第14話

 職員室を後にし、再び教室に戻る。そこには来栖と高色がいて、二人は何事かを呟きながら何かをしていた。


「さすがにダメだよ。もうやめようよ」


 来栖は他人ひとの机の中を漁っている。高色はそれを止めようとしているらしかった。


「高色は気にすんなよ。俺が勝手にしてることだから」

「そういうわけにはいかないよ。あたしのモノでもあるんだから」


 高色の答案用紙のことを言っているのだろう。来栖はそれを探しているらしい。来栖は誤魔化すようにそっぽを向く。それは認めてるようなもんだろう。もっと上手くやれや……

 二人のことはお構いなしに、俺はポケットからメモ帳を取り出し、一枚破く。その紙にペンで何事かを綴った。そして二人に近づく。


「よう」

「あれ? 相場くん」


 何事かを綴ったメモ紙と、A4ほどのサイズの別の紙を高色に押し付けた。そのメモを読んだ高色の目が次第に曇っていく。俺を見るその目はまるで、梅雨入りのジトっと肌に張り付く空気のようだった。


「このメモの内容について、なにも説明はしてくれないんだ」

「そうだその通りだ。理解してくれて嬉しいぜ」


 まるで返事でもあるかのように、盛大にため息をつかれる。抗議の意味もあるのだろう。知らん、どうでもいいし。


「来栖も、部活行こうぜ」

「……いい。俺はまだ残りたい」

「まあ、そう言うなよ。速水に会わせてくれないか。頼む」


 怪しむ目で俺を見ていたが、次第に机を漁る手を止めて俺に向き直った。


「わかった。一緒に行くよ」


 来栖と俺は教室を出た。高色は目を細めてむくれていた。彼女の不機嫌は精神衛生上よくないと思うので、俺はすれ違いざまに耳打ちした。


「そのメモ通りにしてくれたら、いいものあげるぜ」


 高色はさらに目を細めて俺を睨んだ。なんで……?


 ※※※


 校舎外のグランド。円を縦に二分割して離した間に白色の直線ラインが引かれている。……という説明は不要だろう。なんてことはない、一般的な学校の運動場だ。徒競走用のラインの内側の、長方形の両端にゴールポストが設けられている。サッカー部の練習場である。


 遠目からもひと際目立った場所がある。そこには絹のような前髪を風に靡かせ疾走し、そこから少し離れたところから黄色い声援を送られている人がいた。来栖の案内必要なかったのでは? 爽やか笑顔を振りまく速水に、声援を送っているのはおそらく女子マネージャーの人たちだろう。いやしかし多すぎやしないだろうか。なんだかいけ好かない(ただの嫉妬)。なので俺も黄色い声を送ることにする。


「はーやーみーきゅん!♡」

「どうしたの相場君」


 俺のことを瞬時に認識し、笑顔を崩さず近づいて来る。やめて、普通に接しないで、逆に恥ずかしくなってくるだろ。


「おほん……少し話せないか?」

「いいけど、ちょっと待てる? もうすぐ部活も終わるから」


 もうそんな時間なのか……。思ったよりも時間を食ってしまった。俺は部活終了まで女子マネージャーたちに紛れて、速水に黄色い声援を送り続けた。それを見た周りの女子たちは、引き攣った顔をしていた。誰だよキモいって言った奴、ぶっ飛ばすぞゴラァ!


