第13話

 しばらくは同じ日が続いた。放課後になったら図書室へ行き、来栖と一緒に勉強をする。来栖が質問をすることもあれば、俺が逆に質問をすることもある。今までで一番勉強がはかどっていた。誰かと勉強するだけで、ここまで集中できるものなのか。ふえぇ……知らなかったよぉ……


 あの日以来、来栖は勉強以外で俺に追及することはなかった。だから油断していた。図書室に来て2時間過ぎ。ちょうど各部活動が終了する時間だ。俺は荷物を片付けていた。


「もう帰るのか」

「そうだな、いい時間だしな」

「もうすぐ高色も来る」

「?」


 言葉の意味がわからなった。


「また逃げるのか」

「は?」


 さらに意味がわからなかった。


「別に高色さんを避けているわけじゃねえよ」

「だったら別にいてもいいじゃないか」

「だからその必要がないと言っている」

「なんで」


 それは俺のセリフだ。なぜそんな単純なことも、わからないのだろう。


「来栖は勉強がしたい。だから俺がいる。部活が終われば高色さんが来る。だから俺はもう必要ない」


 あと、来栖は高色のことが好き。だから俺は邪魔だ。それは言えなかった。来栖は本当に根が良い奴だ。そんな奴が俺の心を知ってしまったら、全力でそれを否定するだろう。だから、だってのに、だというのに、なんでお前は……そんな顔をするんだよ……


 来栖は俺を睨みつけた。すごい剣幕だ。勢いよく立ち上がり、両手をテーブルに叩きつけた。突然の騒音で、室内の人が驚きで跳ね上がる。その人がこちらに向ける視線を、来栖は全く気にしない。


「俺は相場に頼んだんだよ! 高色は関係ない!! お前が必要なんだ。ここにいて欲しいのは、お前なんだよ!」


 興奮しきった来栖の顔は、それはもう真っ赤だった。その顔に圧倒されてしまう。その気迫に圧され、目を逸らしてしまう。その目の端に高色の困惑した顔が映った。俺は力なく立ち上がり、高色と入れ替わるように外に出る。すれ違いざま、高色が俺に耳打ちした。


「なにがあったの?」


 高色は不安そうな顔で、俺にそう問う。その目を俺は、ちゃんと見ることができなかった。


「すまん、来栖をまた怒らせた。ここまでだ。俺はもうここには来れない。後は頼む」



 全く……無責任だよな、俺ってのは……そんな自己嫌悪すらも、とっくに枯れている。


 ※※※


 あっという間に来週が今週になり、小テストも終わり、ある日。

 今日は小テストの返却日だった。臨時HRの時間、楓原先生が教壇に立つ。その表情は重々しそうで、驚愕の言葉を口にした。


「……まことに言いにくいことだが、採点済みの答案用紙が、一枚だけ紛失した。私の管理不足だ、すまない。それに重ねて、紛失した答案用紙が見つかるまで、返却は実施できないことを詫びる。見つけたものはどうか報告してほしい」


 楓原先生はそれを述べた後、軽く頭を下げた。途端にクラス中がざわめき出す。その情報を喜ぶもの、嘆くもの、皆がみな一喜一憂しだした。


「紛失したのは、誰の答案用紙なんですか?」


 誰かが声を上げる。その声に教室中は一気に静まり返る。


「それは言えない」


 先生の言葉に教室中が困惑する。そして再び騒ぎ出す。その中で高色が手を挙げた。彼女はこう告げる。


「誰の答案用紙かもわからないと、探しようがないと思います。みんな解答の返却を望んでいます。どうか教えてください。お願いします!」


 騒がしい教室でも隅まで通る、透き通った声。誰もが高色に注目した。その言葉に楓原先生も、「確かに、高色が言うのなら……」と唸る。少し顎に手を当て黙考しだした。やがて口を開く。


