第17話

「その紙はなんなの?」

「……悪い、企業秘密だ」

「そうですか、そうですか」


 俺を見る目つきが、川辺に漂着する廃棄物を見る目に変わる。肌に張り付くほどジメっとした。もうすぐ梅雨にでも入るのカナー……

 俺の手には2枚の紙が握られている。一枚は和泉が持っていた、高色の答案用紙。そしてもう一つは、その模造品ダミーだ。


生徒指導室で楓原先生から前年度のテストの学年順位の上位3名のメモ書きをもらった。1位は同列二人で高色と速水、2位は和泉と書かれていた。その後すぐにその部屋をでた。そして先生の机の上に置いてあった、未記入の答案用紙を見つけた。俺はその中から一枚ぬす……げふんげふん、して高色に指示書きと一緒に渡した。指示書きには『空欄を答えで埋めて、すべてに赤丸を付けて欲しい。内容は適当で構わない』と書いた。


高色本人が書いた答案用紙ダミーである。犯人を騙すには効果覿面であった。実際和泉も騙されたしな……


「最後に質問させてくれ。……どうしてカバンに持っていた?」


 なぜなら捨ててしまったほうが楽だからだ。俺だったらそうする。彼女は根からの悪人ではない。だから気持ちを捨てきれなかった。俺に付け入る隙を与えてしまった。


「それは……」


 彼女は言い淀んだ。


「なんとなく、捨てたくなかった。……のもある」


 再び表情が暗くなる。複雑な心境なのだろう。


「こんなこと、信じてもらえるかわからないけど、……本当は白状して返すつもりだったの」


 一時の感情で、取り返しのつかないことをしてしまった。彼女の心を占めたのは、後悔と良心の呵責だった。彼女は悪人じゃない。俺はため息をつく。これからすることを思うと、すでに疲労でいっぱいだった。俺は彼女の額を指で弾いた。


「いた! いきなりなにするの」

「前払いだ。これから受ける迷惑料のな」

「はい?」


 かまわず続ける。


「もう二度としないか?」

「うん、しない」

「したらこのことバラす」

「別に構わないよ。悪いことをしたんだから。でももうしない」

「来栖に告白するか?」

「それは関係ないでしょ!?」


 底意地の悪い笑みを和泉に向ける。彼女が悪人だったとしたら、俺はこの答案用紙を見つけることはできなかっただろう。それに免じで、勘弁してやろう。


「答案用紙は楓原先生に提出する。拾ったってことでな―――」


 なぜか和泉は、笑顔で涙を流した。


 ※※※


 何度も見慣れた部屋だ。楓原先生が目の前にいる、いつも以上に不機嫌そうで、まるで下手人を見る目だった。彼女がひと睨みするだけで、犯人は震えあがるだろう。べべべ、別にビビってねえし!


「……なんだこれは」


 テーブルの上に置かれた紙をあごで指した。行儀が悪いですよ先生。


「紛失した答案用紙です」

「どこで見つけた」

「川で拾いました」

「ふざけてるのか? 紙が川まで一人で歩いたとでも言うのか」

「あんたが『紛失』だって言ったんでしょうが!?」


 思わず声を張り上げてしまった。うほん……落ち着け俺。


「はいそうです。俺が犯人です。俺が盗みました!」


 適当ぬかした。もう自棄やけのやん八である。


「ほう、それで小僧、なんで盗んだ?」

「速水に嫉妬してました。どうせ手に入らないのなら、壊れてしまえ精神です!」


 もう自棄糞だった。実際に和泉もそう言っていた。だから嘘は言ってないぞ。それを聞いた楓原先生が、怒るでもなく突然笑い出す。何がそんなにおかしいんですか?


「なるほど、そうか。嫉妬ね、確かに納得だ」


 ご理解いただけたようだ。


「そうか、お前も高色のことを……ね。健全じゃないか。そうか、お前もちゃんと青春してるんだな」

「いやまて、それはおかしい」


 楓原先生が俺の言葉を、曲解していた。しかも最悪なほうの勘違いである。もういっそ和泉のことを全て話してしまおうか。


「いやー高校生のくせに捻た老害みたいなガキがいて、苦労皺が絶えないと思ったけど、これで安心安心! うちの教室も前よりは明るくなるだろうな、はっはっは!」

「シワは加齢のせいだろ、俺のせいにすんなよ年増しババア」

「おおん? 私に喧嘩を売ろうと? 買ってやろうじゃないか、表出ろコラ」


 飢えた猛獣が牙を研がらせ、ギラギラとした眼で俺を見る。すぐに自分の言葉を後悔した。皆さん発言とご利用は計画的にっ! 保険はもしものために! ゴリラ事故にご注意を!


「誰がゴリラだ、相場ゴラァァァァ!!」

「人の心読まないでくれませんかね!?」

「全部口に出てんだよ、自覚持たんかいワレァァァ!」

「すみませんでしたぁぁぁぁぁぁ!!」



「もう一度聞くが、君が盗んだんだな」

「はいそうです」


 頭頂部に軽くゲンコツをもらった。それが彼女の優しさだった。


「もう二度としないか?」

「しません」

「根拠は?」


 これから目の前の肉を食もうとする、猛獣のような眼光。目を逸らせば、狩られる。


「俺がそう思うからです」


 根拠? そんなもん無い。あるとしたら、和泉が最後に流した涙だけだ。俺も見返す。俺の眼光に鋭さはないが、それでも彼女に負けじと見る。やがて彼女は観念したように下を向き、大きく息を吐いた。


「もういい、それ以上は聞かん。紛失ってことにしておく。上にはそう報告しよう」

「ありがとうございます」


 そういい、頭を下げ、生徒指導室を出た。



相場がいなくなった後、楓原先生は誰もいないその部屋で、独りごちる。


「なんで、ああも強情なのかね。全く誰に似た……なにがあった。なにをしたんだ君は……」


 彼女は天井を見つめた。そこにいない誰かを重ねて―――

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