 間もなく部活が終了し、グランド整備に入る。その合間に速水が俺に近づいてきた。汗も滴るいい男。それをタオルで拭くユニフォーム王子。さすが2006年の流行語大賞。お手拭き王子。……違うか、違うな。


「おまたせ。それで、どうしたの?」

「ここ最近のテストの順位を教えて欲しい」

「なんだい、いきなり。1位だけど」


 なんの淀みもなく答えた。常日頃からくる自信の表れだろう。


「2位は誰か知っているか?」

「うーん……2位というより、同列1位なんだ。君も知っているはず。高色さんだよ」


 生徒指導室で楓原先生からもらったメモ内容と一致した。裏はとれた。俺の記憶とも相違ない。そのとき速水が何かを理解したようだった。この前見せた、思考を楽しむような顔つきになった。


「なるほど、おもしろいね。相場君からしてみれば、僕は容疑者ってことか」


 俺はまだ何も言っていない。なのにも関わらず、言葉の裏を読まれた。成績優秀なだけではなく、相当頭も切れるらしい。


「そうだ。いまのところ最有力候補だ」

「でも先生は紛失って言っていたでしょう」

「速水さんはそれを、信じるのか? わかっているだろう。それはあまりに不自然すぎる」

「根拠は?」

「1つ、答案用紙はテスト終了後すぐに、回収されている。先生は提出漏れがないか、点呼で確認していた。2つ、これは俺だけが知っていることだが、先生は性格上、受けた事務作業はすぐに片付ける。答案用紙の採点も、その日のうちに実施したはず。もちろん最後に枚数確認を行ってな。3つ、そのあと答案用紙は手元に保管し、職員室の外には持ち出していない」


 3つ目についてさきほど、生徒指導室で先生に確認した。楓原先生は盗難や不正に対して、神経質なところがある。生徒から預かった物資を厳重に扱うはずだ。そんな人がそんなあっさり、紛失などするだろうか。先生の目が離れたスキに、誰かが盗んだと考えるほうが自然だと思う。


「ふーん、なるほど。つまり、先生の一瞬の油断を突くことができる、頭がよくて狡猾な人間。つまりは成績優秀者たちが容疑者になるわけか」

「まだ何も言ってないんだが……。その中で速水さんが最も可能性が高い。成績優秀で狡猾、ちゃんと動機もある」

「へえ、どんな?」


 笑顔を向ける。まったく毒気のない無垢な表情。だからこそ、こんな自分が嫌になる。


「高色さんは速水さんのライバルだろう?」


 俺の言葉を聞いて、一瞬だけ目を見開いた。それもほんの一瞬だけ、すぐにまた優しい笑顔に戻った。


「もう結論は出ているんでしょ」

「ああ、その確認がしたかった」


 彼に高色の答案用紙を盗む動機は、初めからなかった。それはわかってた。彼にはなくて、俺にしかない。だからこそ思うのだ。


「前にも言ったが、俺とは仲良くなれない。俺たちは解り合えない」

「どうして?」


 言葉に込めた、明確な訣別の意志。速水の笑顔が曇る。前も同じ表情をしていた。その反応だけは最後まで理解できなかった。


「速水には向上心しかない。俺には嫉妬心しかない」

「そんなことはない。君にも、君次第で僕の隣に来ることができる!」


 速水の言葉に感情が乗っている気がした。最近どこかで見た。別の誰かが俺に向けていたものと同じだ。


「だから理解できないんだ。誰でも手を伸ばせば、夢は叶うと本気で言っているのか? 俺にはお前らに対して、嫉妬しかない。俺は目標に手を伸ばさない。だから俺は、お前になれない」


 来栖も速水も、人間だった。人間らしい人間だった。善い人たちだと思った。だからこそ、俺には解らない。人間らしい感情など、持ち合わせていない。目立たずをモットーに生きる、学園ヒエラルキーの最底辺のゴミ野郎。それが俺だ。人の不幸は密の味、悪意しか理解できない。俺は善人にはなれない。


「だからこそ、俺にしかできないことがある」

「それが最低の方法だとしても?」

「好物だぜ。俺らしいだろ」


 ―――――……♪~♫ 完全下校のチャイムが鳴る。時間切れだ。もう話すこともない。


 速水に背を向け、グランドを後にする。


「相場は弁護士や探偵になれる! その素質は十分にある!!」


 俺の背中に向けて速水は叫ぶ。最初から目指してねえよ。俺はそう吐き捨てた。

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