキー最底辺のクズ野郎を見る目に変わる。まんま俺ですね、はい。そういえば、高色のこの表情ははじめてかもしれない。どうでもいい知見が広がった。だが文句を言われる筋合いはどこにもない。そもそもあなた、今回出番無かったでしょう?
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「なんで高色のこと避けてたの?」
もう高色がいない、俺と来栖の二人きりの中庭で、来栖がそう切り出す。またそれを、引っ張ってくるか……。いい加減辟易としてきた。もう俺の気持ちを隠す必要はない。
「別に避けてねえってば。お前、高色のこと好きだろ」
「な、ななな、なんでそうなるの!」
否定はしないのですね。そうですよね。好きですもんね。自分で言ってましたもんねー。ニヤニヤ。
「ごまかしたって無駄だぞ。わかりやすいんだ、お前って」
「そうなのかな。そうなのかあ……」
ベンチに項垂れる。スライムのように溶けている。
「確かに俺は、高色のこと好きだ。でもだからって、相場も遠慮する必要はないぞ」
「は?」
「いや、だって、相場も高色のこと好きだろ?」
「いやまって、ほんとまって。なんでそうなる」
楓原先生といい、来栖といい、なんだこの人たちは……。まあでも、それでも、
「俺はお前のこと、応援してるよ。だから頑張れよ友人!」
来栖の肩を思いっきり叩いた。俺なりの
学園ラブコメの主人公なんかになりたくない 名奈瀬優作 @ynanase
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