「紛失したのは、高色の答案用紙だ。もし見つけたら、私のもとに持ってきてほしい」


 再び教室はざわめきだした。高色は驚愕とした。来栖は顔を青ざめた。来栖のその顔が、俺の心にこびりついて、どうしても消せない……


 ※※※


 俺は今、職員室の一角にいる。生徒指導室と呼ばれる部屋だ。いつもは俺が問題を起こして、楓原先生に呼び出しを食らうのだが、今日は珍しく自ら進んでここに来た。なんてことはない。俺が呼び出しを食らう理由は、先生に対する言動である。その程度のことだ。たとえ冗談でも、『ババア』なんて言うもんじゃない。冗談じゃないけど。


 その目の前の先生は整った顔立ちで俺を凝視していた。ほんと、口を開かなければ美人なんだけどな……げふんげふん


「珍しいな。相場から私に声を掛けるなんて」

「ええ、まあ。興味が出てきたもんで」

「高色だからか?」


 なぜかニヤニヤしだす年増女先生。おっと? いきなり雲行きが怪しくなったぞ。


「そうだが、違います。俺の興味は『盗難』についてです」


 先生の目つきが変った。明らかに俺を警戒している。相手を射抜く、鷹のような目つき。


「私は紛失と公言したはずだが?」

「先生がそんなヘマするはずないでしょう。あなたのことだから、答案用紙は終始、返却のときまで手元に保管していたはずです。ならば、誰かが意図的に抜いた可能性のほうが高い。それとも、答案用紙を外部に持ち込みましたか?」


 先生は顔色一つ変えない。手ごわい。かあぁぁぁぁ! もう……。それで少し冷静になる。俺なんでこんなことしてるんだろう……


「答案用紙は外部に持ち込んでいない。だがやはり紛失だよ。私の管理不足だ」

「はあ……もういいですそれで。質問を変えます。今回の小テスト、最優秀の順位は2人ですか?」

「それは公表できない」


 わかってた。期待しちゃいない。ちなみに質問をわかりやすく翻訳すると『点数順位1位と2位は同じですか?』となる。


「直近の中間・期末テストの2位は誰ですか? それは公表されてる情報だから、教えられますよね?」

「まあ、それなら……少し待っていてくれ」


 その場を離れ、おそらく自分の机に向かったのだろう。そしてすぐさま戻ってきた。手書きのメモ用紙を渡される。ひとまず手掛かりを手に入れた。


「どういう風の吹き回しだ?」

「…………はあ。笑わないで聞いてくれます?」


 すうっと息を吸い込んだ。それで緊張を紛らわそうとした。そして吐き出す。


「来栖はたぶん、今でも悔いているんじゃないかと思って」

「は?」


 いつぞやの過去を思い出す。来栖は目を真っ赤にして、俺を睨みつけていた。少しでも触れたら、すぐさま怒りが爆発して、俺に掴みかかるんじゃないかってぐらい危うかった。それに対峙した俺は、彼に人差し指を向けて言い放った。


『お前に何か出来るとでも思ったか? 身の程を知れよバカが』

『なんだとお前!!』


 俺に教えを求めたとき、高色の答案用紙の紛失を知ったとき、今までの徒労が無駄になるかもしれないことを、来栖は気に病んでいるのだろう。


『俺は相場に頼んだんだよ!――お前が必要なんだ。ここにいて欲しいのは、お前なんだよ!』


 来栖は俺にそう言った。その言葉が嬉しかった。だから俺も、


「お前なんだよ。何もできねえ俺が、お前のために、俺も何かしたいって思ったんだ――」


 メモ用紙を握りしめ、生徒指導室を後にする。


 職員室を出るとき、楓原先生のデスクがついと目についた。デスクの上にはくだんの答案用紙が置かれていた。近づいてよく見ると、それは先日の小テストの用紙の余りだった。それを手に取ってみた。それを見て瞬時に駆け巡るインスピレーション。我ながら下衆な発想をするなと笑った。

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